チャプター18
〜エルザマリアの私室〜
「わぁ!」
ドアの向こうに広がっていたのは、まさにいつか夢見たお姫様の世界。淡いピンク色に染められた分厚いカーテンは豊かなドレープを描き、中央に鎮座する大きなベッドは期待を裏切らない天蓋付き。もちろん、その天蓋の四隅からは、薄く遮を張るレースが踊る。
床に敷かれた真っ赤な絨毯は、強い色でありながら派手さを感じさせる事なく、中央の紋章のような刺繍と淵の金糸が煌めきを彩る。
当然、調度品も上品かつ、豪奢だ。ソファに至っては、先ほど座った応接間のものにも引けを取らないであろうふかふか加減が、見ただけで伝わって来た。
そんな部屋が、竜の紅玉亭にも負けないほどの広さで繰り広げられているのだ、興奮しないわけがない。
「気に入って頂けました?」
「もちろん! あのソファに座っても?」
促されるままに座ったその座り心地は、まさに夢見心地。のんびり座っているだけで、とても幸せな気持ちになる。そして、この位置からだと、丁度視線の先には窓越しの庭が見える。屋敷の近くは、しっかりと手入れのされた庭園が広がっており、咲き誇る冬の花が美しい。
「素敵なお部屋……」
「ありがとうございます。じゃあ、わたくしも失礼してお隣に」
そう言って、上品な仕草で隣に座った。当然のように、あの香りがふわりと広がる。いつ嗅いでもいいものだ。
「それじゃあ、落ち着いた所で、早速お話を伺ってもよろしいですか?」
「あ、そっか、エルザちゃんに素性や事情をお話ししないといけませんよね。私も、伺いたい事がいくつかありますし」
二人は顔を見合わせると、にこりと笑みを交わした。さあ、ここからは優しい質問合戦だ。
「えっと、じゃあわたくしの先ほどの質問からさせて頂きますね。エルリッヒさんは、どちらにお住まいで、何をしておいでの方なのでしょう?」
「はい。じゃあ私から答えさせてもらいますね。私は、街の南にある、コッペパン通りで食堂をやってます。貴族でも、お金持ちでもありません!」
貴族社会では恥ずかしがるような事でも、庶民階級には関係ない。卑しいとされるその身分も、決して豊かではない財政も、惜しげもなく話してしまう。一方には、竜社会での決定的な身分や立場を持っていて、そこは貨幣の存在しない社会が構築されている、というエルリッヒ自身の背景も存在していた。明確な国土のような物はないが、この世界のあらゆる竜族が、たとえ自分達に好意的でなかったとしても、領民という事になるのだ。よほど広大な国家の王女と言っても過言ではない。
「まあ! わたくし、庶民の方の暮らしって、とっても興味があったんです! お食事はお野菜の切れ端が少し浮かんだだけのスープって、本当なんですか? お家は鎧戸を閉めてもすきま風が入るって、本当なんですか?」
目をキラキラと輝かせ、両手を掴むと身を乗り出して訊いて来た。一体、どこで仕入れた情報なのだろう。エルザの抱いている「庶民」のイメージは、ひどく偏っているようだった。
ここは、優しく事実を教えてあげなければ。
「あのね、エルザちゃん」
しっかと掴まれた手を膝の上に置き、期待を裏切る事に少しだけ罪悪感を覚えつつ言葉を紡いで行く。
「少なくとも私はもっとましな食事をしているし、鎧戸まで閉めたらちゃんとすきま風は防げる暮らしをしていますよ? この国は王様がしっかりしているから、そこまで貧しい暮らしをしている人は、いないんじゃないかなぁ。農耕従事者もまともな暮らしをしてるし、税金が重くて大変っていう話も聞かないし、奴隷制度もないし」
現実的な話に、だんだんと瞳の輝きが元に戻って行く。本当なら、その方がいいに決まっているのに、どこで仕入れたのか、正しい庶民の暮らしに、少しばかりがっかりした様子を見せた。
「そうだったんですね。わたくしったら、とんだ勘違いを。お恥ずかしい。けれど、あまり貧しい暮らしをしていても、皆様困ってしまいますものね」
「そうですよ。私たちがお金持ちじゃないのは仕方のない事ですけど、暮らしに不自由しているわけじゃないんですから」
事実とは違うイメージを抱いていたとしても、それは正せばいいだけだ。そして、それは勘違いしたままであっても、実のところ差し障りがあるような物ではない。少なくとも、目くじらを立てるような事はないのだ。
「それよりも、私こそエルザちゃんの事や、この家の事をもっと知りたいんです。私がなんでこのお屋敷に来たのかは後でお話しするとして、その辺は、教えてくれますよね?」
