チャプター38
〜ルーヴェンライヒ邸 正面玄関〜
大事な約束を取り付けた、楽しい夕食を終え、ゆっくりとした時間を過ごした後、エルザは伯爵とハインツを伴って、エルリッヒを見送ってくれた。お屋敷お抱えの馬車が、待ってくれている。
「それじゃあ、今日は楽しい時間をありがとうございました」
「こちらこそ。思いがけず素敵な一日になりました! 感謝してもしきれません!」
深々と頭を下げたエルリッヒに対し、エルザはその手を取り感謝を伝える。何不自由のない貴族の暮らしと言えど、埋める事の難しい心の隙間があったのだ。今日は、それを深く知る事ができた。浮気調査とは別件だが、これはこれで貴重な経験だった。
「そんな! こちらこそこんなにおみやげを頂いてしまって。あの香辛料を譲って頂くお許しも。感謝しても仕切れないのは、むしろこっちです!」
手には、数多くのお土産が握られていた。エルザが見立ててくれた香水二本ーそれも未開封の新品だったーと、研究のためと貰い受けた余った料理、そして、伯爵から是非にと渡された高級ワイン三本に、エルザが着せてくれた先ほどのドレス。これほど多くの物をもらってしまって、果たしていい物かどうかと悩んでしまったが、馬車を待つ間、その様子を見ていた伯爵がにやりと笑い、こう教えてくれた。
『全ては、君たちの払ってくれている税金でまかなわれているんだ、気にせず受け取りたまえ』
その姿はすっかり打ち解けた様子で、再開してすぐの時に見せたような、エルリッヒの力を恐れる戦士の姿はなかった。どうやら、しっかりと「娘の友人」として見てくれているようだった。だとすれば、思わぬ成果である。
本当に、収穫の多い一日だった。
「さ、あまり遅くなってはゲオルグの奥方が心配する。そろそろ帰りなさい」
「そうですね。それじゃあ、本当に色々お世話になりました。また明日、よろしくお願いします!!」
元気のよい声と満面の笑みを置き土産にして、馬車に乗り込んだ。そして、馬車はすぐさま走り出した。コッペパン通りへ向けて。
「……実に不思議な娘だ。昨日あれだけの戦闘能力を見せたかと思えば、今日はその片鱗すら見せぬ。まるで別人のようだ。……さ、戻るか」
「はい」
どちらの姿も本当の姿。そう理解するのは、二人にはまだまだ困難だった。
〜エッセン通りを抜けコッペパン通りへ〜
ガラガラと鉄輪が石畳を鳴らして行く。馬車はいつものように揺れ放題だったが、この「高級な馬車」はそれをもろともせぬ、ふかふかの座席がしつらえてあった。どれだけ揺れようとも、体が座席に沈み込み、乗客に苦痛を与えない。そういえば、御者さんもこういう馬車を持ってるって言ってたっけ。などと言う事を思い出しながら、矢のように流れて行く町並みを眺めていた。
窓から漏れる明かりが、温かさと寂しさを与えてくれる。一人でいる事には慣れ切っているはずなのに、時々妙に孤独を感じてしまう。
「そういえば……」
何気なく溶け込んでいた風景に、何気なく話題にも出さなかったが、あの食事の場、いや屋敷には、エルザの母親、ルーヴェンライヒ伯夫人がいなかった。伯爵夫人ともなれば、離縁という事は考えにくいだろう。旅行に行っているのであれば、話題にくらい出て来てもいいはずだ。となれば、やはり……
「うちと同じ、か……」
エルリッヒも、竜の王妃たる母を早くに亡くしている。その姿も、愛された記憶も、ほとんど覚えられないままに別れているのだ。もしエルザも同じ境遇だったとしたら、とてもやりきれない。早くに両親を亡くしているフォルクローレ共々、どうしてそういう境遇の娘ばかりと友達になってしまうのだろうか。これが星の巡り合わせなのか、偶然なのかは分からないが、「片親の先輩」としては、どうしても同情的になってしまう。否応無しに生まれてしまう心の隙間を、少しでも埋められるのなら、それは友人として、望外の喜びだ。
と言っても、勝手な憶測で同情するのも失礼極まりない。それとなく事情を確認する機会に巡り会う事ができればいいのだが。
「……明日も会うし、どうにでもなる、か」
