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チャプター33

〜ルーヴェンライヒ邸 一階〜



「エルリッヒさん! ようこそ、ごきげんよう!」

 ハインツに案内され、食堂の扉を開けると、そこにいたエルザは満面の笑みを浮かべて出迎えてくれた。さすがにマナー違反になるため、食事中の席を立つような事はなかったが、笑顔と声色から、その歓待ぶりは十分に伝わって来た。

「エルザちゃん、こんにちは! 今日は同席を許して頂き、ありがとうございます!」

 こちらも、まずは形式張った返事を返す。どちらが望んだとも言えないのだが、形上、家主であり身分の高いエルザをホストに見立てる。王族と言えど人間社会での話ではないエルリッヒは、あくまで庶民階級の娘なのだ。

「そんな堅苦しい挨拶はよしてくださいな。さあさ、座ってください。お料理はまだまだありますから、遠慮なく召し上がってくださいね」

 促された席は、お誕生日席に座るエルザのすぐそば、向かって左手側の席だった。どのみち、誰も他に食事する者はいない孤独な食卓、最も近い席に座らせるのは、当然の流れだったと言えるだろう。

 着席するや、メイド達が食器を用意してくれる。まるで高級レストランにでも行ったかのような扱いに、ついつい恐縮してしまう。何しろ、普段の自分はこのようなサービスは行っていない。

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ」

 普段表情を見せないメイドが、不意に笑顔を向けてくれた。これはなんと愛らしいのだろう。やはり、にこにこしているのに限る。そんな事を思いながら、テーブルの中央、数々の皿の上に載せられた料理に目を向ける。見た事もないような料理から、知ってはいても高級すぎて作る事も食べる事も手の出ない料理まで、種々の料理は、まさに宝の山だった。料理に対する見識が、これでまた一つ広がるのだ。

「一人で食べる食事に、いつも寂しい思いをしていたんです。さあ、好きなように召し上がって!」

「じゃあ、遠慮なく!」

 ここで遠慮するのは却って失礼だ。まずは空腹と料理人としての好奇心に身を委ねようではないか。

 まずは、テーブルに載せられた見た事もないような料理を手にする。赤く染まったスープに、何かのお肉を炒めたらしき物、見た事もないような野菜を使ったサラダ。長年旅をしていて、余所の国からやって来たエルリッヒをして知らないのだから、貴族社会というのが今までいかに縁遠い世界だったかを、嫌というほど痛感させられる。

「それでは、頂きます!」

 まずはスープを一口すする。

「んっ!! 美味しい! この酸味は……トマト? 後、唐辛子も少し感じる!」

 ふわり、と広がる酸っぱさに、ちらりと顔を覗かせる辛さ。組み合わせは簡単なのに、どうして気付かなかったんだろうというほどの味わいだった。

「さて、次はこの炒め物。これは……この国では滅多に手に入らないはずなのに!」

 香ってすぐに気付く、鼻孔をくすぐるこの匂い。これはかなり遠い国でしか栽培されていない香辛料で、この国には滅多に流通しないはずの物だ。そんな貴重な物を、晩餐会でも何でもない昼食に使うとは、やはり貴族とは恐ろしい。

「あの、メイドさん、この香辛料、どこで手に入れたか、分かりますか?」

 自然と、メイドを呼んでしまった。エルザが穏やかな表情をしているので、不愉快には思われていないようだ。ほっと胸を撫で下ろす。

「香辛料……ですか? ちょっと私には分かりかねますので、なんでしたらシェフを呼んで参りますが」

「ご迷惑でなければ!」

 メイド達も平民の出身だろうに、よく教育が行き届いている。言葉遣いから所作から、とてもエルリッヒには真似できそうになかった。

「我が家の教育って、なんだったのかなー」

 つい、そんな言葉が口を衝いて出る。当然、エルザはそれを聞き漏らす事なく、

「あら、エルリッヒさんのお家の事、聴いてみたいです。よろしいですか?」

 と、質問を投げかけられてしまった。もちろん、断るような事はできないが、どこまで話せば良い物やら、食事の手を止め、必死に頭を働かせる。

「そうですねぇ。うちはすごく奔放な家だったんですよ。教育らしい教育もなかったですし、自由に任せて育てる、なんていう感じだったんですよ。ここのメイドさん達を見てると、なんだか少し寂しくなっちゃいます」

