(3)
食卓には、目刺し、里芋と長ネギの煮つけ、青菜のおひたし、白菜の浅漬けが並んでいた。
簡素な料理だけど、結子の隣で手伝いをしていた霊夢は、どれも、丁寧に調理されていて、結子の真心が籠っていることを知っていた。
「旨そうだ。いただきます」
洋壱が、料理をまえにして両手を合わせると、結子は徳利を差し出して酌をした。
彼も、妻の心遣いをちゃんと感じているようだ。
あるいは、こうして感謝の意を表さないと、お酒が出てこないから、儀礼として行っているのかもしれない。
なぜなら、酌を終えた結子は、やや大きめの徳利を、自分の隣に置いたからだ。
酒は、結子の管理下にある。
晩酌を楽しみたければ、まず、食事を整えた妻に感謝せよ。と、もの言わず圧力をかけ、贈ってほしい言葉を夫から引き出す。
偶発的な力には頼らない。欲しいものがあるならば、自力で手に入れようとする。
そこに、結子の芯の強さが垣間見れるのであった。
「霊夢ちゃんは、ご飯が良いかしら? それとも、こっち?」
結子が徳利をかかげながら尋ねてくると、霊夢は思わず、ごくっと喉を鳴らしてしまった。
「ご、ご飯を……」
夫婦団らんの邪魔をしているうえに、酒をたかるようなことはできない。
自制心でもって、霊夢は己の欲を制御しようとしたのだが、結子は杯を霊夢に持たせて、酌をしてきた。
「霊夢ちゃん。我慢のしすぎは体に毒よ」
「そうそう。さぁ、遠慮せずにやろうじゃないか」
杯が酒で満たされるのを眺めていた霊夢は、
(ええい、このうえ、遠慮なんかしても見苦しいだけだわ!)
洋壱と、軽く杯をかかげ合い、両手で上品に口元に運び、くいっと顔をのけぞらせながら、喉に酒を通した。
「ほお……」
洋壱は感嘆の声を漏らした。酒を呑み慣れているだけでなく、酒が好きなのが、伝わってくる呑みかただったからだ。
「いやぁ、若い子と一緒だと、酒も余計に旨くなるな」
杯を口から離した洋壱は、言ってしまった。
瞬間、結子は洋壱を、ぎろりと睨みつける。
洋壱は、霊夢が恐縮しないように、また、いつもと違う食卓の雰囲気を和ませようとして軽口を叩いたのだろうが、少しばかり口が軽くなりすぎた。
結子はいま、妊娠中のために酒は控えており、久々に女性と一緒に酒が呑めるのが、彼は嬉しかったのだろう。
「あ……。いやあ、はっはっは」
洋壱は頭をかきながら、笑って誤魔化したが、結子はまだ不満そうだった。
そんな二人のやりとりに、霊夢は、くすりと笑んでみせたので、彼の命がけの軽口も、無駄ではなかったようだ。
(煮つけは、お酒に合うわね)
じっくりゆっくり煮込まれた里芋は、固くも無ければ、煮崩れもしてない。煮汁の味がしみ込んでいて旨いし、里芋特有の、ねっとりとした食感も楽しい。
霊夢は、里芋を食しながら、杯をかたむけた。
「実はね、霊夢ちゃんに、お願いしたいことがあるの」
みなで、食事に箸を伸ばし合っていると、結子が口を開いた。
「なんでしょうか」
ぐびっと酒を呷りながら応じる霊夢。お酒の力もあって、他人の家で晩酌しているという緊張がほぐれてきたようだ。
「うちもね、ようやく子宝に恵まれたでしょう?」
「はい」
結子が、霊夢に酌をしてやりながら言うと、思わず霊夢は、視線を伏せた。
この家に子どもができたなら、自分は、これまでどおりに結子に接することができるのだろうか。
結子が、霊夢よりも自分の子どもをかわいがっているのを見て、平静を保っていられるだろうか。
結子の子どもに、良くない感情を向けてしまうかもしれない自分が、怖い。
そんなふうに、自分のことしか考えられない自分が憎らしい。
こんな精神的に未熟な人間に、今後も博麗の巫女なんていう大役が務まるのだろうか。
自らを責めているうち、心の闇に沈んでいきそうになる。
(いっそ、紫の言葉に乗っかって、博麗の巫女を返上してしまおうかしら)
そうして、ただ一人の人間になれば、年齢相応にわがままを言ったり自分勝手ことを考えても、いまよりは抵抗が無くなるだろう。
博麗の巫女なんていうややこしい肩書を背負っているから、魔理沙ともアリスとも、そして結子とも、いい具合の距離感で接することができないのだ。
「それでね」
と、言葉を継いだので、霊夢は我に返った。
「霊夢ちゃんに、この子の名付け親になって欲しいの」
その結子の言葉に、霊夢の理解は追いつかない。
「わ、私が……、ですか……? その……、結子さんの子どもの、名前を……?」
霊夢は自分を指さし、しかるのちに、結子のお腹を指さした。
人差し指の先が、緊張で震える。
「なんだい。坊さんや神主さんが、子どもの名付け親になるのは、めずらしいことじゃないだろう。幻想郷には神主さんはいないが、代わりに、立派な巫女さんがいるじゃないか」
洋壱は、戸惑っている霊夢を励ますように、朗らかな声色で言った。
「り、理屈は合っているかもしれませんけど……」
霊夢のような未熟者が、新たに産まれてくる命の名付け親になって良いわけがない。
まだ産まれてもいない子どもに対して、嫉妬の感情を抱きかねない霊夢なのに。
魔理沙のことも、アリスのことも、なんにも解決できない、役に立たない巫女なのに。
「なにも、心配することは無いわ。霊夢ちゃんなら大丈夫よ」
結子は、自分のお腹をさすりながら、優しい声色で言うと、霊夢に微笑を向けた。
紫も、こうして霊夢のことを持ち上げて、霊夢を意のままに操ろうとしてくることがある。でも、結子の仕草からは、霊夢のことを信頼しているという、そのことだけしか感じられなかった。
霊夢は、ほんの一瞬だけ目をつむり、そして、座布団から畳へと体を滑らせて背筋を伸ばすと、
「お受けいたします」
そう言って、夫婦に一礼した。
自分の中にある感情のことなど、この際どうでも良い。
こうして、自分を信じてくれる人たちがいる。その事のほうが、すごく大事なことなんじゃないだろうか。
その直感に、霊夢は従ってみることにした。
「おいおい、霊夢ちゃん。そんなに力まなくても……」
自分よりもはるかに年下の霊夢に、かしこまって頭を下げられてしまったことを、申し訳なく感じた洋壱はそう言ったが、結子は、
「いいのよ。霊夢ちゃんは力めば力むほど、大きな力を発揮できる子なんだから」
くすくすと含みのあるような笑みを漏らしながら、
「ね?」
と、少しだけ意地の悪い視線を送ってきた。
(あ、いまのは紫っぽい)
自分の内面を見透かし、そして霊夢の意思とは裏腹に動いてしまうその内面を利用するとき、紫は結子がしたような含み笑いをする。
(だけど……)
こういう駆け引きならば、いつでも大歓迎だと、霊夢は結子に笑みを返した。




