チャプター12
〜朝 エルリッヒの私室〜
カーテン越しの柔らかな日差しと、すずめのささやきで不意に目が覚める。この季節の朝日はなんと暖かいのだろう。
掛け布団を手に、ゆっくりと体を起こす。少し寝ぼけの残る頭で、部屋を見回す。ベッドの向こうにあるはずのスペースには、綺麗にたたまれた布団がある。そうだ。おばさんが泊まっているのだ。こっそり自宅から持ち運んだこの布団、よくもと思う荷物だ。
昨日に続いて今日も、おばさんは自分に代わって早起きをして仕入れに行ってくれているのだろう。ありがたいにもほどがある。
そして、自らがいるこのベッドには……
「すぅ……すぅ……」
朝日を浴びて輝く金の髪を持った少女。フォルクローレである。
「そっか、フォルちゃんまで泊めたんだっけ」
夜中遅くに尋ねて来て、喧嘩を仲直りさせるようなアイテムがある、と教えてくれた。わざわざ寒い季節の真夜中に、とも思ったが、その気持ちは嬉しいものだ。そのまま帰すわけにもいかずに泊めたが、普段からあまり寝ていないのだろう。安らかな寝息は、朝日を浴びても布団を半分剥がされても、まるで変わる気配はなかった。
「フォルちゃん……」
寝ずに調べてくれた事への感謝以前に、普段から睡眠時間を削ってまで作業に没頭している事への少なからぬ憤りを覚えるのであった。
(たまには規則正しい生活をしろ!)
笑顔でそう怒鳴りつけたくなる衝動を必死にこらえる。やはり、友人には少しでも健康でいてほしいし、長生きしてほしいのだ。
自分に出来る事と言ったら、生活の管理、いやさ監修くらいだから、そこはきっちりと果たしたい。そんな気持ちがわいてくる。
「それにしても……」
と、視線の先の友を見遣る。普段どれだけいい加減な生活をしているか知らないが、こうして見ているとそれを全く感じさせない。
「なんていい匂いなんだろう。これは花の香りだ……」
荒んだ生活をしているのにも関わらず、フォルクローレからは花の香りが漂ってくる。そういう香水を使っているのか、そういうエキスの入ったもので髪を洗っているのか、とても香しい。
エルリッヒは人間より鼻が利くので、恐らくはそこまでしっかりとした匂いではないのだろうが、それが一層「女の子らしさ」を感じさせる。
結局の所、先日言われた一言が未だに頭から離れないのだ。これから身だしなみにもっと気を遣う、というのはもちろんだが、これまでの数百年が、あまりにも重くのしかかる。
何しろ、フォルクローレの15倍は生きているのに、下手をすると何日も寝ず、何日も食事を抜き、体だって何日も洗わないような娘に負けたのだから。
「き、気を取り直さねば」
とりあえず、そのフォルクローレを起こさないよう静かに起き、再び布団を戻すと、手早く着替えて一階へ降りた。
「さて、と!」
いくらおばさんが色々手伝ってくれているからと言って、それに甘えすぎてはいけない。本来は全部自分の仕事なのだ、おばさんの負担を軽くする事くらいしなくては。
まずは窓の鎧戸を開け放ち、光と空気を入れる。そして、桶を持って井戸に水を汲みに行く。それから、軽く掃除をする。ここまでが、開店前の準備だ。
そして、それが終わると、今度は朝食の支度だ。今日は三人分。賑やかになりそうな予感がする。
「おばさん、驚いただろうなー」
フォルクローレの闖入に気付いたのかどうかは分からないが、朝起きて知らない顔があったら、誰でも驚くものだ。
いつ起きてくるかも知れない友人の事を考えると、つい笑いが漏れてしまう。そして、そういう気持ちが、朝食の支度をはかどらせるのだ。
「さーて、おいしい朝ご飯を作っちゃうよ!!」
軽快なリズムとともに、包丁が野菜を刻んで行く。それはいつも通りのようで、少し違う光景だった。一緒に食べる相手が、三人もいるのだ。それも、全員女性。こんな事はまず滅多にない。
「今日は、フォルちゃんにはしっかりバランスの良い栄養を摂ってもらわないと! 後、絶対美味しいって言わせてやるんだから!」
