(8)
「うそでしょ……」
少女には、その光景が信じられなかった。
魔理沙の魔法のせいで、トランプ兵たちは吹き飛ばされて、隊列が乱れてしまった。
さっきまでは、豆鉄砲みたいな攻撃しかしてこなかったくせに、あの魔力はどこから沸いてきたのか。
「人間なんかが、あんな力を持っているなんて」
「人間だって、馬鹿にしたもんじゃないわよ」
「あなたはっ」
「博麗霊夢。おとなしく降伏するなら良し。さもないと……」
御幣束を構える霊夢を、少女は小ばかにして鼻で笑った。
「なに、いい気になっているの? あなたたちの攻撃じゃ、わたしたちを倒せないのはわかっているのよ?」
いかに魔理沙のスペルカードの威力がすさまじくとも、兵士たちを倒すには至らない。
吹き飛ばされた兵士たちが、次々に戦列に戻って来ていた。
兵士たちが隊列を組み直せば、結局は、さっきと同じことの繰り返し。
霊夢と魔理沙は、追い詰められていくだけだ。
「そうそう、思ったとおりにいくかしら」
「なんですって?」
霊夢は、スペルカードを手に取った。
「たしかに、スペルカードには、敵を傷つける力は無い。でも、そこには行使者の想いが籠められている。今回に限っては、これで貴女を倒すことができると、私は踏んでいる」
「でたらめよ!」
「でたらめかどうか、いまから試すのよ。効果が無ければ貴女の勝ち。でも、効果があったときは、私の勝ち」
じゃんけん並みに明快でしょう。と霊夢。
少女は、ごくりとつばを飲み込んだ。
(他人がいることで、思うように生きられない。他人のせいで傷ついてしまう。だから、他人を拒絶して、独りの世界に引きこもればいい。誰だって考えることよね)
でも、この世は、どうしたって独りきりじゃ生きられない。
残念ながら、そういう造りになってしまっているのだ。
だから我々は、浮世に産み落とされたそのときから、縛りプレイを強要される。
嫌なことも多くて、生きづらさを感じることもある。
そんなくそったれた世の中に背を向けて、独り、ふせぎ込みたくなる気持ちも理解できる。
こんな世の中に自分を解放しても無駄だと、本音を隠しておきたくなる気持ちも理解できる。
(でもね、アリス……)
くそったれたこの世界で、ひぃひぃ言いながら、どうにかして自分を解放する術を磨いていくから、生きているということに、価値を感じることができる。
だから、あきらめちゃいけない。
すべてが自分の思いどおりにいく世界なんて、存在しやしないのだ。
ありもしない世界に想いを馳せることは、もうやめよう。
霊夢は、スペルカードを放り投げた。
「夢想封印!」
スペルカードから、無数の陰陽玉が飛び出してくる。
光を携えながら少女を取り囲む。
「いやっ! この光、いやな感じがする! いやだ! 消えたくない!」
「その夢想、封じさせてもらうわ」
「いやよ! おねがい!」
霊夢は、表情を変えること無く、開いていた手を握った。
陰陽玉が、少女に向かっていく。
「いやぁぁぁっ!」
爆発音と共に、悲痛な金切り声が響いた。
「霊夢」
「魔理沙。お疲れさま」
「やったのか?」
「たぶん」
霊夢は、身じろぎもせずに、前方を見据えていた。
煙がおさまると、少女の姿は消えていた。
落ちてきたスペルカードを、指で挟む。
少女を憐れもうとは思わない。
あれは、出てきてはいけない存在。
幻想郷に害を成すものだったから、博麗の巫女として退治した。
それだけのことだ。
(だけど今後は、こういう感傷に浸る機会は減ってほしいもんだわ)
霊夢は、スペルカードを懐にしまった。
※
こんこん……。
玄関のドアがノックされた。
その音に反応して、アリスは顔を上げた。
どのくらいの時間、同じ態勢でいたのだろうか。
立ち上がろうとすると、足がしびれていて、ふらついた。
封じの魔法は消滅していた。
(ということは、あの子は……)
胸が痛んだ。
悪しき存在には違い無いけれど、あれは、アリスの分身みたいなものだし、アリスの勝手で生み出してしまったのだから。
(私、もう、幻想郷にはいられないわね)
こんな騒ぎを起こしてしまっては、それも致しかた無い。
「アリスー?」
「霊夢!?」
アリスはドアに駆け寄った。
