チャプター24
〜王城・玉座の間〜
手にした得物の軽さは伯爵も実感する所だった。見た目こそ普段使っている剣に似せているが、あくまで木製の剣。子供の練習や式典に用いるのならまだしも、これだけ本格的な試合に用いるのには、いささか不十分だ。出来る事なら、同じ模擬剣でも刃を潰した金属製の物が望ましい。
攻撃とは、重たい武器を腕力で振るい、その勢いによって重量を何倍にも増加させる事で相手に大きなダメージを与える物である。重量に劣る木製の剣では、腕力は活かせず、どうしても軽い一撃しか繰り出せない。素早さを殺さずに済むという一点のみが利点だった。
それが、なんだというのだ。
(っ! 重い!)
目の前にいる娘の瞳は真剣そのもので、決して冗談でも何でもないという事は分かる。だが、それを考慮しても、エルリッヒの攻撃は重たかった。
これが、小娘の細腕から、それも木製の剣で繰り出された攻撃だろうか。受けている肩が外れそうだ。
「くっ!」
膝も震える。これほど重たい攻撃を受けたのは、一体どれくらい振りだろうか。先ほど自慢げに語ったドラゴン戦の折に、その尻尾の攻撃を受けた時のような勢いと重みだ。
直感的に、危険信号が発せられる。
(これはマズい!)
咄嗟に剣を横に薙ぎ払い、大きく飛び退った。こうでもしなければ、あのまま沈められていたかもしれない。
「はぁ……はぁ……」
息が荒い。肩が大きく息をしている。あっという間に片付くと思った試合で、このような消耗をするとは。
「伯爵様、どうしたんですか? さっきの一撃だけですか? まだ、試合は終わってませんよ?」
伯爵を後退させた。これだけでもエルリッヒには勝利への貴重な一手を与えたようなものである。互角の勝負を繰り広げても、ただ時間がかかるだけだ。あっという間に勝負をつけてしまうか、恐らく隠しているであろう伯爵の本気の隠し球を引き出すか、考えられる選択肢はどちらかだった。
「とりあえず、私が百戦錬磨だっていう事は信じてもらえましたか?」
「その、ようだな。だが、今のは油断したまで。私とて、伊達に竜騎兵を預かっていないと、言ったであろう?」
ニヤリ、と不適な笑みを浮かべる。ありきたりな展開だが、エルリッヒはワクワクする気持ちを抑えられないでいた。ツァイネがあれだけ強いのだ。同じ職場である、この騎士団で何十年も働いている伯爵ともなれば、どんな大技を繰り出してくるのか。唯一の懸念は、手にした武器が特別な物でない事だけ。この武器で本気の攻撃を放てば、武器が粉々になってしまうかもしれない。それでは、まるで不戦敗ではないか。
「じゃあ、その伊達じゃない所を見せてくださいね。今のままじゃ、歳を感じるおじさまです。エルザちゃんを安心させて、そこで見ている親衛隊のみなさんのお手本にならないとなんですから」
少しだけ挑発的なニュアンスを込めて、言葉を紡ぐ。隠し球を見てみたいと言う、その一心で。
それがどれほど危険な掛けかなど、当然分かるはずもない。危険ではないかもしれない、危険かもしれない。その境目は、誰にも見えないのだ。
「娘よ、どうなっても知らんぞ?」
「どうぞ、おかまいなく。私だって伊達じゃないって、もう知ってますよね? ただ、この部屋で出来る事は、限られていると思いますけど」
もしここでものすごい大技が放たれたら、お城の壁が崩れてしまうかも知れない。それでも、好奇心が勝ったのだから、どうしようもない。
「安心しろ。そのように愚かではない。では、私が伊達に旅団を負かされているわけではない所を、お見せしよう」
模擬剣をくるくると回すと、それを床に突き立てた。鉄ではなく木でできた剣なのにどうやってと思ったが、どうやら意志の隙間に突き立てているらしかった。それでも、このような場所に突き立てるのは容易ではないはずだ。見事しか言いようがない。
「かつて空駆ける竜のように大地を駆け、戦場を舞った我ら竜騎兵の誇りと栄誉に賭けて、天上の力を今召喚する」
突き立てた模擬剣を手にしたままひざまずき、なにがしかを詠唱している。まさか、魔法という事はないだろうが、この騎士団には、擬似的に魔法の力を宿らせる事の出来る剣が伝わっている。それに近い力による攻撃は、覚悟しなければならないだろう。
事実、言い知れぬ力の高まりを感じていた。気迫のような物、そして、殺気すら感じられる。これは、とても先ほど「女子供と戦っては恥だ」と言っていた男の物とは思えない。
どのような攻撃が来てもいいように、武器を手に身構える。もしかしたら、次の攻撃の対処に役に立つのは、己の体だけかもしれない。
「っ!」
祝詞を捧げるように何かしらを詠唱していた将軍が、顔を上げてこちらに視線を向けて来た。いよいよ、次の攻撃が来る。
「行くぞ!」
ゆっくりと立ち上がりながら、模擬剣を抜き放つ。そして、思い切りよく駆け出して来た。とても中年男性の物とは思えない速度だ。そして、それ以上に目についたのは、模擬剣である。
その刀身に、赤黒い稲妻を伴った、禍々しい黒い霧を纏っている。
(あれは……竜殺しの力!)
