悪役令嬢エイダのメイドと静かな誓い 8
その後、カンカンに怒ったエイダはその怪力でテーブルをひっくり返して、茶会の会場から逃げ出した。その後を追うようにして王宮を出た私は、エイダになんと声をかけるべきか、或いはかけないべきか迷っていた。いや、そんなことを悩んでいる場合では無いのかもしれない、エイダはきっと、私に当たり散らすに決まっているからだ。何よりもまず、暴力から身を守る方法を考えるべきだ。
しかし、そんな私の心配とは裏腹に、別邸に向かう帰りの馬車で向かいに座るエイダは恐ろしく静かで、何事も無かったかのようにご機嫌だった。
私にはそれが気持ち悪くて仕方が無かった。
鼻歌混じりに王都の煌びやかな街並み眺めていたエイダはふと、私を横目に見た。
「なんであんたがそんな顔してんのよ」
「……なんででしょうね」
エイダは目の色を変えて私を睨んだ。
「もし私を哀れんでいるのなら不愉快よ。勝手に哀れまないで」
「……分かりません、お嬢様が、何を考えているのか」
エイダはそれを聞いて何故か満足げだった。
「それでいいのよ。あんたは黙って美味しいお茶の淹れ方だけ考えてばいいの」
◇◆◇
その日の夜。エイダの世話を終えて、束の間の自由を手に入れた私は、屋根裏部屋の窓から、王都の華やかな夜景を眺めていた。クロフォード家本邸から見える、静かな田舎の景色とは全然違う。
揺らぐ夜の光に、昼間のエイダの姿がフラッシュバックする。
「はぁ……」
「どうしたの、ため息なんかついて」
突然、どこかからか聞き覚えのある可愛らしい声が聞こえて、私はぎょっとしてあたりを見渡した。すると、窓枠に一匹の黒い蝶が留まっているのに気づいた。
(この黒い蝶! まさか……!)
「あぁ、ごめんなさい、びっくりさせてしまったわね」
すると、窓の外の夜闇の中から、無数の蝶の群れがにじみ出てきた。蝶の群れが羽音もなく窓枠に群がって、一つの大きな黒い影になると、影が弾けて、中から美しい少女が現れた。漆黒の髪、漆黒のドレス、その中にぽっかりと浮くような、白く可愛らしい顔と、繊細なラインを描く肩と鎖骨……窓辺に座る彼女は、その長い足を組んで夜空に放り出すと、光の無い黒の瞳で私を見つめて、微笑んだ。
「クロエ様……」
「こんばんは、シエル様」
クロエは作中でも、このような蝶の使い魔を操って主人公を何度も助けてきたのだ。今まさにそうやって見せたように、月夜の窓辺に滲み出るように現れたこともある。それをこうして生で見られたという感動に、私は言葉を失っていた。
「夜分遅くにごめんなさいね。お茶会での貴女の顔が気になったから、少し様子を見に来たの」
私はきっと、複雑な顔をしていただろう。推しキャラの一人であるクロエたそ、主人を打ち負かした敵であるクロエ・レティシア・リュシェール、私にしてみれば、目の前に二人の人間がいるのと大差ない。
「くす」
クロエは笑った。
「貴女、エイダ様にすっかり懐いているのね、安心したわ」
「そんなことはありません」
「ふふ、照れ屋さん。……けれど、エイダ様も人が悪い。その様子だと、エイダ様から何の説明も受けてないんじゃないかしら」
「何のことですか」
「あの怪物が、あの程度のことを知らないと思う? わざと間違えたのよ」
「それを分かった上で、あんなことを?」
「くすくす、そう怒らないの」
「別に、そんなことは」
「……一緒に紐解いてみましょうか、エイダ様の思惑を」
エイダのクロフォード家を、武力で王国を守る王家の盾だとするなら、クロエのリュシェール家は、知略で王国を守る王家の懐刀だ。国のあらゆる情報を統括している、王家よりも国に詳しい真の為政者、影の王家とも言えるかもしれない。だから彼女が、明かした覚えのない私の名前を知っていたのも、なんら不思議なことでは無いのだ。
クロエはドレスを翻して勝手に部屋に入ると、隅にあった椅子を2つと、小さなテーブルを持ってきて、私に、向かいに座るように促した。私がクロエの前に座ると、また窓の外から蝶が飛んできて、机の上に黒くてかわいいティーセットができあがった。ケーキもある。
「考え方、思考のアプローチの方法というのは本当に色々なものがあるわ。今回は、エイダ様がお利口さんにしていた場合と、そうでなかった場合とを比べてみましょう。つまり、エイダ様が何もしなかったときの結果を正確に予想して、今日の結果と比べてみれば良いわけね」
「その結果の違いに、お嬢様の思惑があると」
「えぇ、その通り」
クロエは頷くと、優雅な所作で茶を淹れ始めた。