ドアノブに手をかけようとしたところで、ためらう。
きっと霊夢は、博麗の巫女として、アリスを咎めに来たに違い無い。
そのことはいい。罪を犯したのは事実なのだから。
ただ、霊夢に合わせる顔が無かった。
あの雪の日、霊夢を受け入れていれば、結果は変わっていただろうに……。
「アリスー。開けてくれない?」
もはや、過去のことを顧みても始まらない。
罰は、甘んじて受けねばらないだろう。
アリスは意を決して、玄関を開いた。
「ごめんなさいね。両手がふさがっちゃって」
「よう。お邪魔するぜ」
「えっ!?」
見慣れた人形たちが床に置かれていった。
「ぜんぶを空中で拾いきれなくて、汚れちゃった子もいるけれど、全員いるはずよ」
「なんで……?」
「なんでって、大事な友人たちだって、まえに話してくれたじゃない」
「そうじゃなくてっ……! 私、取り返しのつかないことをしちゃったのに! なんで責めないの!?」
「アリス」
霊夢は、アリスの頭に手を置いた。
「失敗の一つや二つ、誰にだってあるわよ」
「でも……」
その慰めを使うのも、事の程度による。
あきらかな殺意を持った存在を生み出して解き放つなんて、どう償っていいのかわからない。
それにおそらく、あの少女を抑えてくれたのは、この二人。
自分の不始末を他人に押しつけるなんて、恥知らずもいいところだ。
「いいのよ、気にしなくて。友人の尻拭いをするなんて、当然のことでしょ?」
「え……?」
戸惑うアリス。
気恥ずかしそうに視線を逸らす霊夢。
そんな二人を、にやにやと笑って見守っている魔理沙。
やがて霊夢は、アリスに左手を差し出した。
「みんな、不完全なのよ。いら立つことだってあるし、理不尽な怒りを他人に向けてしまうときもある。だから、完璧であろうとする必要は無いのよ。いいのよ、不完全で。私も、魔理沙も、アリスよりもずっと早くに死んでしまうけれど、生きているうちは、不完全なアリスを愛すると誓うわ」
「あ……」
アリスの頬を、一筋の涙が伝う。
差し出された霊夢の左手を握ると、涙腺が臨界点を超えた。
ぼろぼろと、両目から七色の粒が流れ出てきて止まらない。
嗚咽が漏れる。
子どものように泣きじゃくる。
みっともない。
でもなぜだろう。
こんなみっともないわたしが、ちょっぴり好ましくも感じる。
(そっか。いいんだわ、これで)
泣きたいときには泣く。
怒りたいときには怒る。
好きな人たちと語り合い、好きな歌を口ずさみながら、わたしが、こうしたいと思う方向へ、この身を運んでいく。
わたしには、そのくらいがちょうどいい。
※
「終わりましたね」
「そうね」
「まさか本当に、スペルカードだけで異変を解決してしまうとは。霊夢には恐れ入りました」
「そうね」
「紫様」
「なによ?」
「いえ。お顔の色が、だいぶ優れないなー、と」
藍は、できうる限り、主人を観察しないように努めた。
目は充血して唇は青く、雪よりも白くて美しいという自慢の肌は、やや紅潮している。
それもこれも、霊夢を心配するが故である。
霊夢が傷を負ったときなど、激高して飛び出して行きそうになったのを、藍に羽交い絞めにされて止められたほどだったのだ。
「紫様。今後は、もう少し霊夢に、素直に接してあげても良いのではありませんか」
霊夢の、そして紫の精神衛生のためにも。
「それは、私が演じるべき役じゃないわ。行きましょう」
「はい」
主従は、アリスの家に背を向けて歩き出した。
「ところで、アリス嬢の処分はいかがしましょうか?」
「そうねぇ。問題を起こしたのは事実だけど、諸般の事情を鑑みれば、観察処分が妥当かしら。お目付け役は、博麗の巫女にやってもらいましょう」
「御意」
藍は、頑固に妖怪の賢者たらんとする紫の背中を眺めながら、スキマ空間に入って行った。
※
「えっ。幻想郷縁起に、記録しないでほしいとおっしゃるんですか?」
稗田阿求は、筆を止めた。
「しかしですねぇ……」
腕を組んで難しい顔をする。
阿求のまえには、霊夢と魔理沙が正座をしている。そしてアリスが畳に両手をついて、深々と頭を下げていた。
「初めて、スペルカードだけで解決された異変ですし。歴史の転換点として、公の記録を残さないと……」
