終
やがて、幻想郷に春が訪れた。
命の息吹が感じられるこの季節に、結子は、無事に出産という大仕事を成し遂げて、女児を産んだ。
「それでは、しばしの間、ご静粛にお願いいたします」
霊夢は厳かに夫婦に告げた。
小声で祝詞を唱えてから、文箱の上で印を結ぶ。やがて、丁寧に紐を解き、中に入っていた和紙を広げた。
「命名、真友。新たな命が、健やかに育まれることを、祈念いたします」
新たな命に名を吹き込んだ霊夢は、その名が書かれた和紙と、成長安全のお守りを母親である結子に手渡し、深々と一礼した。
結子の腕には、赤子が抱かれている。
和紙とお守りを渡すとき、つぶらな瞳で霊夢を見つめていた。
「綺麗な名前。ありがとう。霊夢ちゃん」
「いやぁ、本当に良い名だ。やっぱり霊夢ちゃんに任せて良かったよ」
夫妻は、満足そうに何度もその名を眺め、霊夢に礼を述べた。
(喜んでくれて、良かったわ)
霊夢は安堵した。
(本当に、綱渡りもいいところだったわね)
最初は、書き置きを残してから戦いに臨もうかと考えたが、その書き置きが開かれるときは、霊夢が命を落としたときだ。
子どもに、死人が残した名前が与えられるのが縁起が悪いような気がして、書き置きするのをやめた。
それが結果的に、霊夢の命を救うことになったのだ。
感慨に浸った霊夢は、しばらく、結子と子どもがじゃれ合っているのを見守っていた。
すると、ぞわり……、と、胸の奥から、嫌な感情が沸いてくるのを感じた。
(嘘……)
霊夢は、自分に失望した。同時に、アリスが生み出した少女を思い出した。
もしもこの感情が大きくなったら、霊夢も、あんな魔性を生み出してしまうかもしれない。
(もう、ここに来るのは、やめた方がいいのかな……)
この場所を失うのは悲しいが、この人たちを傷つけてしまうようなことがあれば、そちらのほうが、霊夢にとっては悲しいことだ。
(そうね。それがいいわ)
霊夢が、しばらく会いに来れないと口にしようとしたそのとき。
「霊夢ちゃん。抱いてみる?」
と、結子が、霊夢に尋ねてきた。
「おお、そうだな。なんて言っても名付け親だ。第二の母親も同然なんだから、一度は抱いてもらわなきゃな」
結子の近くに侍っていた洋壱が、赤子を受け取り、そして霊夢の方へと近寄って来る。
「えっ!? ちょっ……、待っ……、いえ、そのっ……!」
夫妻の好意はありがたいが、この胸の内にある感情が、どう働くか分ったものではない。万が一にも、子どもを害してしまったら……。
「もっ、もし落としたりしたら、大変ですから!」
もっと、ましな言い訳はできなかったのかと、霊夢は自分に呆れながらも、ようやく辞退の言葉を口にすることができた。しかし、
「大人しい子だから、しっかり支えてやれば、大丈夫だよ」
洋壱はそう言って、慎重に赤子を霊夢に近寄せてきた。
霊夢は、すがるような視線を結子に向けた。それに気づいた結子は、口元に手を当てて上品にほほ笑んでいる。
(結子さん! 笑ってる場合じゃないですよ!)
