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チャプター39

〜翌朝 エッセン通りに向かう道すがら〜



 ルーヴェンライヒ邸に向かう道のりも、三日目ともあればすっかり慣れた物である。いよいよ調査も終盤かと思うと、足取りは軽い。

 今朝、夕べのお土産の残りを食べながら、この事を切り出した。伯爵が直接おじさんに話してもいいかを確認してくれる事、それを聴きに行く事、内容は一旦こちらで判断させてもらう事。

 おばさんは黙ってその話を聴き、そして承諾してくれた。本当は、今にも駆け出して話を聴きたい所だろう。それをこらえてくれた事に、エルリッヒは深く感謝した。

 今おばさんが出て来ては、恐らく話がまたこじれてしまうだろう。おじさんにはおじさんなりの、ごまかしておきたい理由があるはずなのだ。

 そう言った事の全ては、今日解決する。一体、どんな理由でおじさんは伯爵家に頻繁に出入りし、どんな理由でおばさんにそれをひた隠しにしているのか。本当なら、ワクワクする気持ちと不安な気持ちがごちゃまぜになっている所だが、おじさんの事を信じればこそ、浮気のような事はあるまいと信じられた。

 言うなれば、女の勘である。

「おばさんも、長年連れ添った妻の勘、女の勘が浮気だって言ってたなんて言ってたけどなぁ。はっ! おじさんと過ごして来た年月はともかく、女として生きて来た年数は私の方が十倍くらい長かった!」

 つい二十歳そこそこの娘のつもりで暮らしていたが、実年齢で言えば四百歳前後なのだ。ふいに、立ちくらみに襲われそうになる。

「ド、ドラゴンの生涯からすればまだまだ若い娘だけど……数字だと、とんだおばあちゃんに思われるっ!」

 人間社会で暮らし始めて三百年、思えば、色々な土地で、色々な人々と、色々な出来事を経験して来たのだ。忘れていたわけではないが、気持ちの上でも、まだまだ若いつもりでいたため、外見年齢相当で勘定してしまった。

 人間社会に馴染むどころではない年数を考えれば、自然なのかもしれない。

「へ、凹んでても始まらないし、前進あるのみ!」

 実年齢がどうという話ではない。大事なのは内面だ。だから、見た目だけでなく、心根も若く! そう胸に誓い、足を速めた。




〜ルーヴェンライヒ邸 玄関〜


 こちらもすっかり通い慣れたエッセン通りにあるルーヴェンライヒ邸。相変わらず飛んで行きたいような広大な敷地を抜け、屋敷の前まで赴くと、これまたいつものようにライオンを象ったノッカーを叩く。

「はい、どちら様でしょうか」

 いつものように、ハインツがドア越しに返事をしてくれるので、エルリッヒです、と名乗る。もう三度目だし、今日も訪れる約束は昨日のうちに取り付けてあるため、緊張や不安はない。

「エルリッヒ様ですね? お待ちしておりました」

 という返事とともに、大き重厚なドアが開けられ、屋敷の中に招いてくれる。友達の家というパスポートを手に入れたエルリッヒだったが、ここが「余所の家」であり、「貴族様のお屋敷」である事に変わりはなく、ある程度間取りも把握し、買っても分かって来たとは言え、この瞬間にはいくばくかの緊張が走る。

「おじゃましまーす」

「おはようございます、エルリッヒ様」

 しかし、その緊張も、穏やかなハインツの笑顔と挨拶に、一瞬にして解きほぐされてしまうのだが。

 さらに、その穏やかな気持ちに追い討ちをかけるように、吹き抜けの上からは鈴を転がしたような声が響く。

「エルリッヒさん! お待ちしておりました!」

 エルザである。どうやら、今か今かとエルリッヒの到着を待っていたようで、ノッカーの音を聞きつけて部屋出て来たようだった。当然、自室にいては、ノッカーの音は小さくなり、はっきりとは聞き取れない。それを聴き付けたという事は、よほど静かな環境だったか、よほど耳をそばだてていたかのどちらかになる。いずれにしろ、状況から、歓待する気持ちが強く伝わって来た。

