チャプター29
〜竜の紅玉亭・閉店後〜
ここ、コッペパン通りは静まり返っていた。食堂や酒場と言った、夜に開いているお店が閉店すると、後は通りに住まう住民が帰宅の途につくばかり。そうなると、後は寝るばかり。歩いているのは酔っぱらった数人だけ。
元々宿屋のある通りでもないため、夜に街に入った旅人も、この通りには足を運ばない。さほどお店がなく、閑静でありながら気取らない住宅街、それがコッペパン通りだった。エルリッヒがここに居を構えたのも、そういった情報を耳にしての事だった。あまり堅苦しい世界は好まない。土地代が高いのも歓迎しない。まさにうってつけだったのである。
その一角にある「竜の紅玉亭」では、遅めの夕食時を迎えていた。いや、世間からすれば遅い時間だが、ここではこの時間が当たり前だった。
恐らく、街中の食堂や酒場、宿屋が同じような時間に食事しているのに違いない。営業時間に対する国の決まりはもちろん存在しないが、どこのお店も、客が引く時間帯というのは、概ね同じなのである。結局、多くの客がこの街の住人である以上、その生活サイクル、引いては体内時計は、大きく変わらない。
「それじゃ、今日も一日よく働きました!」
店主のエルリッヒが音頭を取り、乾杯をする。普段はここまで盛大にしないのだが、今日は違っていた。思わぬ助っ人がいてくれたのである。フォルクローレだ。
成り行きとは言えお店を手伝ってくれたフォルクローレには、最大級の感謝をせねばならない。それが、今宵の食事であり、一宿の恩義であった。
グラスに並々と注がれているのは、エルリッヒがミネラルウォーター、おばさんがワイン、そしてフォルクローレが炭酸水と、それぞれがそれぞれの飲み物を選んでいた。
「おばさん、今日もありがとうございましたっ! 後、帰りが遅くなっちゃって、ごめんなさい。フォルちゃんも、心配してくれてありがとね。それで、今日の収穫なんだけど、食べながら話しますか? それとも、食後にしますか?」
テーブルの上に置かれた温かい料理を前に、あまりにも分かり切った選択を持ちかける。質素なお皿の上に盛られた料理は、どれもまかない飯には違いなかったが、エルリッヒがおばさんと作り上げた、これもまた一つの傑作だった。それ故に、立ち上る湯気も、そこから漂う匂いも、非常に強く胃袋を刺激する。
誰も、食事しながら、などという選択肢は出てこない。行儀が悪い、という理由を持ち出す者は、この三人の中にはいなかった。
「さて、それじゃあ頂きますか。今日の労働と食事に感謝感謝!」
手短にお祈りを捧げると、ようやくのディナータイムが始まった。元々人間ではないエルリッヒ、当然の事、他の誰とも違う宗教観を持っていた。そもそも、竜社会では、神を信じると言う概念も、宗教と言う概念もないのだ。唯一そのような存在を信じられるとしたら、その身に流れる超自然的能力のみ。一体、どうして先祖の古龍は炎に始まり雷や吹雪といった、自然の力を自在に操る能力を獲得したのか。
その事を考えると、神のような超然的存在が授けたとしか考えようがない。しかし、その一方では、食事をすると言う事に対する、元々命であった食べ物への感謝という概念は、強く芽生えていた。
「んー、このお肉美味しい! おばさん、これどうやって味付けしたんですか?」
「これかい? これはね、胡椒に少しハーブを混ぜるんだよ。そうすると、ハーブの中の風味が引き出されるのさ。胡椒だけを使うより、深みが出るでしょう? それに、胡椒を使う量も減らせて、一石二鳥ってわけさ!」
いかにエルリッヒが本職といえど、主婦のベテランであるおばさんの手腕は見事で、自分の方が年上だと言う事実を忘れ、本当に二十歳前後の娘であるかのような感覚に陥ってしまう。
「エルちゃんだって、こっちのスープ、見事なもんだよ。何日も一緒にいるし、いつもお店に通ってたのに、初めての味じゃないか」
「んー、ちょっと工夫してみたんですよ。それが成功したのは、全くの偶然ですけどねー。料理って、本当に奥が深いですから」
二人が料理談義に花を咲かせている中、面白くないのはフォルクローレである。基本的に、料理はからっきしだった。いくら錬金術を使いこなし、様々なアイテムを調合する手腕を持っているからと言っても、このように美味しい料理を作る事は出来ない。これは、まさに錬金術と並ぶ能力といってもいいのではないか、とすら思えた。
「二人はいいですよね、料理が出来て! あー、美味しいなー美味しいなー!」
すっかり、いじけムードになっていた。もちろん、それを見過ごすエルリッヒではない。おばさんを挟んで反対側に座るフォルクローレの元へ、わざわざ食器一式を持って移動した。
「なーにふてくされてるの? フォルちゃんだって、チーズケーキだの美味しいお茶だの、色々作れるじゃん」
「あれはさー、錬金術で調合してるんだよ。詳しい仕組みは難しいけどさ、料理とは違うんだよー。だって、想像してみてよ。材料入れて、釜で煮て、ボンッて煙が上がったら出来てるんだよ? やっぱりあれは料理じゃないんだよー。鍋の底ならまだしも、釜の底だよ? 釜の底」
むしゃむしゃと食事を口に放り込みつつ、必死に錬金術で料理を作る事の異質さを語っている。思えば、エルリッヒもフォルクローレの調合をあまり見た事がない。話には聞いているが、直に立ち会わないと、どうも信じられないのだ。
存在そのものが非科学的と言えるエルリッヒが言うのもなんだが、錬金術というものが、非科学的に思えて仕方なかった。魔法を使う悪魔と対峙した経験を経ても尚、これなのである。
しかし、隣で話を聴いていたおばさんの様子は少し違っていた。少し赤い顔は、とてもキラキラと瞳が輝いていた。
「フォルちゃん、すごいんだねぇ! 錬金術士のフォルクローレ、噂には聞いていたけど、なんでも作れちゃうんだねぇ! 釜って言う事は、そこの鍋でも何か作れるのかい? だとしたら、すごいじゃないか!」
「え、えーと……」
「おばさん、酔っぱらってます?」
おばさんはキッチンの鍋を指差し、あれで調合してみせろと言う。手にしたグラスには、もはや一滴のワインも残っていない。酔いが回っている事は、間違いなさそうだった。そして、フォルクローレはというと、職業柄かその鍋で調合するにはどうしたらいいか、という事を真剣に考えていた。
「う〜ん、材料が揃えば通常の火力でも十分煮立たせられるし、調合はできるか。。いつもの釜じゃないと困るのは、細かな分量とかたくさん作る時とか、限られるのか……だとすると、どこでも調合できるなあ。でも、今ある材料でおばさんを喜ばせるとなると……何が出来るんだ?」
「ちょっとフォルちゃん、そこ無理しなくていいから。それに、ご飯を食べるのが先でしょ。おばさんも、フォルちゃんに無茶言わないでくださいね? そういうのは、せめて明日にしてください」
酔っぱらった相手には、理詰めで説明しても通じまい。そう考えたエルリッヒは、まるでうやむやにするかのように、再びグラスにワインを注いだ。
「そうかい? じゃあ、明日見せてもらおうかね」
「わ、分かりました。何か考えておきます」
「はぁ、どうなっちゃうんだろ。おばさん、二杯目を注いでおいてなんですけど、片付けが終わったら今日の収穫をお話しするんですからね? しっかり起きててくださいよ?」
この後の展開に、一抹の不安を覚えるエルリッヒであった。
〜つづく〜