せっかく授かった子宝を、自分は害してしまうかもしれないのに、なにを笑っているのか。洋壱が、赤子をあずけようとしてもなお、霊夢は、あたふたと慌てふためいていたが、
「大丈夫よ。霊夢ちゃん」
そんな霊夢の気持ちを察したかのように、結子は言った。
いつもの、優しく、穏やかな声でだ。
「は、はい」
すると、霊夢は、落ち着きをとり戻し、近くに寄せられた赤子の顔を覗き込むことができた。
産まれたばかりの赤子は、男性か女性かという認識をしにくいけれど、霊夢はその子どもを、すぐに女性として認識することができた。
優しい瞳が、結子にそっくりだったからだ。
そんな、結子そっくりの優しい瞳と目を合せれば、霊夢の胸の内は、さらに静まっていく。
ゆっくり、ゆっくりと赤子に手を差し出していった。
「右の腕を、枕のかわりにするように。そうそう。まだ首が据わっていないから、それだけ注意してくれればいいからね」
洋壱に教えられながら、霊夢は、おっかなびっくりと赤子を受け取った。
そして洋壱が手を離せば、とうとう霊夢は、自分だけで赤子を抱くことになってしまった。
(ああ……、大丈夫かな……)
自分の嫌な感情が暴れ出さないかと、びくびくしていると、赤子は、きゃっ、きゃっと、笑い声をあげた。
「あら? あんまり感情を、表に出さない子だと思っていたのに」
結子は、驚いたような声で言った。
穏やかに笑うことはあっても、こうして、声をあげて笑ったのは、初めてのことだと。
「結子は、ひとりっ子だっただろう? いつも、姉や妹がほしいって言ってたから、この子にも、そんな願望が遺伝したんじゃないのか?」
「そうね。そうかもしれないわ。霊夢ちゃん。これからも、この子をかわいがってあげてね?」
霊夢は、一瞬の逡巡の後に、
「はい」
と、答えてしまった。
そんな、一連のやりとりを理解したのか、赤子が再び、嬉しそうな笑い声をあげた。
(呑気なものだわ。これだから、子どもってやつは……、あっ!)
そのとき、霊夢は、なにかに気づいた。
(そっか。私が子どもを、うっとうしく思うのは……)
それは、子どもだからという理由で、感情のおももくままに、好きなように大人に甘えることができるからだ。
霊夢は我慢をしているのに、子どもたちは自由奔放に生きている。
それがうらやましかっただけなのだ。
それに気づくと、ほっとしたような、情けないような、変な気分になった。
大人の真似事をして、自分のやり方に取り込んで、精神的には大人のつもりだったのに、まだまだ自分は子どもなのだなと。どれだけ表面をとり繕っても、霊夢も普通の人間なのだなと。
「いやあ、本当にめでたいよ。これで、この子は晴れて真友ってわけだ。良い名前に、良い姉。この子は幸せ者だよ」
「本当にね。霊夢ちゃんのおかげよ。良かったわね、真友」
夫妻に、手放しで褒められた霊夢の頬は、火がついたように熱くなった。それに加え、
(二人とも、そんなに、真友、真友って……)
夫妻が、自分の付けた名前で子どもを呼んでいるのが、異様に恥ずかしい。
霊夢は思わずうつむいた。しかし、そこには真友の顔があり、赤面した霊夢の顔を覗き込んでいた。
(あんた! なんで、そんなところに居るのよ!)
反射的に、真友をにらんでしまった。
まずい。と、霊夢は慌てたが、真友はおびえるどころか、優しげな笑みを浮かべて霊夢を見つめた。
「ああもう。なんだってのよ!」
とうとう霊夢は、素の姿を表に出してしまった。
すると真友は、これまでにないくらいの大声で笑い、そんな霊夢と真友の姿を見た夫妻も、声をあげて笑った。
※
愉快な一幕が落ち着くと。
「あなた。霊夢ちゃんと二人で話しがしたいから、真友を散歩に連れて行ってくれる?」
「いいとも。真友。行こうか」
快諾した洋壱は、霊夢から真友を受け取って、近所から祝いの品として贈られた乳母車に乗せて、外に出ていった。
霊夢が、その後ろ姿をなんとなく眺めていると、
「霊夢ちゃん。もうちょっとこちらへ……」
産後で、まだ安静にしていなければならない結子は、布団から出ることができない。そこで霊夢を近くに呼んだ。
(結子さん。雰囲気変わったな……)
間近で結子の顔を見ると、それに気づいた。
もともと、落ち着き払った雰囲気の結子だが、さらに物腰が落ち着いたように感じた。
子どもを産む際の痛みや苦しみを、男性が味わった場合、命を落とす。なんて言う人もいる。
それが実際は、どれほどの痛みなのかは、体験した者でないとわからないが、命を産むという行為は、それだけ大変なのだということは想像できる。
霊夢といえ、結子といえ、方向性は違っても、近しい時期に、浮世離れした体験をした。
