チャプター20
〜王城 一階〜
「ほら、入れました♪」
城内に足を踏み入れると、したり顔でエルザが話しかける。それは自分の人脈があってこそなのだが、これは先ほども思った事で、あえて黙っている。せっかく嬉しそうにしているのに、そこに水を差すのは気の毒だ。
「結果論ですけどね……」
と、疲れたように答えるのが精一杯だった。
「結果論でもいっじゃないですか。大事なのは結果論ですよ。それにしても、父はどこにいるのでしょう」
女の子二人で入る城内は、とても慌ただしく見える。身なりのいい貴族達やメイド達が行き交っている。本当は普段通りの様子なのかもしれないが、エルリッヒの目にはせわしなく映った。
時折、すれ違う貴族がこちらに視線を向けるのが、なんとも居心地が悪い。招かれて訪れたわけでも、正当な理由があって訪れているわけでもない。居心地が悪いのも当然の事なのだ。
「あ、あの、伯爵様はどんなお仕事を?」
「お父様は貴族院議員として政務に当たっております。けれど、詳しい事は存じませんので、今どこにいるのかは……」
なんと頼りない事だろうか。しかし、貴族の家など、そのようなものなのだろう。竜王族の家は、子竜の頃から自分の家や能力について、色々と教えられて来た。それが、人間社会に入って、貴族の家に於ける家族間の距離という物を知った。庶民でも知ってるそれは、独特の文化なのだと強く感じさせた。
「そっか。じゃあ、片っ端から調べます? この格好だったら、怪しまれても即不審者って感じでもないし。それとも、王様に訊いちゃうとか」
「お、王様! 陛下に伺うのはさすがに立場が……やはり、お城の中を探して廻るのが良さそうですね。では、参りましょうか」
勝手の分からない者同士、二人で城内を探し始める。城内を、エントランスから奥の貴賓室、待合室、厨房、書庫、二人が入れる所は、くまなく探した。それでも、入る事の出来ない部屋の方が多く、その探査は不十分と言わざるを得なかった。事実、しばらく探してみるも、ルーヴェンライヒ伯爵の事は発見できなかった。
「むー、見つかりませんねぇ」
「半ば、予想通りでしたけどね。盲目的に探すのって、そんなに簡単じゃないですよ。だから、誰かに訊いたり王様に教えてもらうのがいいと思うんですけど。玉座の間なら、行き方は知ってますし」
それが身分や役職の都合上とても無茶だと言う事は分かっている。大貴族でもなければ、アポイントなしで王に拝謁などできるはずがない。そもそも、王というのは多忙な立場であり、そうそう時間が取れるはずもない。それでも提案しているのは、なんとなくの自信があったからだ。
「行くだけ行こう。途中で兵士の人に追い返されそうになったら、その時はその時です」
「エルリッヒさん。そうまで仰るのなら、乗りましょう!」
もはや、どちらが無茶を言っているのか分からないような状態だ。そして、どこの誰かは分からずとも、貴婦人二人が快活に腕を振り上げているような姿は、いくら城と言えど目立つ。貴婦人は、普段城にはいないのだ。ここにいる貴婦人は、そのほとんどが王族だ。その数も多くはない。
「じゃあ、行きましょうか! 王様の部屋は、あっちの一番大きな階段を登って行くんですよ」
「はい!」
二人はスカートの裾を気にしながら、ずんずんと進んで行く。急ぐ事でもないのだが、ついつい歩幅が大きくなる。何しろ、このかかとの高い靴で歩くのは、石造りの城内では想像以上に疲れてしまう。これが、普段の板張りならまだ過ごしやすいのだが。貴婦人とは、このような環境で暮らさなければならないというのか。ならば、やはり自分は庶民でよかった、人間社会の外の王族でよかった。そう思わずにはいられない。
「それにしても、お城って何度来ても広くて疲れちゃいますね」
「そうですね。わたくしはまだ自宅も広いですから多少は歩き慣れていますけれど、エルリッヒさんからすると、特にそう感じるかもしれませんね。それはそうと、あら? あれは……」
通路を歩いていると、周囲の貴族が騒がしくしているのが目についた。先ほどの慌ただしさが通常業務での忙しさを想起させるのに対し、なんだか急にざわついたような印象を受ける。エルザが気にした視線の先は、貴族達が集まっており、気にならざるを得ない。行ってみるしかない、というのが二人の暗黙の結論だった。
「なんでしょうね」
「エルリッヒさんも、気になりますよね?」
にっこり笑って人だかりへの突撃を確認する。一体何事だというのか。
「よいしょ、これは一体……」
