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竜の翼ははためかない3 〜竜の咆哮よりも強く遠く〜  作者: 藤原水希
第六章 竜の咆哮よりも強く遠く
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チャプター42

〜翌日 ルーヴェンライヒ邸〜


 この日、おばさんは朝から伯爵の邸宅に招かれていた。おじさんが真相を話してくれるという事について、伯爵なりのお膳立てを買って出た、という事である。当然、調査の当事者であるエルリッヒや、その友人であるフォルクローレも同席していた。

 朝、いきなり豪華な馬車の出迎えを受けたおばさんは、慌てて身支度をして、まるで貴婦人のような扱いに戸惑いながらも、馬車に乗り込んでお屋敷に向かった。

 エルリッヒたちはその時のおばさんの振る舞いに笑いをこらえながらも、馬車に同席し、三人で伯爵邸に赴いた。

 エルリッヒにとっては、数日通った、馴染みの道である、



「なんだか落ち着かないねぇ。こんな立派なお屋敷に来たのなんて、初めてだよ」

 生まれも育ちも庶民のおばさんは、慣れない貴族の屋敷にそわそわしていた。その気持ちはエルリッヒもフォルクローレもよくわかるため、優しい目で見ていた。今でこそこの屋敷にも通い慣れたエルリッヒだが、この三百年余り、一度としてこのような屋敷には縁がなかったのだ。

 一方、時に貴族相手の依頼もこなすフォルクローレはといえば、こちらも仕事上貴族や豪商の屋敷に赴く事はあるが、それはあくまで今の話。錬金術士として駆け出しの頃、初めて足を踏み入れた際は、何もかも、それこそ絨毯の踏み心地にすら感動したものだった。

 二人とも竜の王族と祖を辿れば亡国の王族に連なる血筋と、高貴な世界に縁がありそうなものなのに、まるで庶民そのものであった。

 そういうところが、二人の親しみやすい人柄を生み出し、お互いを強く結びつける要因になっていた。

「おばさん、おじさんは書斎で待ってるって」

「あ、そ、そうかい? すまないねぇ。じゃあ、行こうかね」

 相変わらず挙動不審気味なおばさんを促すように、三人は屋敷の奥へと進んでいく。その横を、ハインツが柔和な笑顔で見送る。

「なんだか、この絨毯も歩き慣れてないから、妙な感じだよ」

「あははー、ですよね。わたしも同じでした。こんな立派なお屋敷、今まで全然縁がなかったですもん」

 エルリッヒが生まれ育った竜の巣は、言ってしまえばお城という事になる。だが、当然のようにそれは人間の考えるお城とは違う。洞窟のような巣なのだから、住居とすら思えないはずだ。だから、確かに無縁なのだ。

 そして、これまでの人生でも、貴族の屋敷にはとんと縁がなかった。お城自体は、引越しや移民などの手続きで訪れることもあったが、それも、入れるのはごく一部の区画だけだ。

「ていうか、庶民がこんな家に縁なんかありませんよ、普通。一生涯足を踏み入れる事なんてないんですから」

「だよねぇ」

「あたしも、最初は戸惑いましたよー。今でも、慣れはしたけど自分の住んでる世界とは全然違うって思いますもん」

 ふかふかした絨毯を歩いているだけなのに、会話が途切れない。これが庶民感覚という事なのである。庶民には絶対超えることのできない壁が、この平和で争いの少ない街にも、確かに存在していた。もちろん、それはこの街においては諍いの種になるような事ではないのだが、今まで住んできた国の中には、そういう理由で革命が起こるような事もあった。その点だけを見ても、この国はいい国だと言えるのだが。

「それに、貴族の家って一つの部屋だけで私達の家よりも面積が広かったりしますしね。流れ者の私はともかく、何がこの差を生んだんでしょうね」

「そうだねぇ。難しい問題だと思うよ。あたしらも何十年とこの街に暮らしてるけどさ、貴族様は生まれた時から貴族様なんだ。今の生活に不満はないから、貴族になりたいなんて思った事もないし、そういう道筋があるわけでもないしねぇ。あ、でも、こんなあたしでも、娘時代はお姫様に憧れたものさ。そういうのは、いつでもあるねぇ。あっはっはっは! らしくないだろう?」