「エルザちゃん!」

 喜色満面の様子に、今にも階段を駆け下りて来そうな気配を察し、比較的動きやすい格好のエルリッヒが階段を駆け上った。立派な赤絨毯の上を走る事には、勿論抵抗がある。目の前のハインツにも、申し訳なく思う。それでも、もしもの時にエルザが怪我をするよりはいい。そう判断した。

 階段を駆け上がったエルリッヒを、挨拶代わりと言わんばかりの、エルザの熱い包容が出迎えてくれた。ちょっとした、洗礼である。

「わわっ、エルザちゃん?」

「ご挨拶、ですよっ! それ以上の他意はありませんから」

 エルリッヒより少し小さいその体に包まれると、ふわり、という感触とともに、屋敷中に漂う花の香りが強くなった。思えば、この香りこそが事の発端だった。事態が随分と進展し、解決に向かいつつある今、とても感慨深いものがある。

「やっぱり、いい香りですね」

「ええ。お母様の好きだった香りですから」

 いくつもの香水を所有し、それぞれの香りの特徴までしっかりと把握しているのにも関わらず、エルザは自身はこの香水しか付けていない。やはり、よほどの思い入れがあるのだろう。

 もっとも、それが元でおばさん夫妻にいらぬ誤解を招いてしまった事もまた、事実だったが。

「それではエルリッヒさん、まずは私の部屋へ参りましょう」

「そうですね」

 エルザはエルリッヒと腕を組むと、自室に連れて行こうとした。しかし、それは突如として遮られてしまった。

「エルザ、部屋に行くのは後にしなさい」

「っ! お父様!」

 ふいに、背後から声をかけられた。伯爵である。

「は、伯爵様、おはようございます!」

 無意識に固くなって、挨拶をする。伯爵の声色が固かったからだ。

「うむ、おはよう」

 昨日の今日という事で、城に出仕しないでいてくれるのだろうか。もちろん、毎日城に向かわなくてもいいのかも知れないし、この後で城に赴くのかも知れない。だが、この日の伯爵は、これまでに見た姿よりもラフな服装をしていた。これが自宅での出で立ちなのだろう。

「お父様、部屋に行くのは後とは、どういう事ですか?」

「今日、エルリッヒ殿がここへ来たはもう知っているだろう? ゲオルグが、君になら話しても良いというのでな。今、一階にいる。当然、来てくれるな?」

「っ! もうおじさんが来ているだなんて。当然です! 会わせてください」

 腕を組んだまま、伯爵に詰め寄る。おじさんに話を聴く、という事は予定していたが、拒否される可能性も考慮していたし、そもそもこんな時間に来ていようとも思っていなかった。何もかもが順調すぎて、何かがおかしいとすら感じる。

 果たして、何かの罠なのか、それとも、ただただ、やましい事が何もないだけなのか。

「彼は一階の書斎にいる。案内しよう」

「ありがとう、ございます。でも、よくおじさんが話す気になってくれましたね。しかも、こんな時間に。どういう風の吹き回しなんでしょうか」

 気持ちは急くが、まずはその前に事情を聴きたい。おじさんの心境の変化を知りたい。そうでなければ、公平な気持ちでは聴けないだろう。おばさんの立場に立っての話と、おじさんの立場に立っての話は、きっと違って感じるだろうから。

「あやつの心境、か。夫人に勘違いさせたままなのが、心苦しいのだろう。いい加減、潮時だと思ったのだろうな」

 手すり越しに、窓の外を見つめる伯爵の瞳は、どこか遠くを見ていた。やはり、伯爵夫人はもう……

 しかし、このように事態が進んで行く所を見ると、おじさんもおじさんなりに、強情を張る事に疲れて来たのだと言う事がよく伝わる。なんだかんだと楽しく過ごしているおばさんとは違う、という事か。

 いや、おばさんだって、似たような気持ちでいるに違いない。

「分かりました、ありがとうございます。それじゃ、案内してください」

「ああ。付いて来たまえ」

 書斎に向かい歩き出す背中を、二人は手を繋ぎながら付いて行った。




〜つづく〜

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