ひとしきり考え事を得ると、夜闇を駆け抜ける馬車の中で、一人振動に身を委ねた。
〜竜の紅玉亭〜
この日エルリッヒが帰宅すると、店はもう閉まっていた。もうそんな時間だったかと実感する。おばさんには悪いけど、たまにはこんなのも悪くないと思った。普段、忙しくしているのだから。
「ただいまー」
鎧戸から薄明かりが漏れる我が家へ、こっそりと入る。後ろめたい気持ちがあるのもまた、事実だった。もしかしたら、おばさんの恨み節くらいは聴くかも知れない。それもまた、覚悟の上だった。
「あら、エルちゃん! 連絡はもらってたけど、遅いから心配したよー」
入ってすぐ、テーブルに座って食事をしていたおばさんが、目を丸くして駆け寄って来た。そして、絞め殺さんばかりの勢いで抱きしめてくれた。どうやら、怒っているわけではないらしい。
嬉しくもあり、安心しもする。
「お、おばさん、苦しい苦しい」
「あ、あら。ごめん
なさいね。つい嬉しくて」
ようやくで解放されて、一息を付く。ほっとして周囲を見回すと、店の様子は平安そのもので、自分がいなくても平気なのかと少し寂しく思ってしまった。
そして、テーブルにはもう一人の客がいた。
「エルちゃん、遅かったじゃん!」
半分くらいは予想していたが、やはり今日もフォルクローレが来ていた。きっと、昨日以上にヘルプに駆り出された事だろう。エルリッヒがいると思ったのか、いないから手伝いを、と思ってくれたのか、それは分からないが。
そのフォルクローレはといえば、エルリッヒの帰宅にもさほど顔を変えずに夕食を続けていた。やはり、フォルクローレはそういう娘である。
「フォルちゃん……」
「ん? それより、その大荷物、何?」
一級品の目ざとさを持つフォルクローレが、例のお土産に気付いた。これだけの大荷物なのだから、気付いて当然とも言えるが、まずはエルリッヒの帰宅が大きなネタのはずなのに、いち早く気付いた。
「フォルちゃん……これ、お土産ね」
自分用のお土産はさすがにここで開いたりはしないが、おばさん向けにもらって来たお土産を広げる。
先ほどの料理である。それも、フォルクローレも来ているかも、という予想の元、少しばかり多くもらって来た。元々、三人で食べるのには多すぎる量、残った分を使用人達が食べるとは言え、少々もらってきても問題はなかった。
「これって、お料理?」
「そだよ。伯爵家のディナーでございます。後学のためにも、二人のためにも、少しお裾分けしてもらったんだ。この季節、余ったらそのまま温め直すだけで明日の朝なら大丈夫だって言うし、二人にも味わってほしくて」
「いいのかい? じゃあ、ありがたく頂こうか」
こんな貴重な物を口にする機会は、まずもってない。エルリッヒならずとも、心が躍った。もう食事を終えたエルリッヒはともかく、二人はまだ食事の真っ最中だ、ちょうどいい差し入れになっただろう。
「それじゃ、私ちょっと荷物片付けて寝床作ってくるから、二人は食べてて」
「はいなー」
「ありがとねー」
陽気に食事を再開したフォルクローレ達を後にし、一人二階へ上がって行く。
「ふー、疲れたー!」
エルザからもらってしまった(!)ドレスをクローゼットに掛け、香水の小瓶二つを机に並べると、そのままベッドに横になる。そして、目線を泳がせ一人悦に入った。まるで、中流階級の娘の部屋のようではないか。このような庶民の娘が、どうしてドレスを所有していようか、どうして香水を所有していようか。
確かにドレスは頂き物で古着と言えば古着だったが、元々そのような事はあまり気にしないし、あの美しいエルザが着ていた物なら、全然気にならない、それに、採寸時の記録が間違っていたためにサイズが合わなかったという、少々できすぎた事情により、一度袖を通しただけとの事で、とても美しい。
何より、一日屋敷にいた自分以上に、このドレスからはあの香水の香りがする。この、いまだかつてないほどの女の子らしさにひとしきり満足をすると、勢い良くベッドから飛び起き、今宵の寝床の支度に取りかかった。
〜つづく〜




