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チャプター14

〜昼下がり エッセン通り〜



 エルリッヒは件の屋敷、双頭の竜の家紋をあしらったあの屋敷の近くにいた。結局、夕べから今まで、この屋敷の住人についての情報を聞き出す事が出来なかった。こんな事なら、さっさと聞き出しておけばよかったのだが、アトリエに着いてから、などと考えていたのがよくなかったようだ。

「それにしても、柔らかかったなー……」

 フォルクローレと言って思い出されるのは、その頬の柔らかさだった。自分でもなんであんな事をしたのか、よく分からない。だが、人間として300年生きて尚、「人間の女の子」という存在に対する憧れや関心、そして辿り着けない距離を感じているのだ。そんな感情が、コンプレックスが、不意に顔を出す。

「別に、誰に疑われてるわけでもないし、私だって竜の王族じゃ十分に若い娘なんだし、き、きっと私だって、同じくらい柔らかいはず!」

 誰に言い聞かせるわけでもなく、自分に言い聞かせるように叫ぶ。

「はっ! だ、誰かが聴いてたら、絶対変な子だって思われる……いかんいかん。ここは貴族の住む通りだし、気をつけなきゃ」

 貴族が本気になれば、身元を割り出すなど雑作もない。貴族が圧力を掛ければ、お店が営業停止になる。貴族が王様に願い出たら、街を、国を追い出される。

 悪い予感がぐるぐると巡る。唯一思い浮かばなかったのは、殺されるとか、武力で潰されるとか、そういう方面だけである。さすがに、力でエルリッヒに敵うものはこの国にはいない。

「よ、よし、期を落ち着かせよう。すー、はー。すー、はー」

 深呼吸をして、今一度件の屋敷に視線を移す。今はフォルクローレの頬の柔らかさは忘れよう。女の子としての羨望や嫉妬は捨てよう。

 今はただ、浮気調査をするのみだ。

「ドキドキする……」

 貴族の屋敷というものは、とかく広大だ。大邸宅があり、その周囲に広大な庭があり、そのさらに外側に外壁と門がある。コッペパン通りのお店を全て敷き詰めてもまだ十分に余るほどの敷地が、たった一軒の敷地なのだ。そして、この通りには、そんな広大な敷地の屋敷が、いくらもある。

 用があって尋ねるものは、そのアポイントの有無にかかわらず、広い庭を通って屋敷に行かねばならないのだから、骨が折れるというものだ。お城への出仕が馬や馬車だというのもうなずける。

「おじさん、この広い庭をどうやって越えたのかな。約束でもあれば、出迎えが来てくれそうだけど……」

 貴族や富豪相手に商談経験のあるフォルクローレは、せっかくの頼みの綱だったというのにアトリエでぐっすり二度寝を満喫している。やはり、ここは一人で乗り込むしかない。

 関係者に直接、事情を聞き出すのだ。

「よし!」

 まるで鉄格子のような門を開けると、広大な庭を進んで行く。鍵が掛かっていないのは不用心だと思うのだが、ここから屋敷の人間に来客を告げる手段がない以上、不用心にせざるを得ないのだろう。

 こうして徒歩での来客などは想定していないのだろうか、歩くのはとても面倒だ。元の姿であればひとっ飛びの距離なのに、そんな事はできない。めんどくさいのを必死に我慢しながら進んで行く。幸い、体力には自信がある。歩けば必ず到達するのだから、難しい事は何もない。

「それにしても広大な庭だよ。お金って、ある所にはあるんだなぁ」

 目に見える広大な自然に、ただただ感心するばかり。人間社会にはお金というものがあり、何かを得ようとする時には、それと交換しなくてはならない。そして、それは物々交換よりも細かく価値が計算される。竜社会には存在しない概念だ。竜社会では、何かを得ようと思った時には、己の力で相手から奪い取るのが当然で、数少ない例外が、親が子に食事を与えるような時だった。

