(4)
「どうしたのよ。こんな雪の中」
空は、容赦なく雪を送り込んできている。
霊夢がかぶっていた網代傘や肩にも、雪が積もっている。霊夢は、それを手で払いのけた。
「入る?」
「ええ。上がらせてもらうわ」
「藍と、橙は?」
「今日は、私一人よ」
「そう」
短いやりとりをして、廊下を歩く。
二人は居間に着座した。
ちゃぶ台を挟んで、向き合うと、
「こんな寒い日に出かけるなんて、体は大丈夫なの?」
紫は、ゆったりと口を開いた。
紫がゆっくりとしゃべるのは、めずらしいことでは無い。
気品とか、優雅さを意識しているということもあるが、それ以上に、しゃべりすぎないように気をつけているのだ。
いったん口から出てしまった言葉を、口の中に戻すことはできないからだ。
話している相手に、どのくらいの情報を与えるか、どのくらい本音をうち明けるのか。紫は、常にそのことを意識しながら話しているのだ。
だから、油断がならない。
「どうしたのよ? 紫に体のことを心配されるなんて、ぞっとして風邪をひいちゃうわよ」
霊夢は明るく笑って、火鉢に火を入れてやかんを置いた。
笑いながら、紫のねらいを推理する。
腹になにを抱えているのだろうかと。
「きっと、私の責任なのね……」
「あん? なんて?」
紫が、つぶやくように、ぼそぼそとしゃべったものだから、よく聞きとれなかった。
どことなく、今日の紫はおかしい。
雪の中に立っていたせいなのだろうが、異常に白くて美しい肌が、一段と白い。
口調も、ゆったり喋っているというよりは、重々しいと表現したほうが近い。
そしてなにより、紫の最大の特徴である、尊大なオーラが薄い。
霊夢の体を心配していたが、具合が悪いのは紫のほうではなかろうか。
(まぁ、紫のことだから、体調が悪くたって隠すんだろうけど)
相手には、絶対に弱みを見せない。逆に、相手が弱みを見せたら徹底的にそこを突く。
八雲紫というのは、そういう奴。
汚いとか、ずるいとは思わない。
紫とつき合うことで、そういうしたたかさを学ぶことができているのだから。
「霊夢。今日はね……」
「ええ」
やかんのふたが、かたかたと揺れ始めたので、霊夢はやかんを火鉢から離して、鍋敷きの上に置いた。
「本音で話したいと思って来たの」
「へぇ。そうなの」
熱湯を急須に注ぎ、茶を煎れた湯飲みを、紫のまえに置いた。
紫の言うことは、これっぽっちも真に受けていない。
当然である。
本音で話したいとうそぶいておきながら、自分は本音を隠し、相手からは本音を引き出す。
こんなものは、交渉戦術の基本だ。
「霊夢」
茶には目もくれず、紫は、きりっと目を吊り上げて、霊夢を見つめてきた。
「これは、建前じゃ無いの。八雲紫の名に誓ってもいい」
霊夢は、湯飲みを持ち上げようとした手を止めた。
この殿上人のごとく尊大な一人妖怪が、己の名に宣誓するとは、ただごとでは無い。
ぐびりと茶を飲む。
冷えた体に、熱い茶が染みる。
「率直に言ってちょうだい。博麗の巫女の肩書きが、貴女の邪魔をしていない?」
「なに言ってんの?」
どうしてそんなことを聞くのだろうか。
本音で話そうと言っていたくせに、結局、紫の真意がどこにあるか、霊夢にはわからなかった。
「ごめんなさい。回りくどかったわね。はっきり言うわ」
紫は、一度、視線を落とした。
顔を上げて、霊夢を見据える。
神妙な面持ちである。
「貴女が望むなら、博麗の巫女を交代させてあげてもいいと思っているの」
「え……」
霊夢は、すぐに反応することができなかった。
そうして、だんだんと霊夢の身体が小刻みに震えはじめる。
「ゆ、紫……。なに……、を……?」
急激にのどが渇いてきて、湯飲みに残っていた茶を一気に飲み干した。
霊夢が霊夢としてこの世に存在できるのは、博麗の巫女だからだ。
博麗の巫女であることが、霊夢の存在意義。
それをはく奪するということはが、どれほど残酷なことなのか、紫はわかってくれていると思っていたのに。
「勘違いしないで。貴女を、幻想郷から追放しようというのでは無いの。もちろん、博麗の性は返してもらうけれど、巫女を交代して、ただの人間として、幻想郷で生をまっとうしてかまわない」
「だって、そんなことをしたら、どうなる……。……!」
霊夢は、それに気づいてしまった。
どうなるのかに。霊夢が博麗の巫女を辞めたら、ただ一人の人間となったら、どうなるのかに。
もう、博麗の巫女と、個人的な感情の狭間で迷うことも無くなる。
博麗の巫女の役に縛れることが無くなり、自己の責任において、自由に行動することが許されることになる。
「勘違いしないでほしいのは、貴女の能力に不満があるから、こういう話をもちかけているわけじゃないということよ」
「だったら、なんで!」
「理由なんて、どうでもいいじゃない。貴女にとっては、悪い話では無いのだから」
「でも、紫……」
なんだかんだあったけれど、紫とは、浅くない縁で結ばれた仲だった。
こんな突飛に解消できるようなものじゃ無いだろう。
「すぐには考えがまとまらないでしょう。後日、返事を聞かせてちょうだい」
紫は、スキマの中に消えた。
居間に残された霊夢は、しばらく呆然としていた。
さっきまでのことは、現実だったのだろうか。
にわかには、そうとは信じられない。
紫が口をつけなかった湯飲みを片づけようと、手を伸ばした。
お茶は、すっかりぬるくなっていた。




