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チャプター17

「初めまして、お客様。それで、あなたはだぁれ?」

 少し無邪気な表情を作ると、お嬢様は再びこちらに声をかけて来た。それはそうだろう。娘が来客予定を知らなくても無理はないが、この場に居合わせたら気になるのも道理だろう。それに、エルリッヒは決して「身なりのいい娘」ではない。人前に出るのに恥ずかしい格好をしているわけではないものの、相手は貴族か大富豪の娘だ、釣り合いが取れるはずもない。

 なんだか、少しばかり自分の服装が恥ずかしくなって来た。

「えっと、私は……」

「この方は、エルリッヒ様とおっしゃいます、お嬢様」

 困った様子を察してくれたのか、ハインツが助け舟を出してくれた。とてもありがたい事だが、肝心なのは、「なんと言う名前か」ではなく、「どういう素性なのか」という事なのではないだろうか。そうなれば、名前が知れた所で、何一つ質問には答えていないのと同じになってしまう。

「そう、エルリッヒさんと仰るの。いい名前ですね。わたくしはエルザマリアと申します。エルザ、とお呼び下さい」

 長い名前だ、と思ってしまった。前半分を愛称にしているのも頷ける。そして、その愛称で呼ぶ事を許されたという事は、最低限警戒されていない、という事なのだろうか。娘同士という気安さはあるのかも知れない。

「エルザ……お嬢様……?」

「お嬢様だなんてそんな堅苦しい。そういうのは嫌です。わたくし、堅苦しいやり取りには少々飽き飽きしておりまして」

 口を尖らせるエルザの表情は、心の底から嫌がっているように見える。これだけ丁寧な言葉遣いをする娘に言われても説得力はないのだが、本人がそう言っているのだ、ここは無礼講を意識するのもいいのかも知れない。あるいは、同世代の友達が欲しかったのかも知れない。

「じゃあ、お言葉に甘えて、エルザ……さん。それとも、エルザちゃん、の方がいいですか?」

「まあ! その呼び方は庶民の方が親しい女の子に使う呼び方ではありませんか! いいですね! では、わたくしの事はエルザちゃんとお呼び下さい!」

「お嬢様いけません! いくらエルリッヒ様が怪しい者ではないとはいえ、そのように気安くお心を許されては!」

 咄嗟にハインツがたしなめるが、心底つまらなそうな顔を作ったエルザは、腕を組んだままため息をつく。

「この、堅苦しいお屋敷での生活、少しは潤いがあってもいいと思ったわたくしの心、汲み取っては頂けませんか? このようにお化粧をしても、髪飾りに凝ってみても、美しいドレスを身に纏っても、誰が見てくれるわけでもなければ、親しい者が感想を述べてくれるわけでもないんですから。せめて、呼び名くらい自由に振る舞っても」

 そう言って、くるりとその場で回ってみせた。ドレスの裾が美しく開き、まるで大輪の花のように舞う。そして、その動きに乗ってか、また一層、あの香水の香りが濃くなった。

「やっぱり、いい匂い……」

 嗅覚の敏感なエルリッヒ、ついつい口に出てしまう。

「あら! エルリッヒさんもそう思われますか? わざわざ外国から取り寄せている香水なんです! こうして気に入ってくれる人に会えて嬉しい!」

 表情をほころばせたかと思うと、エルリッヒの目の前までやって来てその手を取る。驚きこそすれ、目の前でこれだけ輝いた表情をされては、悪い気はしない。

「いい匂いですよね。私、匂いに敏感で」

「そうだったのですね。こうして気に入ってくれる方に出会えただけで、わたくしは幸せです。じい、このような方が怪しい者のはずはないのですから、わたくしの事はもうとやかく言わないでくださいな」

 先ほどまでの表情から一転、少しきつめの表情を作ると、ハインツに声をかけた。エルリッヒの感じた穏やかな雰囲気はそのままに、少し険しい表情をするその姿からは、心の底からの優しい性格を感じさせた。