「ううん、そんなことないですよ。あたしも子供の頃、お姫様に憧れましたもん。むしろエルちゃんはそういうのなかったの? そっちの方が意外なんだけど」

 豪奢な貴族の屋敷で通路を歩いていると、ついついそういう話題に花が咲く。しかし、その矛先が自分に向くと、エルリッヒはついつい答えに窮してしまう。何しろ幼少時代の事を思い返すと、なぜ自分達だけが他の竜とは違い、他の生き物の姿になれるのか、それが不思議で仕方なかった、という思い出しかないのだ。その生き物が人間という種族で、まるで価値観の違う社会で繁栄しているという事も、一切知らなかったのだ。そもそもが竜のお姫様だった事を除いても、人間のお姫様に憧れるような気持ちは、むしろ人間社会に溶け込んでから、二百数十年前に芽生えたものなのだ。

「あはは、私は周りの子に比べて変わってたから。お姫様になりたいって、あんまり考えたことなかったんだよねー。物心ついてからだよ、そういうの」

 答えに窮するのは事実だが、それは一瞬の事である。何しろ、百年以上も似たような質問を受けているのだから、答えは用意してある。できるだけ嘘の少ない回答を、という事で考えた、もっともらしいものだ。

 事実、誰もこの回答に疑う事はしなかった。

「へぇ〜、変わった子だったんだねぇ。なんか、あたしと逆転してない?」

「そうかも。私の場合、色んな国を旅しながら色んな人と触れ合って、段々価値観が修正されて行ったような感じだけどねー。フォルちゃんは、一体どこでその価値観が培われて行ったのやら」

「ふふ、面白いもんだねぇ。あたしゃどこまでも普通の娘だったよ。今じゃ、こんな変わった娘が二人もできちゃったけどね」

 おばさんには実の娘もいるが、家を出ている。だからか、こうして自分たちを娘のように思ってくれるようなのだが、かたやエルリッヒもフォルクローレもとうに母親を亡くしている。こう言ってくれる事は、とても嬉しかった。

「おばさん!」

「うるうる!」

 二人は左右からおばさんにしがみつく。ついつい嬉しくなっての事だったが、おばさんの困ったような笑顔に、一層嬉しくなる。エルリッヒは以前からおばさんの事を母親のように思っていたし、友人のそんな様を見て、フォルクローレの胸中にも似た様な思いが芽生えていた。

「ちょ、ちょっと」

「まぁまぁ。お嬢様が二人もいたら、大変という事でよいではありませんかな?」

 とはハインツの言葉である。その機転に、おばさんの笑みが一層強くなった。この後修羅場が待っているであろう事は、一時頭の中から消し去って。

「さ、もうすぐ書斎でございますよ」

「おっと、そうだそうだ、そろそろだ」

「ドキドキするね……」

「変な事を言ったら、とっちめてやらなきゃね」

 先ほどの表情とは打って変わって、腕がなるとでも言いたげなおばさんの様子に、ハインツも含めた一同が戦慄する。一体、どんな修羅場を巻き起こすつもりだと言うのだろうか。普段からおばさんの隣人として夫婦喧嘩を目の当たりにしてきたエルリッヒから見ても、今日の様子は恐ろしい。

 願わくは、おじさんが少しでも要領よく事情を説明してくれる事を。いくら自分がフォローに回っても、それには限界があるのだから。

「フォルちゃん、例の薬は大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。ちゃんと持ってきてるから」

 ふと気づけば、フォルクローレは背中にリュックをしょっている。ここに入っているのだろう。出番が来なければ、その方が円満なのだろうが、出番が来て、それが役に立ってくれるのなら、それでも構わない。

とにかく、自体が少しでも丸く収まってくれる事を願うばかりだ。

「到着でございます。この扉の向こうに、我が主とゲオルグ様がいらっしゃいます」

 豪奢な扉の前に、緊張が走る。




〜つづく〜

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