それは、ゲートムントがハインヒュッテの村で手に入れた名槍の持つ力。竜族の体に対し、決定的なダメージを与える不思議な力とされており、エルリッヒが父王から預かっているドラゴンスレイヤーも、この力を備えていた。しかし、この力が最も恐ろしいのは、竜に対して有効な攻撃である、という事ではない。多くの生命にとっても、大なり小なり生命力を低下させる力を発揮する所にあった。それは、単純な武器攻撃力の増加に寄与するのかもしれない。何しろ、詳しい仕組みが解明されていない、謎の力なのだ。
事実、エルリッヒは先祖の血統のお陰か、竜殺しの力による直接的なダメージの増加は経験がない。しかし、一方では自らも本来の姿では、竜殺しの力による攻撃を放つ事が出来た。
だから、今恐れるべきは、副次的な攻撃効果や速度の上昇と言った、いわゆる必殺技ならではの効果だ。
剣を構えてあっという間に目の前に迫る。咄嗟に身構えるが、間に合わない。予想していた速度を超えていたという事が、不意打ちを許してしまった。
伯爵の攻撃は、構えた剣を下から振り上げ、次のタイミングで右から左に薙ぐと言う、十字を描く物だった。
瞬間的な回避行動で後退したため、薙ぎ払いこそ完全に回避できたが、振り上げ攻撃は、回避し切れなかった。
「痛っ!」
「ほぅ、あの速度を避けたか。一撃で昏倒させるつもりだったのだがな」
頬がじわりと熱い。木でできた模擬剣だと言うのに、切り傷が出来ている。手を当ててみると、手の平にべっとりとした血が付着する。そして、視線を落とすと、ドレスにも一筋の切れ目が入っていた。
せっかく、お城に上がるためにとエルザが選んでくれたドレスだったのに。
「ドレス……」
模擬剣でよくもこんな切れ味をとか、確かにこれは竜殺しの力だとか、考える事べき事は色々あるだろうに、頭の中を支配していたのは、顔に傷を付けられた事と、せっかくのドレスが切られてしまった事だった。
「許さない」
「かすり傷とは言え、一撃を受けても尚立ち向かおうというのか? 威勢がいいな。だが、そこまでは陛下も望んでおるまい。ここで終わりとしてはどうだ?」
奥の手を見せ、優位に立ったと判断したのか、伯爵は試合の終了を持ちかけてくる。なるほど先ほどの殺気や気配、模擬剣に纏っていた竜殺しの力は感じられない。だが、エルリッヒの堪忍袋の緒は、すでに切れかかっていた。
「せっかく、エルザちゃんが用立ててくれたドレスを……」
「何、ドレスだと? そのようなもの、いくらでも代わりは用意してやる。そのように目くじらを立てずともよいではないか」
伯爵には、エルリッヒの気持ちが分からない。物の話をしているのではない。エルザの気持ちの話をしていたのだ。それが分からない以上、許す事は出来ない。もう、他の何も、目に入らなかった。
「それだけじゃない。女の子の顔に傷を付けた事も、許せない。もし避けそこなってたらどうなってたか、分かってて攻撃したんですか。もし、二撃目が当たっていたら、どうなっていたと思うんですか。ねぇ、ねぇ!」
静かな語調の最後に、強い怒気がこもってしまった。感情が、後ろから襲いかかって理性を飲み込みそうになっている。これはよくない。そう分かっていても、抑えられなかった。
先ほどの、衣装選びをしていた時のエルザの楽しそうな笑顔を思い出せば出すほど、それを踏みにじられたような気がして、怒りが湧いて来た。
模擬剣を握る手が、ついキツくなる。
「顔の傷は悪かったが、挑発したのはそなたであろう。期待に応えたまで。そのように怒るのであれば、予め遠慮すればよかろう。尤も、そなたのような娘相手に言い訳など、見苦しい事この上ないがな」
「そう思うなら、私が言いたい気持ちを察して、すぐに謝って下さい。でも、それが出来るなら、もうとっくに謝ってますよね。あーもう、会話するだけ時間の無駄です。今ここで、私が罰を下します。ドレスを切られて、顔を傷つけられた当事者として」
エルリッヒはゆらり、と動き出すと、少しうつむき加減のまま、静かに、しかしものすごい速度で伯爵に向かって行った。
傷口から流れる血が辺りに飛ぶのも構わずに。
〜つづく〜