「そんな事ありません! 貴族の家など、堅苦しいばかりなんですから。エルリッヒさんのご家庭が、うらやましいです。その自由な空気が、今の性格を形作ったんですから」

 テーブル越しに力説され、この庶民的な性格も役に立っているのかと、少しばかり安心した。ただ平凡なだけでは、そこらの娘と何も変わらない。もちろん、竜社会において、人間的な王侯貴族の作法などしつけられるはずもないのだが。

 嬉しいやら恥ずかしいやらでもじもじしていると、メイドの一人がシェフを連れて来てくれた。高いコック帽に太った体躯、そして真っ白いコックコートには、ソースの撥ねたような染みがあり、まさに歴戦の料理人といった風貌だった。

「初めまして、お嬢さん。私が当家で料理長を任されているシェンクと申します。この料理、グレーテ・フォルト・デア・オリエンテーレについて伺いたいとか」

 聴けば頭が混乱しそうな名前だったが、これであの香辛料の謎が解ける。一体どこで手に入るのか。どれくらいの価格で取引されているのか。

「はい。私も南のコッペパン通りで食堂をやっていまして。この香辛料、この国では滅多に手に入りませんよね。どこでいくらで手に入れたんですか? もしよかったら、教えてほしいと思いまして」

「なるほど、そういう事でしたか。お易い御用です、お教えしましょう。お嬢さんがこの香辛料の事を知っているだけでも驚きです。それだけでも、嬉しくなってしまいますから。それで、この香辛料ですが、実はこの国で調達している物ではないのです。ご存知かどうかは分かりませんが、お嬢様のお使いの香水は、国外から取り寄せております。その時に、一緒に買い付けてもらっているのですよ。ですから、安定した量を、それなりの価格で取り寄せる事ができているのですが……ご期待に添えず、申し訳ありません」

 申し訳なさそうな表情からは、このコックが本当に共通の話題を持ったエルリッヒに好感を抱いてくれている事が伝わって来た。だが、それならばとばかりに席を立った。少々マナー違反だが、シェンクを悲しませてはいけない。

「あの、それなら、私に売ってください!」

「えっ?」

 身を乗り出し、驚いたような表情のシェンクに詰め寄った。まさか、このような申し出をしてくるなどとは、想像もしていなかったのだろう。返答に困っている様子だった。

 それもそのはず、香水と合わせて買い付けを頼んでいるのはシェンク自身だが、結局の所、どちらもルーヴェンライヒ伯爵家の財政でまかなっている事である。個人の一存で許可できる事ではない。

 もちろん、家長ではないエルザにも、こう言った事に関する決定権はない。

「あの、それは私ではちょっと……」

「そう、ですよね。でも、まずはシェンクさんのお気持ちを伺いたいんです。必要なら、ちゃんと伯爵様にお願いします。だから、どうでしょう。いつも仕入れている分を少し増やして頂いても、今ある分を少しお分けいただくのでも、どちらでも構いませんから」

 もちろん本気だった。冗談で切り出せるような話ではない。少なくとも、エルリッヒにとっては。決して安くない対価を払い、買おうというのだ。料理を生業にしている人間なら、その気持ちの強さはすぐに伝わるだろう。

「分かりました。お気持ちだけは、受け取っておきます。もし、旦那様が首を縦に振れば、お譲りしましょう」

「本当ですね? やたっ! ありがとうございます!」

 まだ食事の真っ最中という事もあり、飛び上がるような真似はしなかったが、気持ちの上では、隣の町まで飛んで行きたくなるほど嬉しかった。伯爵の回答がどうであれ、料理人としての気持ちは、通じたのだ。



〜つづく〜

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