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チャプター25

~王城・玉座の間~



(なんと言う速さだ!)

 怒りに任せて飛びかかって来たエルリッヒに、伯爵は対応できない。自分がこの模擬剣であれだけの攻撃を繰り出したのだ、エルリッヒもまた、同等の攻撃を繰り出す事くらい可能かも知れない。

 そう考えただけで、戦慄する。戦士としての直感が、身の危険を伝える。一体何がいけなかったのか。なぜ、このような逆鱗に触れてしまったのか。

『お父様は、本当に女心が分からないんですね』

 いつだったかエルザに言われた言葉が、今になってこの身に突き刺さる。

「くっ!」

 気休め程度にしかならないだろうが、それでも自然に体が動き、模擬剣で防御の態勢を取る。すでに、エルリッヒは目の前にいた。

 伯爵の鼻を、屋敷と同じあの薔薇の香りがくすぐる。

「剣で攻撃すると思ったの?」

 危険な笑みを浮かべたエルリッヒは、右手に模擬剣を持ったまま、伯爵の防御態勢を気にする事もなく左手でその首を掴み、締め上げた。

「うぅ!」

「騎士は騎士道を重んじるあまり、攻撃がワンパターンになりがち。さあ、いつまで耐えられる?」

 自分よりも身の丈のある伯爵を、片手で持ち上げている。その異様な光景に、誰も身動き一つできないでいた。

「さ、もう少しキツくしようか」

 首を掴む手の力が、わずかに強まる。周囲からは見えない物の、伯爵の表情がそれを如実に物語っていた。額からは、脂汗が流れている。

「どこまで持つかな。ねぇ」

 異様な光景、苦痛に満ちた伯爵の表情、そしてエルリッヒの狂気に光る瞳。この状況に耐えかねたのは、王だった。

「やめ……」

「やめてーーっっ!!!」

 そして、制止のために王が叫ぶのに重ねるように、エルザも叫び、駆け出していた。

「やめて! もういいの! もういいから! だから、もうやめて!」

「っ!」

 後ろから抱きしめ、必死に伝える。転びそうな勢いで駆け出したエルザは、勢い余ってつまずきかけて、そこでエルリッヒの体に到達した。

 エルザの懇願に、まるで霧が晴れるかのようにすぅっとその身に沸き上がった怒りが消え、瞳の狂気も消え去った。

「あ……エルザちゃん」

 どさり、と音がして、伯爵が床に落ちる。激しく咳き込むその姿は、まさしくエルリッヒの攻撃によるもの。

 不意に、罪悪感が湧いた。

「えっと……あの……いくら余興試合だからって、すみませんでした!」

 今だ床に横たわったまま激しく咳き込む伯爵に、深々と頭を下げる。怒りに我を忘れていたとは言え、なんという事をしてしまったのだろう。

 これでは、どんなお咎めを受けるかもしれない。だが、伯爵は弱々しく笑みを浮かべると、かすれた声で「よいのだよ」とだけ呟いた。

「さて、少々過ぎてしまったが、余興はここまでだな。ルーヴェンライヒ伯よ、差し当たってはこのエルリッヒが、エルザ嬢の友を務めるにふさわしい人物である事は理解できたか?」

 未だに起き上がれないでいる伯爵に、王が声をかける。このような事になってしまったのも、全ては言いだした王に責任がある。見下ろすその表情は、どこかばつが悪そうだった。

 伯爵も、最初は拒んでおきながらその提案に乗っかってしまった罪悪感からか、エルリッヒに負けてしまったからか、どこか気まずそうにしている。

「いささか、狂気が過ぎるようですけどな」

「うぅ、本当に申し訳ありませんでした!!」

 冷静でなかったとは言え、狂気と殺意にとらわれていた先ほどの事は、しっかりと覚えている。事情が事情で、自分なりに筋道の立った感情の流れではあるのだが、それにしても少しやり過ぎた。もし、あそこでエルザが止めてくれなかったら、もし、あそこでもう少し強い力を出していたら、あるいはここには伯爵の首だけが転がっていたかも知れない。そう思うと、ぞっとする。

 ここは竜社会ではないのだ。人間の死が、ちっぽけな生き物の死でしかない世界ではない。意味があり、価値のある命が失われる所だったのだ。そして、今はその人間社会で暮らし、人間の価値観で生きている。危うくそこから外れる所だった。恐ろしい。

「いやいや、何度も謝らないでくれ。両成敗だ。それに、負けたのは私だ、そこまで謝ってもらう事は出来ない」

 ようやく落ち着いて来たのか、先ほどよりは張りのある声で応えてくれる。やはり貴族、女性への扱いはぬかりない、といった所なのだろうか。

 一連のやり取りを見ていた親衛隊員達は、もはや何をどう活かせばいいのかすら分からないまま、ただただ傍観している。それが、唯一できる事だった。

「ただ、ここにいる皆にお願いしたい。特に陛下。仮にも竜騎兵を束ねるこの私が、かような娘に負けたとあっては末代までの恥。どうかこの事は、この場での秘密として黙ってはくれまいか」