この二人にも、浅からぬ因縁があるのだろう。
「詳しい事情は知らないけれど、大変だったんでしょう?」
「いえ。それほどでも……」
産後の結子に、心配をかけてはいけないと、霊夢は、胸の内にあるものを隠した。
肩に受けた傷は、もう痛くは無い。
傷跡は残っているけれど、小さくなっていて目立たない。
でも結子は、手のひらを傷跡に当ててきた。
「痛かった?」
「大丈夫です。木の枝にひっかけただけなので……」
「そう……」
結子は、傷跡をさすってくれた。
たんこぶを作ってしまった子供の頭を撫でるように。
じんわりと、結子のぬくもりが伝わってくる。
心地が良かった。
なぜだか、涙腺が緩んできた。
感情が動いているわけじゃない。
むしろ、心は安らいでいる。
それなのに、瞳がうるんでくる。
「霊夢ちゃん?」
「はい」
「大変だったんでしょう?」
「はぃっ……」
消え入りそうな声で本音を漏らすと、視界がゆがんで、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。
いまさらになって自覚した。
自分が渡った綱は、糸のように細かったことを。
もし、書き置きを残していたら。
もし、結子から子どもの名付け親になってほしいと依頼されなかったら。
もし、夢想封印が効かなかったら。
なにかが、一つでも違っていたら……。
「がんばったのね。偉いわ」
結子は、一気に押し寄せてきた霊夢の反動を受け止めるように、霊夢の身体を抱き寄せてやった。
「怖かったでしょう?」
「こわかった……。とても、こわかった……」
霊夢は結子の首に手を回し、肩に額を押しつけて、震えながら大声で泣き始めた。
「いいのよ。それで」
そう言って結子は、霊夢の背中をさすってやった。
それが普通なんだよと。
そうやって、自分を受け入れられるのは凄いことなんだよと。
霊夢の気が済むまで、いつまでも、いつまでも、霊夢の真心を受けとめ続けた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本作は、何回、描き直しても納得がいかず、今回もまた、これで良かったのか、もっとできることがあったのではないかと反省しきりです。
技術的な描写の面を語ればキリが無いですし、細かい話になってしまうので割愛いたしますが、簡潔に申し上げれば、作者はどこかで、「作品に全力を注ぎこむ」ということを怖がっていたように感じます。
それは決して手を抜いているわけでは無く、一種の自己防衛手段であったのだろうなと自己分析しているところです。
すべての力を注いだ作品を誰かに見てもらうこと。それは〝わたし〟という存在を誰かに見てもらうという行為でもあると思います。
そしてそれを否定されるということは、自らを否定されるということです。
だから本気を出さずにいれば、〝わたし〟という存在を効率よく守ることができます。
ただやはり、心や本能というのは正直なもので、たとえ、少しくらい〝わたし〟が消耗したとしても、ちゃんと能力を使いたいという欲求は、常にくすぶり続けて消えることはありません。
そして、何度も本作を描き直すにつけ学んだことは、作品に全力を注いだとしても、どうせ、数日も経てば反省点が見つかって、また描き直したい、もう一回、一合目から登りなおしたい、という衝動に駆られてしまうということです。
作者の好きな言葉のひとつに、【一生というのは今日という日をさす】というものがございます。
今日、一日だけ咲いて散り、また咲く。
その行為に、さしたる意味など無いのだと思います。
まさに徒花です。
おそらく本作も、いずれまた描き直すことになるでしょう。
つぎは、ちゃんと売りものになるくらいの質を付与したいと考えております。
それに対して、みなさまがお金を出してもいいよと感じてくれるかどうかは別問題ですが、ただそうして、質を追求し続けるのが、作者が背負った業なのです。
長くなりました。
現在、配信活動においては、回線の弱さがいかんともしがたく、録画した動画を実況動画として投稿しております。
初めての動画作成に四苦八苦しながら、少しずつ、できるところを増やしているところです。
やはり、そうして「みなさまに」見ていただく、というのが、小説同様に上達の近道なのかなと思います。執筆活動ともども、成長を見守ってもいいよという方は、ぜひ、ユーチューブのほうにも遊びにいらしてください。
それでは、本作はこれまでにさせていただきたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




