悪役令嬢エイダのメイドと静かな誓い 9
クロエが茶を淹れる所作は完璧で美しい、私もこのくらいできればエイダに叩かれなくて済むだろう。
「さてシエル様。想像してみて。王宮の南向きの広いバルコニー、天気は快晴、王都の城下町を見渡して、城壁よりさらに遠くに目をやると、蒼く霞んだ中央山脈の鋭い稜線が見える。茶会の準備にも滞りはなく、白いレースのクロスが敷かれたテーブルには、殿下が直々に選び抜かれた最高級の茶と菓子が並んでいる」
クロエに勧められるがままに、私は彼女が淹れた茶に口をつける。ほんのり甘いハーブティーだ。美味しい。
「殿下以外の11人の子供達のうち、過去に王宮を訪れたことがあるのは3名、殿下に謁見したことがあるのは私とエイダ様を含めて4名。バルコニーの脇に控えているのは、お目付け役を含めた数十人もの使用人達、げに恐ろしきエイダ様がご臨席なされていることもあって、皆とても緊張している」
クロエはそう言ってくすくす笑うと、茶を一口飲んで、カップをソーサーに置いた。窓の外から、街の遠くの喧騒が聞こえてくる。静かだ。黒いレースの長手袋に包まれたクロエの細い指先が、カップの縁をゆっくりとなぞる。……何を企んでいるんだろうこの人は。気まずい。
「……あの、クロエ様?」
クロエは上目遣いで私を見て、くすり、と笑った。
「こんな風に茶会が盛り上がらなかったときに、恥をかくのは誰でしょうか?」
「盛り上がらなかったとはつまり、客人を楽しませることができなかったということですから……恥をかくのは主催です」
クロエは深く頷いた。ここで言う主催とはつまりウォーレン第一王子殿下だ。
クロエは突然、大げさに両手を広げた。
「殿下に恥をかかせるわけにはいきません! さぁシエル様! 皆が楽しめる話題を提供してください! 早く! 10! 9! 8! 7!」
「えぇ!?」
「3! 2!」
「……とりあえず、お茶と茶菓子について触れます」
私のありきたりな答えに、クロエはまた深く頷いた。
「えぇ。お茶会ではそれがセオリーです。無難です。大変素晴らしい。茶の話をすれば茶の産地の話ができます。その産地に行ったことがある者がいれば、旅行の話ができるかも。菓子についても同じことが言えます。他にも、スプーンやカップについて話してもよい」
クロエはわざとらしくカップを手にとって、目の高さに掲げた。
「おお殿下! これは大変な美品ですな! 乙女の柔肌を思わせるこの手触りと曲線! これはどちらの工房で作られたものなのでしょうか!」
クロエはカップを下げると目を瞑って首を横に振った。
「……だがこんな話は大変つまらない。その場をつなぐための、言わば会話の水増しでしかない。テーブルの上のものについて必死に話題を広げる。そんな気まずい茶会に、あなたはもう一度行きたいと思いますか?」
「残念ながら」
「そこで主催の出番です。主催が先陣を切って、もっと実のある話題、或いはくだらない話題を提供しなければならない。笑えるジョークの一つでも言えれば理想的です。しかし、これは大変難しい。……ここで世界が分岐します」
クロエはフォークで皿の上の小さなチョコケーキを二つに割った。
「これは殿下が爆笑王族ブラックジョークで場の空気を掴み、楽しい茶会になった世界。実のある話も交えつつ、お茶を何度もおかわりして、くだらない話で夕方まで話し込んでしまった世界。これは大変結構。殿下のいるお茶会にまた行きたいと、皆が思うことでしょう」
クロエはチョコケーキの半分を一口で食べてしまうと、にこにこと満足げに頷いた。
「理想的ですね」
「問題はもう一つの世界です」
クロエはケーキの残り半分を、フォークでつついて倒した。
「これは、殿下の話が死ぬほどつまらなくて、皆が愛想笑いに必死になって、あまりの緊張に茶の味がわからない程の茶会になってしまった世界。これは最悪です。まだ子供とはいえ殿下は王族ですから。貴族社会は揚げ足とマウントを取り合う世界です。第一王子は客人も満足にもてなせない……なんて噂が立てば……」
「王子の評判が落ちます」
クロエは首を横に振ると、ケーキにフォークを突き刺した。
「いいえ、落ちるのは王家の評判です。最近は王家の求心力が落ちていますからね。全く……王になったところでなんのプランも無いくせに、一丁前に王の座を狙っているくだらない連中が居るのですよ。この国には。そのくだらない連中が、くだらない悪評を立てるために、ネタを常に探しているのです……」
クロエはそう言ってわざと下品に、年相応の仕草でケーキを食べてみせた。
「クロエ様が殿下に助け舟を出すわけにはいかないのですか?」
「もちろん多少は。しかしやりすぎは逆効果です。王を差し置いて臣下が皆を取りまとめては、それこそ王の信用が失われるというもの」
「なるほど……」
貴族社会、少々厳しすぎやしないだろうか。この厳しい世界で生き抜くために、クロエやエイダは必死に背伸びして、こんなマセガキになってしまったのだろうか。前世の私がこの子達の頃なんて……アホだったな……
クロエはふと、その黒い瞳で私のことをじっと見据えた。
「シエル様。シエル様はどちらの世界になっていたと思いますか? 茶会が成功する世界と、失敗する世界」
「それは……もちろん……」
ウォーレンの茶会はおそらく失敗していただろう。ゲームの初登場時点でのウォーレンは、努力の末に社交性を身につけて、人の輪の中心で作り笑いができるようになっていた。だが今のウォーレンはまだ子供、みんなの緊張をほぐして楽しい茶会にする、なんて芸当は、おそらく難しい。
「ふふ、答えにくい質問をしてしまいましたね。答えなくていいですよ。……ちなみに私の予想では茶会は失敗します、それも極めて高い確率で。エイダ様も、同じ予想をされていたことでしょうね」
クロエのその言葉に私ははっとして──
「じゃあまさかお嬢様は!」
「……今日の茶会は大失敗ですが、殿下の株は下がりません。だって、全部エイダ様が悪いのですから」
「で、でもじゃあなんであんな恥かくような真似を! 茶会を滅茶苦茶にしたいだけなら──」
「エイダ様が恥をかけば、噂のタイトルが『王子の茶会が失敗した』ではなく『悪者エイダが恥をかいたざまあみろ』になります。この違いは非常に大きい」
っ……! 確かにそうだ。私はゲームで見た今日のことを、あの回想シーンを『エイダが恥かく話』としてしか覚えていなかった。あまりにもエイダの印象が強すぎて……! ゲームをしてた頃から、既にエイダの術中に陥っていたとでも言うのか!?
「じゃああんたはっ!」
「はい。エイダ様の計画通りに、盛大に、恥をかかせて差し上げました」
そう宣ってカップの茶を飲み干すクロエに、いつの間にか椅子から立ち上がっていた私は、ただ呆然として。失った言葉を見つけられなかった。




