(3)
アリスは胸を突かれた。
風にあおられているだけだと思っていたドアが、一定のリズムを刻んで鳴っている。
これは、外からのノック。
他人の部屋や家を訪ねるときにする行為。
すなわち、アリスの家を訪問して来た者がいるということだ。
そんなあたりまえのことを、いちいち確認しなければならないほど、アリスは混乱していた。
「アリスー」
こんこんと、樫の樹で作られたドアが鳴る。
その向こう側から、しばらくぶりに聞く声が、アリスを呼んでいる。
「れいっ……」
アリスは、両手で口をふさいだ。
なぜだか、ここにいることを、霊夢に知られたくなかった。
暖炉の中では、くべたばかりの薪が燃えている。
煙が煙突を伝って、外に放出される。
声を殺したところで、煙突から流れ出る煙が、在宅であることを霊夢に知らせてしまっている。
(ど、どうしたら……)
立ちすくむ。
なにを迷うことがあるのだろう。
ドアを開けて、顔を見せてやれば良いだけのこと。
それだけのことなのに、アリスの足は、床と鎖でつながれたように動かない。
ドアは、小気味良い音を立てている。
「アリス―?」
向こう側からは、霊夢が声をかけてくる。
なぜ。
どうして。
こんな雪の中、なんの用事があって、訪ねて来たのだろう。
好奇心が、わずかにうずく。
が、アリスはすぐに、それを振り払った。
じっと立ちすくんだまま動かなかった。
私は、ここから出てはいけない。
大人びていて、落ち着いている、アリス・マーガトロイドという魔女。そんな仮初の姿は、いつか、洞察力の鋭い霊夢に見破られてしまう。
その着ぐるみを剥がされてしまったら、残るのは、短絡的で、激情的な、子どもみたいなアリスの素面。
穏やかで、小春日和を連想させる、あんな魅力的な女性と親しくしている霊夢なのだから、そんなアリスの素顔を知ったら、幻滅させてしまう。
そしてアリスも、そんな顔を霊夢に知られたくない。アリス自身も、そんな自分の顔を見たくない。
アリス分身である人形たちと一緒に、この家に閉じこもっていれば、たとえ仮初だとしても、アリスは慈悲深い大人の女性でいることができる。
誰にも迷惑をかけることも無く、アリスも嫌な思いをすることも無い。
(それなのに、どうしてっ……)
どうして、気持ちはドアのほうに向いてしまうのだろう。
あるいは、霊夢に、もう来ないで欲しいと拒絶を告げることができないのだろう。
部屋のカーテンは閉じていない。閉じようともしなかった。
それが、アリスの本心なのだ。
嫌な思いをするかもしれない。
自分の醜い部分を見ることになるかもしれない。醜い自分を他人に知られることになるかもしれない。
他人と自分を傷つけてしまうかもしれない。
そんな恐怖を抱えてなお、アリスの心は、本能は、外の世界への好奇心を捨てきれない。
好ましいと感じる人とつながりたいという気持ちを断ち切れない。
ノックの回数が減っていく。
音も、小さくなっていく。
アリスの名を呼ぶ声が聞こえなくなってきて。
その後は、静けさだけが残った。
どのくらいの時間、立ったままだったかはわからない。
おそる、おそる、玄関のドアを開けて、外を確認した。
白一色の世界だけが広がっている。
ほっとしたような、がっかりしたような、なに味とも言えない感情を抱きながら、アリスはドアを閉めて、鍵をかけた。
「私、なにしているのかしら……」
ソファに腰を下ろした。
外の空気を吸って、頭が冷えたせいだろうか。編みものの続きをする気にはならなかった。
さっきまで、あんなに楽しかったのに。
無視をしてしまった。
居留守なんていう、生易しいものじゃない。
アリスは、霊夢を無視したのだ。
この雪の中、訪ねて来てくれた人を、玄関先に立たせたまま放置した。
「私は、なにしてるのよ……」
幻想郷にやって来て、環境が変わりさえすれば、自分を変えることができると信じていた。
だけどもう、なにをどうしても無駄なのだ。
こんな自分が、この世に存在する価値があるのだろうか。
(いえ。まだだわ)
まだ、できることがあるはずだ。
「たしか、この魔導書に……」
アリスは、本棚にしまってあった、一冊の魔導書を開いた。
※
今朝がた、霊夢はひどい胸騒ぎに襲われた。
先日、アリスの家を訪ねて行ったときと同じ……、いや、それ以上のものだった。
そういえば、アリスに出会ってからというもの、彼女には、違和感を覚えることが多かった。
体とか、顔とか、見えている部分は、大人びていてしっかり者のアリスだけど、その背後に、別の人格が潜んでいるような感じだった。
そこのところを深く掘り下げて考察しなかったのは、霊夢の落ち度だった。
「というよりも、甘いのよね」
アリスが隠しているもの、知られたくないと思っているものを、無理矢理にでも暴くことができなかった。
今日だって、先日よりも大きな胸騒ぎがしたのなら、強引にアリスの家に押し込めば良かったのだ。
でも、それができない。
どこかに、アリスの心証を損ねたくないと思っている自分がいるからだ。
それが、霊夢の甘さ。
先日も今日も、なんでアリスの家を訪ねたのだろう。
博麗の巫女の務めなのか
アリスのことが心配なのか。
答えは、両方だ。
博麗の巫女として、異変の種になりそうな事象を調査することも。
一人の人間として、アリスのことを気にかけることも。
どちらも、霊夢の正直な気持ちだ。
でも結局、何度もアリスの家に通い、アリスとかかわっていれば、いずれは、アリスの中に潜んでいるものの正体を暴いてしまうだろう。
霊夢には、自分の瞳と勘が、尋常では無いという自覚がある。
それでもって、幻想郷に害を与えようとするものを除去するということは、巫女の仕事に分類される。
ならば霊夢は、博麗の巫女として、アリスを調査しているということになる。
違う。
いや違わない。
どちらなのだろう。
わからない。
果たすべき巫女の役割と、個人の感情の狭間で、霊夢は惑っていた。
「あら?」
母屋の入り口に、人影があった。
雪の中につっ立って、空を見上げていた。
「紫」
曇天のせいだろうか。
紫の顔が、陰って見えたのは。




