02.◇◇◇はじまりは幻影のように
真っ暗闇の中、凪のように穏やかな騒めきだけが空間に響いている。
衣擦れ、呼吸――そして、興奮に震える心臓の音。
そこに在るのは期待。世界が変わる瞬間を今か今かと待ちわびる誰かのあふれ出た声。
やがて、鼓動は消えていく。闇と無音は重なっていく。
そうして、微かな揺らめきも消えたころ、待ちわびたかのようにスポットライトが闇を切り裂いた。
四方八方から浴びせられた円柱状の光はステージの上の一点、人工の光に負けないくらい輝く少女へと降り注ぐ。
少女はマイクを片手に走り出すと、後押しをするようにスピーカーからはポップでキュートな音色が溢れ出した。
止まっていた世界にスタートのサインを出すのは、よく通る少女の声。
「みなさーん、おまたせしましたー!」
幼い顔立ちの、大人一歩手前の少女。うっすらとピンク色のドレスはフリルが満載で、愛らしい彼女の笑顔を飾り立てる。
栗色の髪が揺れる。瞳は揺れることなく真っすぐに世界を見て、確かに歌を紡ぐ。
世界が揺れた。暗闇から一瞬の間に棒状の光は生まれてくる。まるで咲きたての花のような広がる色とりどりの光と歓声。
「今日は、たのしんでくださーい」
その中心に立つのはアイドル――『星美ユナ』
◇◇◇
モニターの中にはライブの映像。
アイドルは、いつだって可愛くてカッコいい――
でも、それが『私』だと思うと、なんか変な感じ。
「ほわあ……」
あ、また口開けて変な声出しちゃってる。これじゃあマネージャーさんにアホ面なんて言われても否定できないよ。
「はい、しっかり! ユナちゃん頑張れ!」
拳を握って胸の前でガッツポーズ。
「あたっ」
そのままの勢いで立ちあがろうとしたら、机に足をぶつけちゃった。
うう……これでもアイドルなのに、ポンコツ過ぎて恥ずかしい。
「はあ……この子、本当に私なのかなあ」
テレビから映し出される私の姿は、とっても可愛い。そりゃもう、雑誌で憧れの女の子と特集されちゃったこともある。
だけど、色あせた寝間着で雑誌が散らばった部屋の真ん中にいる私は、アイドル言われても信じて貰えないと思う。だって自分でも半信半疑だから。
『ステージの上では別人みたい』なんてよく言われるけど、正直自分でも否定できない。
だから、時々考えてしまう。
本当に、あそこに立っているのが自分なのか。
――うん、そんな訳ないよね。だって、レッスンで怒鳴られた記憶も、ステージの上から見るお客さんの笑顔も、全部ちゃんと覚えているもの。
なんだか、眠くなってきちゃった。明日は学校はお休みだけど、朝早くからお仕事とかがある……早く寝ないと、寮母さんにも怒られちゃう。
テレビを消して、灯りを消すとベッドに潜り込む。
「おやすみなさーい」
明日は、何があるだろう。
きっと、楽しいことだと思う。
◇◇◇
『――』
誰かが、呼んでる気がする。真っ白な頭の中に、何かが響いてる。
『ユナちゃぁぁぁぁんっ!! 早く起きなさぁぁぁぁっい!』
そりゃあもう、音量マックスの爆音が響きました。
「うわぁぁぁんっ!!」
ベッドから飛び出すと、勢い余って床に倒れちゃった。
うう、ドア越しからでも聞こえてきた大声に世界が揺れた気がするよ。
あ、もう朝だ。カーテン越しの朝日……朝日だよね、それが眩しいなあ。
時計は――
「ぁぁぁぁぁっ!! こんな時間!?」
起き抜けに目に入ってきた時計の時刻に気絶しそうになる。急がないと遅刻だよ!
慌てて寝間着を脱ぎ捨てて、ハンガーから制服を引っぺがす。学校じゃないけど、変に凝ってる時間なんてないからこれで大丈夫!
さっさと髪だけセットしてドアを乱暴に開けて走り出す。
廊下を走り抜けて、転がるように階段を落ちていく。すぐに見えた玄関先で、まんまるな影が手招きしてる。
私の靴を持った寮母さん! ありがとうっ! でも、そんな顔してないでください。
「はい、挨拶は」
「あふ、おひゃようございます!」
「もう一回!」
「おはようござますっ!」
ちょっとふっくらした顔立ちから流れてくる視線が突き刺さる……うう、ごめんなさい。せっかく用意してくれた朝ごはんも今日は食べられないよ。
「お財布に携帯電話、通行証とかも忘れてないわね」
「ふぇ、はい」
適当に返事しちゃったけど、大丈夫だよね。ちゃんと入ってるよね。
「それと、健康診断を忘れないでね」
「あ、今日でしたっけ?」
そういえば、今日の予定は――
「ほら、しっかり行ってきなさい」
「は、あひ! 行ってきます!!」
挨拶もそこそこに外に出ると、お出迎えは春の柔らかな日差し。寮の玄関前のお花は、そろそろ夏の色に染まりはじめてる。寮母さんが一生懸命育てているお花は、とってもキレイだ。でも、それを堪能する暇もなく寮を走り出す。
ああもう、一週間後には定例のライブなのに、しっかりしないと!
えっと、今日は確か打ち合わせの前に健康診断が入ってるんだっけ。
アイドルは身体が資本。なんていつも言われてるけど、本当にそうだと思う。寮母さんがお世話をしてくれるけど、悪いところがないかちゃんと調べてもらわないと。
「うんっ!」
だって、たくさんの人が私を待ってくれてるから……なんて、ちょっと己惚れかな。でも、それくらいはいいよね。
空を見上げると、空に浮かぶ真ん丸な太陽さんが、笑っているみたいに燦燦と輝いている。
今日もきっと、いい日になるよね。
太陽を追いかけて道路を走り抜けると、都会と私たちの町を隔てる大きな川が見えた。土手を登ると日の光を反射してキラキラと輝く水面が迎えてくれる。広い土手では今日も愛犬を連れたおばちゃんがのんびり散歩をしている。目の前の景色は緩やかだけど、右手に見える両岸を繋ぐ大きな橋は、今日も車がひっきりなしに移動している。まるで、都会から忙しさがやってきたみたい。
寮母さんが言うには、もう、この町の景色は百年以上変わらないらしい。
「二十四世紀の空かあ……」
ちょっと信じられないけど、テレビとかで見る昔の光景とほとんど変わらない。電子機器とかは進化しているし、車の動力も安全なエネルギーに替わったとか聞いたけど、難しいことはわかない。
「でも、だからアイドルが残ってるのかな」
アイドルと言う文化が生まれたのは、もう何百年も前みたい。伝統芸能、なんて言う人も居る。結局、人間が好きなものは時間を経てもあんまり変わらないんだろう。
だから建物の形や街の風景も大きく変わらない。進歩したいものと、進歩したくないものがあるんだと思う。
なんて、無理はよくない。私はあんまり頭がよくないし、ともかく今は仕事を頑張ろう。
川面から吹く風を背に、道路を蹴る。太陽に挨拶をして、今日もがんばろう!