おばさんとは今回の件が起こる前から、何度も一緒に食事をしている。だから、お互いの料理の腕については改めて、という以外は今更なのだが、フォルクローレに食事を振る舞った事はほとんどない。まして朝食ともなれば初めてだ。食事をきっちり摂る事の大切さと、美味しい食事を摂る事への喜びや楽しみ、そういった事を、食堂の主として思い知らせてやりたい。
エルリッヒの胸には、そんな固い想いが去来していた。
「おはよ〜」
フォルクローレがひょっこりと起きて来たのは、朝食の支度がすっかり終わった頃だった。
まだおばさんも戻って来ていないため、エルリッヒ自身も一切手をつけていなかったが、そもそも明るい日差しが差し込み、階下から生活音が聴こえているような状態でここまで眠っていられるなんて、さすがだと感心した。
「おはよ。朝ご飯できてるよ」
「うわーい! エルちゃん大好き! って、確か、隣のおばさんもいたよね。おばさんは?」
きょろきょろと周囲を見回すも、当然いるはずもない。おばさんは今頃荷車を持って朝の仕入れに行っているはずなのだ。
日の高さからすれば、もう戻りの道中だろう。特別遅くもなければ、心配するような事でもない。
「おばさんは、私に代わってお店の仕入れに行ってくれてるんだよ。ほら、私が浮気調査でお店を開けなきゃならないから」
「なるほどねー。んじゃ、持ちつ持たれつだ。早く戻ってこないかなぁ」
早速椅子に座っておばさんの帰還を待ちわびているが、フォルクローレはまだ寝間着のままだ。寝間着と言っても当然のようにそれはエルリッヒが貸したものであり、それを着ているフォルクローレの姿は、まさに寝起きそのものであった。先ほどベッドの中ではさらさらと、まるで絨毯のように広がっていた金の髪も、今はどういうわけだか寝癖が付いている。
「あーもー、おばさん待ってるならまだ時間あるから、その間に井戸で顔洗ったり髪梳かしたり着替えたり、出来る事あるでしょ? 朝の身だしなみを整えて来たらいいんだよ。私だって大概ものぐさだけど、フォルちゃんその辺無頓着過ぎ」
「えー? めんどくさいじゃーん。せっかく余所様のおうちで泊まって余所様の朝ご飯を頂いて、あまつさえこうしてパジャマまで貸してもらったんだし、もう少しこれに袖を通してたいなって思うじゃーん」
きっと、このフォルクローレという娘は着替えをして、身だしなみを整えたらそこからがらりと変わるのだろう。そして、研究に打ち込んだら最後、まただらしのない生活に成り果てると言う、非常に個性的な波の生活をしているのだろう。
そして、それでも彼女が自然と行っている最低限の身だしなみは、やはりというべきか、「女の子」としての水準を十分に満たしていた。
「せっかく今日はフォルちゃんのために野菜たっぷりの朝ご飯を作ったんだから、最低限朝の身支度くらいはしてほしいんだよ。ま、まあ、寝間着の件はいいとしようか」
嘘であれ本心であれ、何の気なしに貸した寝間着をありがたがってくれた事は嬉しい。幸い、背格好や体型があまり変わらないので、貸した物がそのまま着られた、という事もあった。
もちろん、自分なりに選んで着ているものだから、着心地には自身もある。それを気に入ってくれている事は嬉しい。恐らく、そういう事ではなく、友達とのふれあいに重点を置いているのだろうが。
「顔洗ってる間に、櫛用意しておくから。井戸の場所、分かる?」
「来る時見たから大体は。裏手でしょ? それじゃ、行ってくるね」
騒がしいわけでなく、かと言っておしとやかでもなく、至って普通の様子で勝手口から出て行った。このお店には数えるほどしか訪れた事がないはずなのに、よくもまぁ。勝手知ったるとはまさにこの事だ。
「そういえば……」
フォルクローレはこの街の色んな人間相手に商売をしている。人並み以上に街の事に詳しくても当然と言えば当然なのだ。そういう事なのかも知れない。
「ま、いっか。さーて、櫛は二階だ〜」
階段を駆け上る足取りは、とても軽快だった。
〜つづく〜