(純粋培養なんだ……)

 と思う。外界の醜い事を、きっとほとんど知らないのだろう。出来る事なら、その方がよい。色々知ってしまうと、いざという時には対処できるかも知れないが、普段の心根にも影響が出てしまうのだから。

「仕方ありませんな。くれぐれも旦那様には気取られませぬよう」

「分かっています。さ、エルリッヒさん、せっかくここまでいらしたんですから、わたくしの部屋にご案内させてくださいませんか? この応接室も立派ですけれど、女の子が過ごす部屋ではありませんし」

「いいんですか?」

 と、ハインツの方を見遣る。身分、立場、そもそも侵入者という事情、どれを考えても、令嬢の部屋に招かれていい存在ではない。エルザは気にしないだろうが、屋敷を預かるハインツからしたら、眉をひそめたくなるような話かも知れない。

「……」

 口では何も言ってくれなかったが、その表情からは「仕方ない」といった様子がうかがえた。それだけの情報が得られれば十分なのだが、やはり、心からの許可ではない様子だった。

「じい、この事はお父様達には他言無用です。いいですね?」

「はい、心得ております」

 内心苦い気持ちもあるのだろうが、それでも止めたりはせずに送り出してくれた。今はただ、その心意気に甘えよう。感謝しよう。




〜エントランスから続く大階段〜



「ねえ、エルリッヒさん」

「なんですか?」

 めまいがしそうなほどの大階段を二階に向け上っていると、前を上るエルザが話しかけて来た。

 ひらひらと揺れるスカートに視線を向けながら答える。

「エルリッヒさんは、どういう方なのですか? どこから来て、何をしていて、どういうご身分で」

「あはは〜、話さなきゃとは思ったけど、このタイミングですか。誰が聞いてるかも分からないし、お部屋についてからじゃダメですか?」

「あら、それはうっかりしていましたね。そうですね、お部屋の中の方が、気兼ねなく話せますかしら。では、今の質問はもう少し先に取っておきましょう」

 エルリッヒとしても、色々訊きたい事がある。部屋についてからなら気兼ねない、というのはお互い同じなのだから、そういう、「質問コーナー」のような時間を用意するのは、とても重要なプランだった。

「それで、エルザさ……っとと、エルザちゃんのお部屋はどちらに?」

「二階の一番奥なんです。少し遠いのですが、ご容赦下さいね」

 階段を上り切ったところで、こちらを振り向いたエルザの申し訳なさそうな表情が返って来た。なんと曇りのない表情なのだろう。

「いえ、歩くのは平気ですから。それに、私の方が歩きやすい格好をしてますし」

「それもそうですね。じゃあ、しっかり付いて来てくださいね」

 長い廊下を歩いて行く。慣れた様子のエルザは、どう考えてもエルリッヒよりも歩きにくそうな格好をし、どう考えてもエルリッヒより体力がない。それなのに、このすたすたとした歩調は、まさしく慣れている事の現れだった。

「エルザちゃん、すごいですね」

「? 何がですか?」

 いきなりすごいと言われても分かるまい。だが、すごいと思ったのだ。もし自分がこのような格好をしたら、恐らくこれほどの速度では歩けまい。服装に慣れる事に時間を取られてしまう。もちろん、そんなくだらない事を考えているなどとは、とても口には出来ないのだが。

「いえ、こちらの事です」

 とお茶を濁すのが精一杯だった。

「さ、着きましたよ」

 どれだけ長い廊下であろうと、歩いていればいつかは辿り着く。案内された私室のドアは、なんの変哲もない、ただの立派なドアだった。果たして、この向こうにはどのような「素晴らしいお嬢様の部屋」が待ち構えているのか。

「お気に召して頂けるといいのですが」

 遠慮がちにエルザがドアを開けた。




〜つづく〜

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