チャプター30
〜竜の紅玉亭 閉店後〜
店の片付けを終えると、カウンター席に三人並んで座り、今日の報告を始めた。エッセン通りで貴族の屋敷に入った事、そこで令嬢のエルザと仲良くなった事、そして、お城に潜り込み、王と再会し、言葉を交わした事、最後に、伯爵からおじさんに付いての話を聞いた事。
当事者ではないフォルクローレは、興味津々の様子でそれを聞いていた。一方で、まさに当事者のおばさんはというと、半信半疑、だけど気になる、そんな様子で聞いていた。何しろ、浮気でなかったというのだから、それが本当ならどれだけ救われるか。と同時に、やましい事がないのなら、なぜ話してくれないのか。新たな憤りが生まれるのだった。
「やっぱり、おばさんには受け止めがたい部分もありましたか? 今の話」
そんな様子を気遣ってか、エルリッヒが話を終えたタイミングで、少し険しくなっていたおばさんの顔を覗き込んだ。その様はまるで、母親の心配をする娘のようだった。おばさんが、驚いた顔を見せる。
「エ、エルちゃん? 大丈夫だよ。ちょっと面食らったけどね。あんまり色んな事があったみたいだから。王様と会ってお話ししたんだろ? あたしにゃ想像もできないよ」
「あはは、普通はそうですよねー。でも、前に一度お目にかかってますから。ツァイネの奴、あんなすごい所で働いてたんですから、驚きですよ。後、おじさんの話は、やっぱり信じられないですよね。疑いたくなっちゃうのも分かるし。明日からは、その辺りの裏付けに出て来ますね。私も気になってるし、何より、ちゃんと真実を明らかにしないといけませんしね」
カウンターに伏せて、おばさんの顔を見遣る。ふわりと笑ったその表情に、少しこわばっていたおばさんの顔も柔らかくなる。それを、一人離れた格好になったフォルクローレがつまらなさそうに見つめていた。何となく、疎外感が生まれる。いや、手伝いをしているとは言え、部外者には違いないので、仕方ない事ではあるのだが。
エルリッヒがこの街で過ごして来た年月にほぼ重なるだけの期間を、このおばさんとも隣人として交流して来たのだ。エルリッヒの、この街での両親みたいな存在という言葉は、大袈裟でも何でもない。
「あーあ、二人の絆には入って行けませんねー。寝る支度でもしてこようかな」
「ちょっと、フォルちゃん拗ねないでよ。フォルちゃんにだって、訊きたい事あるんだし、色々感謝してるんだから」
二階に向かおうと席を立つフォルクローレを、エルリッヒが追う。その姿を優しく見守りながら、おばさんは二本目のワインを空けようとしていた。
〜二階 寝床にて〜
夜も更けて、おばさんはすっかり酔っぱらってしまい、一足先に寝息を立てていた。エルリッヒとフォルクローレは、二人して一つのベッドに入り、寝入る前の会話をしていた。
正直狭いが、まだまだ寒いこの季節、友の体温が温かいと感じていた。二人は、言葉を交わす事なく、同じ気持ちだった。
こんな気持ちになるほど人と深く付き合うなんてこの三百年でも久しぶりだ、と思うエルリッヒと、同じような事を考え、こんなに仲良く付き合う女の子が出来たのは故郷の村以来だと思っていたフォルクローレ。
知り合ってからの時間は短いけれど、それをもろともしない勢いで、二人は急速に仲良くなっていた。
それもこれも、出会ってからの出来事が怒濤だったからに他ならないので、決して平穏ではなかったのだが。
「それで? なんで来てくれたの? 依頼だってあっただろうし、疲れてたんじゃないの?」
ようやく、訊きたかった事を切り出せた。大方、朝方のお礼といったところだろうが、やはりこういうのは本人の口から聞かなくては。言わせなくては。
「お昼過ぎに起きたら、楽になってたよ。だから、お礼を言いに……ここまで。ほら、今朝、いきなり意識を失って……」
「そこまでは覚えてたんだ。いやー、重かったよー」
本当は重くも何ともなかったのだが、一般的に考えて、娘の細腕で、体格の近いフォルクローレの体を運ぶのはとても苦労するはずだ。こういう回答が、一番人間らしく、自然に場を和ませられる。