「ちょっと、私話を訊いてみますね」
このままでは埒があかない。とりあえず、誰かに話を訊いてみなければ。出来るだけ、出来るだけ腰の低そうな人がいい。身分の違いで大きな態度を取られたので、癪に触る。まともに話の出来そうな相手は……
「あのー」
目をつけたのは、少し年上くらいの、太った青年貴族。なんとなく、人の良さそうな性格が風貌からも気配からもにじみ出ていた。
「ん、なんだい? それよりも、君は?」
「あ、えっと、竜王国第二王女の……って、そんな事より、この人だかりは?」
つい、本当の出自が出てしまった。悲しくも予想通り、この青年貴族は表情をほころばせた。本当に、嬉しいやら悲しいやらである。
だが、下手に庶民だと言えば、態度が急変するかもしれない。そんな事のなさそうな人選をしたつもりではあったが、万一という事もある。
「ははは、面白い冗談だね、それは。竜の王国なんてあったら大変だよ。あぁ、この人だかりについて聞きたいんだったね。突然陛下が城内を見て回る、なんて言い出したらしいんだ。それでこの有様さ。王様一人城内を見回るだけで、親衛隊は動くし大貴族の連中は駆り出されるし、大変なんだよ。僕たち下級貴族としては、陛下のお姿をその目で見る数少ない機会だから、つい興奮しちゃうけどね」
「なるほど、そういう事だったんですね。それは、確かにみんな集まりますね」
これは幸運と言うべきなのかどうなのか。王がすぐここを通るらしい。もちろん、エルリッヒの事を覚えていないかもしれないし、覚えてくれていてもこの場で話をする事は出来ないかも知れない。だから、決して楽観視はできないが、少しだけ、光明が差したような気持ちになった。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして。君も、陛下のお姿はしっかり目に焼き付けていた方がいいよ」
そう言いながら笑顔を送ると、青年貴族は再び人だかりに突っ込んで行った。少しでも前で、少しでもはっきりと王の姿を見たいらしい。それはそうだろう。納得できるからこそ、その後ろ姿を黙って見送る。
「さて、エルザちゃんの所に戻らないと」
エルザはのんきな笑顔をたたえたまま、エルリッヒと青年貴族のやり取りを見ていた。はぐれて見失いでもしたら、とても面倒だったが、幸いその辺りの事は分かっているらしい。すぐさまエルザの元へ戻る。
「お帰りなさい。情報は頂けましたか?」
「頂くも何も、王様が城内視察でここを通るんだって。上手くすれば、伯爵様の居所を教えてもらえるかも!」
淡くわずかな希望を大きく膨らませて、二人も人だかりに突っ込む。男性達に比べれば身軽で細身なので、隙間を縫って忍び込む事は容易だった。手をつなぎ、少しでも他者に触れないようにと、気をつけながら体を滑り込ませる。その、少しの苦労で、二人は最前列に辿り着いた。
「んしょっと、到着!」
「わぁ! ここなら、きっと間近に陛下のお姿が見られますね!」
人だかりの向こうは、人が数人並んで通れるだけの隙間を空け、対岸にも人だかりが出来ていた。とりあえず、王と側近達が通るだけのスペースは空けておく、という事のようだった。
「なんだか物々しいけど、いつ現れるのかな……」
「この方達と同様に、気長に待ちましょう!」
じっと待つ事五分、エルリッヒが痺れを切らしかけた、その時だった。
「陛下だ!」
「陛下だ!」
「いらっしゃったぞ!」
誰かが叫ぶ。すると、他の人も口々に叫んだ。そして、次の瞬間……
「えっ!」
その場にいた全員が、深々と頭を垂れた。見ると、隣のエルザも同様だった。これはどういう事か、戸惑う。
「ちょ、ちょっと……」
「エルリッヒさん、陛下の御前です、頭をお下げになって」
なるほど、それが礼儀なのか。言われてみれば、今までも似たような事はして来た。この人だかりを前に、ついそれを忘れてしまっていた。
改めて、エルリッヒも深々と頭を下げる。なんだか少しだけ屈辱的なのは何故だろう。その気持ちの真意を考える間もなく、かつて接した事のある、王の気配が近付いて来た。
「あー、皆の者、突然の城内視察でこのような出迎え、少々大袈裟ではないのか? それぞれの職務もあろう。こうして、王たる私が城内を歩く事など、何も珍しい事ではないではないか。しかも、せっかく王の姿を見ようと集まったのに、そのように頭を垂れては、この顔も見えまい」
左右に並んだ見物人達の様子に、王が気遣いを見せる。相変わらず、いい王様だ。今まで、外国の王族と接する機会などはなかったが、悪政をしいる独裁者や、エルリッヒの滞在中に革命で首をはねられた王もいた。それを考えれば、よほど上等な王様だ。