先日の騒動は、すでに妖怪や一部の人間たちの知るところとなっていた。
里人の不安をあおらぬように、事実を知っている者には、口外することを禁じられていたが、阿求は役柄上、この出来事を正確に記録して、後世に伝える義務があった。
「そこをなんとかっ!」
アリスは頭を下げたまま、ずりずりと阿求に這い寄った。
「ひぃっ!」
後ずさった阿求がつづらにぶつかると、中に入っていた小物や化粧品が散らばってしまった。
「おっと。失礼しました」
箱を適当に重ねて、つづらの中に戻す阿求。
「模様替えでもしてるの?」
霊夢は不思議がって、阿求の私室を見渡した。
整理整頓が行き届いていると言えば聞こえが良いが、妙に殺風景だ。
調度品とか掛け軸とか花瓶とか、部屋を飾るものはすべて片づけられていて、広い部屋に、机だけが置かれてる。
「え、ええまぁ、そんな感じです。はい。そんなことよりも、いまはアリスさんの件でしょう」
ぼんやりと応え、はぐらかそうとしたのが怪しい。だが、阿求が言うように、今日はアリスの件で訪ねて来たのだから、霊夢は追求することをしなかった。
「記録には残さなくても、記憶には残ってしまいます。記憶には尾ひれが付くものですから、過不足の無い形で、幻想郷縁起に記録したほうが良いというのが、私の意見です」
「うぅ……」
反論の余地が無い正論であった。
「それに、下手に隠そうとすると、かえって里人の邪推を招くことになりますよ」
「あー。里人のことは大丈夫だと思うわよ」
霊夢は、阿求に新聞を手渡した。
「えーと。〈森の魔女、魔術の実験に失敗!〉。これは?」
「文の捏造記事よ。あの大騒ぎを隠しきれるはずが無いからね」
「なるほど。それで先手を打ったわけですか」
「だが、射命丸が、おもしろおかしく脚色したせいで、アリスはドジな魔女だっていう噂が広まってしまったがな」
今日、阿求の屋敷にやって来るときも、里の人間はアリスを見つけるや、くすくすと笑い合っていた。
ドジっ娘魔女として認識されるか、それとも、異変の首謀者として認知されるか。という二択を迫られたアリスは、背に腹は代えられず、恥を忍んで前者を選んだ。
「うぅぅ。もう嫌ぁ……。なんであんなことをしたのかしら……」
頭を抱えて悶絶するアリス。
「まぁなんだ。こうやって、本人も後悔してるわけだし、便宜を図ってやってくれないか?」
「はぁ。そこまでおっしゃるなら……。ですが、霊夢さんも魔理沙さんも寛容ですね。かなりの大事だったと推察しますが」
「大事なんてもんじゃない。いま考えても背中がうすら寒くなる」
けらけらと魔理沙が笑うと、アリスは肩身を狭くして小さくなった。
「それじゃあ、悪いけれど、よろしくね」
霊夢は、アリスと魔理沙を伴って、阿求の屋敷を後にした。
阿求は約束を守り、この異変のことは、自分の日記に記すだけにしてくれた。
これでこの一件は、正規の幻想郷の歴史から除外されたのだった。
「霊夢、魔理沙。本当に、なんて謝ったらいいか……」
アリスは、うなだれたまま歩を進めた。
スペルカードルールを無視してくる相手に、スペルカードルールを遵守して戦いを挑むという危険を冒したのに、二人のことは、公の歴史に残らない。
霊夢と魔理沙には、頭を上げることができない。
「いいのよ。歴史に名前を残したところで、神社の賽銭が増えるわけじゃなし」
それどころか、スペルカードのみで敵を封殺した霊夢は、めでたく、鬼巫女の異名を授かり、よりいっそう、妖怪たちに気に入られることになった。
おかげさまで、博麗神社には妖怪がはびこり、以前にも増して、人間が近寄りにくい場所になった。
理不尽なものだ。
力を尽くして異変を解決したというのに、なーんにも得をすることは無い。
(でも、そういうものなのよね)
霊夢は思った。
生きるっていうことは、徒花みたいなものだと。
必死になって、なにごとかに力を注いで花を咲かせてみても、その実は、まったくのからっぽなのだ。
それでも、気高く咲く。
何度でも、花を咲かせる。
そのことに、意味など無い。
花を咲かせるために、労力をかたむけるそのことが、生きるっていうことなんだろう。
そう考えれば、霊夢の心は、空を飛ぶほどに軽くなったのだった。