案の定、目の前にあるフォルクローレの顔が、途端に変化して行った。冗談めかした怒りを感じる、なんとも言えない愛くるしい表情だった。
「むかー! いくら重くても、そこは言わないのがマナーでしょー? それに、最近は不摂生してるから……結構軽い……はず……」
「ちょっと、おばさん起きちゃうよ。それに、いくらなんでもそこまで本気で重いわけないじゃん。冗談だよ。それより、あそこで気を失ってから、お昼に起きるまで、ずっと意識がなかったの?」
もし気付いていたのだとしたら、ベッドの上での口づけにも気付かれているかもしれない。思い返しただけでも気恥ずかしい。
が、期待通りと言うべきか、幸いと言うべきか、やはりフォルクローレは完全に眠りの底に落ちていたらしく、むしろまるで記憶がなかった事を申し訳なく思っているようだった。
「いやー、情けない」
「本当にそうだよ。もっと生活に気を遣ってよね。友達がそんな生活してるんじゃ、こっちが心配だよ。ま、言いだしたらキリがないけどね。これからも何度でもこういうお小言は言っちゃいそうだし」
なぜかニヤニヤするフォルクローレを前に、ため息を一つ。まったく、人が心配しているというのになんだというのか。
「なんかさ、エルちゃんて、お母さんみたい」
「は、はぁ? 何言ってるの。そういうのやめてよねー。こんな大きな娘を持った覚えはありません! っとと、おばさん起きちゃう。とにかく、変な事言わないでよねー」
正直な所、そこまで不愉快ではない。親になるという経験自体とても縁のない事だと考えているので、なるほどこういうものかとむしろ感心してしまう。
もちろん、なんとなく老け込んだ気がするし、照れる気持ちもないわけではない。ついつい嫌そうな態度を取ってしまう。
「そうやって、優しいんだけどお小言言ってくれるところ、つい懐かしくってさー。気を悪くしたならごめんねー」
「いいよ、もう。だけど、それならそれで、これからも色々言わせてもらうからね。もし言いつけを破ったら……」
挑戦的な声色で見つめる。その声色に、フォルクローレの背筋には一筋の冷や汗が流れた。一体、何をするつもりなのか。
「ごくり」
「もし、今後健康に悪い生活を続けたら、こうしますっ!」
おもむろに腕を回すと、一気に抱き寄せた。
「ちょ!」
「ふふ。ただ抱きしめるわけないじゃーん? こうするんだ、よっ」
抱きしめた腕に、少しだけ、力を込める。密着度が上がり、温かいというよりむしろ少し暑く感じるほどだ。しかし、それはそれとして、フォルクローレの顔に驚きと苦痛の色が浮かんだ。
「い、痛い痛い! 離して! 離して!」
「よろしい。今日はお試しですからこれくらいにしておきましょう。でも、もし今後生活態度が悪かったら、このように強く締め上げます。しかも、徐々に強くして行きます。いいですか?」
力を緩めた後、まるで家庭教師のような語り口で説明を行う。その様は、確かに母親のようであった。が、当のフォルクローレは、それどころではない。
「はー、はー、死ぬかと思った。わ、分かったから、気をつけるから、抱きしめるなら優しくしてくださいお母さん」
「分かればよろしい。さて、それじゃあ寝ようか。明日もまた、色々調査しないといけないからね」
急に話を終え、腕を放すと、眠りの姿勢に入った。
「それじゃあフォルちゃん、おやすみー」
「うん、おやすみー。って、このまま寝かせるかー!」
小声で叫びながら、今度はフォルクローレが力強く締め上げようとした。仕返しのつもりである。
「なっ!」
フォルクローレが全力で力を込めた所で、痛くも痒くもないのだが、こういう遊び心が、なんとなく愛おしかった。
「仕返しだー」
「じゃあ、こっちも!」
期せずして抱き合うような形になりつつも、エルリッヒは力を込めない。こうしてじゃれあっているうちに、二人はいつの間にか眠っていた。
色々あって疲れていた所でのじゃれ合いで、余計に疲れてしまったのだ。
こうして、夜は更けて行った。
〜つづく〜