「皆の者、そう畏まらずーー」
話の途中だというのに、不意に言葉が止まった。一体何事だろうか。頭を下げたままの見物人一同には、それが分からない。
かつかつと足音が響き、気配共々近付いてくる。
「そなた、そなたは確かエルリッヒと申したな」
「え?」
目の前まで来た足音が止まると、王が自分の名前を呼んだ。不敬とそしられるかも知れないような、素っ頓狂な返事を返してしまう。
「見間違いでなければ、ツァイネの友人、エルリッヒであろう? 面を上げ、返事をせよ」
「えっと、あの、その通りです」
こういう時どのように接するべきなのか。答えを必死に探しながら、慎重に返事をする。何かあっては大変だ。何しろ、貴族連中に親衛隊がこの会話を、神経を研ぎすませて聞いているのだから。
「よかった、見間違いではなかったようだな。そなたのその、燃えるような赤い髪は、とても特徴的であるが故な。して、そなたなぜこのような場所に? しかもこのような身なりで。何か事情がなければ、庶民が城に上がる事はあるまい。よかったら、この王に話してみよ」
バレた! 庶民階級である事が、一同に知れ渡ってしまった。素早い動作で親衛隊が駆け寄る。そして、剣を抜き放ち、エルリッヒの前に突き出した。
「そなた庶民階級と言ったな。どうやって門番の検問をくぐり抜けた? 特別な許しがなければ、平民は城へは上がれぬ決まり。陛下の御前故首は撥ねぬが、早々に立ち去るがよい」
なんと物々しい事か。そして、この場で追い返されてしまうのか。せっかくこの場まで来て、王に直に声をかけてもらったというのに。その幸運が、身分によって潰えてしまうのか。
「まあ待て。私が、事情を話せと言ったのだ。それに、先ほども言ったであろう。この娘はあのツァイネの友人だ、身分がどうあれ、身元は証明されておる。それに、かの南方での悪魔騒動の折には、多いに力になってもらった。もしこの者の首をはねよう者なら、その者の首をはねておるわ」
「も、申し訳ありません! 出過ぎた真似を!」
親衛隊員は、怯えた様子で剣を鞘に納めると、王の後ろ、他の親衛隊員の元へと戻って行った。
「バカだなぁお前。陛下の指示を待てばいいのに」
「そうは言ってもだな、庶民がこの場にいる事自体……」
「規則じゃ、そうだよな。でも、俺は覚えてたぜ? あの子、ツァイネさんの友人で、例の件で何度か陛下に直に謁見してた。事情はどうあれ、陛下が認めた相手だったら、剣を向けただけで、下手すりゃこっちがクビか降等処分だ」
「だよなぁ。俺も、なんか見た事あると思ってたんだよ」
親衛隊員の会話からは、どことなくのんびりとした空気が感じられた。真面目なのはいい事なのだろうが、今回はそれが過ぎてしまった、という事か。
「すまなかったな、エルリッヒよ。怖い思いをさせたのではないか?」
「いえ、あれくらいでは私はなんとも。それよりも、覚えていてくださって、ありがとうございます」
深々と頭を下げ、礼を言う。先ほどの一件で、見物人一同も頭を上げていたが、覚えてくれていた事には、もう一度頭を下げてでも、心から感謝を伝えたかった。
「そう大した事でもあるまい。王が国民の顔を覚えているなど。本当ならば、この国の全ての人民の顔を覚えておきたいものだがな。さてエルリッヒよ、話を戻すがなぜこのような場所に? 事情を聞こうではないか。皆の者! 城内視察は取りやめじゃ! 貴君らの忠心はしかと受け取った! 各々の持ち場に戻り、職務に励むがよい!」
王の一声で、見物人は散開する。これが王の言葉か。王の力か。見事だった。最後に残ったのは、王の一行と、エルリッヒと、そしてエルザだけだった。
「そなたは?」
「わ、わたくしは、ルーヴェンライヒ伯爵が娘、エルザマリアにございます! この度は拝謁の機会を得まして……」
すっかり固くなり、言葉がたどたどしくなっていた。それはそうだろう。会った事もない国王が、目の前にいて、自分を気にかけてくれるというのだから。
「なるほどな、ルーヴェンライヒ伯爵の娘御か。その様子では、エルリッヒと共にここに参ったようだな。さすれば、事情は同じか。ここでは話しにくかろう。多少の時間は取れる故、上の執務室で話を聞こう。力になれるかどうかは、分からんがな」
「あ、ありがとうございます!」
「も、もったいなきお言葉!」
二人の畏まった様子に、王は高らかに笑い声を上げた。
〜つづく〜