 ゆっくりと立ち上がりながら、切実な胸の内を伝える。騎士にとって、女子供相手に手を上げたというのは、騎士道に反する行為であり、さらに負けたとあっては、恥の中の恥なのだ。もしこの事実が城内に広がっては、誰に合わせる顔も失ってしまう。

 なんとしてでも、黙っていてもらわなければならない。

「伯爵よ、そなたの主たるこの私が、そのような醜聞を広めるわけがなかろう。信用できぬとは、申さぬな?」

 王の言葉がどれほど信用できるかは分からない。王としての職務は全うしているが、時に興が過ぎるきらいのある人物だ。ついうっかり口を滑らせないとも限らない。それが心配だった。

「お、俺達も……この事は誰にも話しません! てゆーか、信じてもらえませんて、こんな話。今ここにいた俺達ですら、信じられないんですから」

「だよなぁ……竜騎将軍の伯爵相手じゃ、俺達親衛隊員だって油断できないんですよ? 将軍が手加減したとでも思わなきゃ、納得できませんて」

 親衛隊員達も、口々に伯爵を庇う。これが騎士の結束か、それとも、伯爵を心から信じていればこその、手加減神話か。伯爵が手加減ではなかった事くらい、見抜けないエルリッヒではない。あの攻撃は、どれをとっても本気で、防御も回避も、少しも手を抜いていなかった。いや、もしあそこで油断していたのなら、間違いなく今頃大怪我をしていただろうし、それだけの攻撃、見誤るようでは一団の将など務まらないだろう。相手の力量を見極める事も、また戦士の器なのだ。

「いや……それは……」

「伯爵様、ご自身のためにも、手加減をした事にしておいたらどうですか?」

 親衛隊員達の買いかぶりを否定しようとしたのを、エルリッヒがさりげなく耳打ちをして遮る。なんだかんだと言っても、伯爵は友人の父親なのだ。その名誉は十分に大切である。

「す、すまぬ」

 伯爵はよろよろと王の元へ歩み寄ると、早速臣下の礼をとる。

「このような醜態を晒してしまい、申し訳ありませんでした。騎士としての名折れ……」

「よいよい。そなたが手加減をしたという事であれば、悪い噂も立つまい。真実がどうであれな。それよりも、そなたをここに呼びつけた本当の目的、忘れてはおるまいな? この二人が、そなたに訊きたい事があると申す故呼んだのだ。勝ち負けはともかく、話を聞いてやってくれるな?」

 一歩一歩と伯爵の元へ近付いた王は、穏やかな声で話しかける。王もまた、今の試合が手加減していないものであった事に気付いていた。そして、そもそもの要件を覚えていてくれた。そうなのだ。今日一日、色々な事がありすぎて忘れそうになっているが、そもそもが浮気調査をしているのだ。

 伯爵は立ち上がり、王に一礼をすると、そのままその場であぐらをかいた。一礼は、王の前でこのような座り方をする非礼に対するものだった。一瞬面食らった王だったが、確かに話をするには座った方が楽だろう。そして、この場にある椅子と言えば、玉座くらいで、それは当然一台しかない。

「では、そなたに倣って私もここに座ろうかの」

「へ、陛下! おやめ下さい! 王ともあろう立場のお方がそのような!」

 伯爵の真似をして、その場であぐらをかいた王。その姿には、そばにいた伯爵だけでなく、隣で立っていたエルリッヒ達娘二人に、遠くで見ていた親衛隊員の全員が、驚いた。

「何、よいではないか。まあ、マントは汚れてしまうかも知れぬがな。ハッハッハ! さあ、そなたらも座らんか。特にエルリッヒ、そなたそのドレス、もうそのように切られておるのだ、今更ほこりが付いたとて、気にする事はなかろう」

「は、はぁ……では……」

 ここは逆らわない方が身のためだ。エルザ共々、素直に座った方が話が和やかに進むだろう。庶民生活三百年のエルリッヒは気にしないが、エルザはどうだろうか。気にして座れないかも知れない。そんな事を考えていた矢先……

「で、ではっ!!」

 まるで、大舞台から飛び降りるような心持ちなのか、エルザが思い切り目をつぶったまま、同じように床に座り込んだ。

「エルザちゃん……」

 エルザが意を決したのだ。エルリッヒが遅れを取るのは格好がつかない。当然のように座り込む。エルザと二人、あぐらというわけには行かなかったが、この着慣れないドレスはやはり扱いにくい。

「さ、これでよいな。この円座なら、話も進みやすかろうて。さあ、話すがよい。そして伯爵よ、知っておる事を隠さず話すがよい!」

 まるで一番興味津々と言った様子の王に促されるように、話は始まった。



 そして親衛隊達は、いつものように、部屋の両脇に戻って行った。




〜つづく〜

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