 だから、この概念に慣れるまでには少し時間がかかった。人間社会で、子供が貨幣という概念を身につけるのとさほど時は変わらないが、生後百年を数える竜の王族は、もう姿形は立派な大人で、人間の姿になってもいい若者だ。この頃から、永い青年期に入るのだ。つまり、いい若者が貨幣社会に馴染んでいないという事は、周囲からとても奇異な目で見られる、という事になる。

 森の奥の未開の部族出身でなし、親に捨てられ自然の中で育って来たでなし、身なりも言葉も姿形も、元からそこにいたかのような若い娘が、貨幣と言う概念を知らなかったのだ。思い出すだけでも、苦々しく、恥ずかしい。

「ま、あの頃の事はいいか。今が幸せなら。こんな土地を買うお金なんて、多分一生稼げないけど、それはそれ、人それぞれの領分って奴だしね」

 貨幣というものを知ると、それで得る事の出来る物の種類を知る事になる。食べ物、飲み物、衣服、武器、馬車の運賃、土地、真っ当なこれらの物以外にも、人の命を奪わせたり、貴族の家格を譲り受けたりという事も、傭兵を雇って戦争を手伝ってもらう事もできると言う事を知った。困っている人を助けてあげた時の対価としてお金を受け取る事も知った。

 そんな中で謎だったのが、「貴族」というものだった。彼らは一体何をしてこれほどの権利とお金、そして力を手にしたのか。

「竜殺しの勇者をやっつけたうちのご先祖様とは、違うんだろうなぁ……」

 人間社会の歴史を知れば、王族の成り立ちが竜社会とさほど変わらない事も知る事が出来る。大悪党を退治した戦士のリーダー、土地を開梱した先駆者、そういう人間が王族として、今各国を統治している。では、その側近である貴族は? 少なくとも、竜社会には貴族という概念はなく、王族と一般の竜族しか存在しなかった。

 そして、人間社会で人間の娘として生きるエルリッヒに、貴族と接する機会など、当然ありはしなかった。

「この土地だって、向こうに霞んで見えるお屋敷だって、そこらの馬だって、全部お金があって初めて手に入れられるんだもんなぁ……きっと、お手伝いさんも一杯いるんだろうし」

 てくてくと歩きながら、ついつい俗っぽい事を考えてしまう。長生きの人間三人分の年月は生きているのだから、当然と言えば当然だが、随分と人間的な物の考えになった物だ。

 もっとも、人間の姿を取る事が出来る竜の王族は、その姿を何かに利用しようとする事も少なく、持ちえる人間社会のルールも、言葉と衣服を身に着ける事の二つくらいで、後は竜社会独自の倫理観のままだったのだ、やはり特異と言えば特異なのだろう。

「お、お屋敷がもう目の前に。考え事をしながらだと、意外と早いもんだ。いや、そんな事よりもなんだこの豪邸……」

 ようやくで屋敷の前に辿り着くと、その広さに圧倒される。三階建ての上に屋根裏もありそうな構造、窓の数からすると、部屋はエントランスから左右にワンフロア十部屋ずつはありそうで、しかも庭も屋敷のそばは草原のようでなく、しっかりと手入れのされた美しい庭がしつらえてある。ここは、よほどの大貴族の屋敷なのだろう。

「こ、こんな家に突撃するのか。我ながら緊張して来た」

 これなら、どこぞでドレスでもあつらえて、人間社会の王族のフリをして、馬車にでも乗って来た方がよかったのではないか。

 屋敷にも掲げられた双頭の竜が刺繍された旗が風にはためく中、要らぬ事を考えてしまう。

 そもそも、ドレスなどどこで調達するのだ。高級な馬車に乗るにはいくらかかるというのだ。一国の姫が一人でいたらそれだけで怪しいだろう。ちょっと考えただけでも、不審な点が山ほど見つかってしまう。

「一応、本当に竜の姫なんだけど、通じないし、仕方ないか」

 大きなため息を一つつくと、気合いを入れ、ライオン型のノッカーを勢い良く叩いた。

「ごめんくださ〜い!」




〜つづく〜

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