「もちろん! なんでも訊いてくださいな。尤も、この家の事については、わたくしも知らない事が多々ありますから、そこはご容赦いただく事になってしまいますけれど」
よし、これで算段は着いた。再び浮気調査の開始だ。もちろん、せっかく出来たエルザとの縁は無駄にしたくないため、それは十分に考慮しなければならない。
頭の中で必死に順序と言葉を選んで、会話を紡ぐ。台詞を繰る。女の子同士、仲良くなった友達同士、気安くも礼儀を忘れずに。
「えっと、一番肝心な事からなんですけど、エルザちゃんは、貴族なんですか? それとも、富豪の娘さんなんですか?」
「まあ!」
この質問に、目を丸くするエルザ。大きな口を開け、そこに手を当てて驚きを表す。なんともステレオタイプのお嬢様らしい仕草だ。だが、なんともかわいらしい。
「エルリッヒさんはご存知なかったんですね? わたくしの名前はエルザマリア・フォン・ルーヴェンライヒ。我がルーヴェンライヒ伯爵家は、古くから王家に使えて来た家なんです。わたくしは、しがない娘に過ぎませんが、この家の伝統と格式は伝えて行きたいと考えているんですよ?」
「はぁ〜、貴族の娘さんだったんですねぇ! 貴族の方と知り合ったのなんて、初めてですよ〜!」
大富豪なら、大金持ちと言っても身分は同じ平民だが、貴族となると話は別で、ついつい萎縮してしまう。相変わらず、自分が竜族の王女であるという出自はおくびにも出さない。信じてもらえないどころか、人間でない事をほのめかすような物で、とても危険だ。さすがに人間ではない事は信じてもらえないかも知れないが、頭のおかしい娘と言う烙印を押されてしまうかも知れない。
やはり、庶民階級が一番だ。
「そ、そんなに大層な物では。貴族といっても、伯爵家の中ではさほどではありませんし、爵位だけが全てではありませんし」
「そうは言っても、やっぱりすごいです! なんか、身分違いですみません……」
これだけ長い間生きて来て、貴族と知り合ったのは初めてなのだから、やはり人生何があるか分からない。だから楽しい。
「いいえ、こちらこそ、庶民の方と知り合えてときめきましたよ? 知り合う方知り合う方、同じ貴族や大金持ちばかりで、飽き飽きしていましたから。さてと、それで、エルリッヒさんは何をしにここへいらしたんですか? お商売、ではないですよね?」
「はっ! そうだった! ここへ来た目的を忘れる所でした。えっと、この事は、公にはしないでほしいんですけど、このお屋敷に、家具職人のゲオルグさんっていうおじさんが来てますよね? 知らないですか?」
ようやくで思い出した本懐。そう、エルリッヒは浮気調査に来ていたのだ。これを忘れてはならない。家人とは言えエルザがどこまで知っているのか、それは神のみぞ知る、といった所だった。
「ゲオルグ様、ですか。さぁ、わたくしは存じませんねぇ。そういう事なら、ハインツかお父様、せめてお母様にでも尋ねた方がよいのではありませんか? 公にしたくないという事情はお察ししますが、家の事となれば、わたくしでは知らない事も多々ありますので。家具を新調するような話でしたら、尚更」
エルザでは、情報源としてあまりにも頼りなかった。一般家庭ならいざしらず、こんな貴族の家では、こういう事も想定しておかなければならない。
「そっか、そうですよね。エルザちゃんなら、と思ったんですが……」
少しばかり困ってしまった。これでは手詰まりだ。できれば、伯爵様とやらに話を訊くような真似だけは避けたい。事が大きくなりすぎる。かと言って、あのハインツにもそんな事は尋ねられない。
「お役に立てなくて申し訳ありません。せっかく頼ってくださったのに。あ、そうだ、それでは!」
パン! と手を叩き、また表情を輝かせる。
「へ? 今度は何を思いついたんですか?」
何しろ相手は貴族の娘だ、どこにどう発想が飛ぶか分からない。お金に糸目をつけず、生まれついた身分だけで多くの人間にかしずかれているのだ、エルリッヒにしてみれば、想像の範疇もいい所だった。
「お城です!」
「へ?」
今、何を言ったのだろうか。この娘は。おもむろに立ち上がったかと思えば、唐突に、とんでもない事を言い出す。
「ですから、お城です! 二人でお城へ行って、父に直接確認して参りましょう!」
「なんですと〜〜〜〜〜〜!!!!!」
その叫びは、屋敷中に響き渡った。
〜つづく〜




