悪役令嬢エイダのメイドと静かな誓い 4
それは夕日の射す、屋敷の裏の森での出来事だった。
「はぁっ、はぁっ……シッ!」
鈍い音と共に、木の枝葉が揺れる。空手の道着のような、貴族令嬢らしからぬ装いに身を包んだエイダが、拳を突くたびに道着がはためいて快音が鳴り、汗と血が弾ける。
エイダはクロフォード家という武家の娘だ。だから、普通のお嬢様がやらないような戦闘訓練を積んでいる。
砕けた木の幹はべっとりと鮮血で濡れている。が、エイダの拳の方が遥かにボロボロだ。血でよく分からないが、所々骨が見えてるんじゃないだろうか。あまりに痛々しくて見るに堪えないので、私は目を背けたまま口を開いた。
「お嬢様……あの、それ以上は……」
「……女の子のぷにぷにほっぺを殴ったくらいで切れるような拳じゃ、いざと言う時に何の役にも立たないわ」
どうやら先日私を殴った時に拳が切れたらしい。
何がいざと言う時に、だ。杖も使わずに強大な魔法を連発できるくせに。エイダが実戦で拳を振るう機会なんか、未来永劫やってこないに決まっている。
……いや、そうでも無いのかもしれない。ゲームでのエイダはほとんどのルートで、何かしらとの戦いに敗れて死んでいる。数々の悪行が明らかになり、法に裁かれて死ぬのはトゥルーエンドのルートだけなのだ。
エイダが何者かに圧倒されて即死するような描写は作中に存在しない。作中最強キャラの肩書きは伊達ではない。どの戦いでも、エイダは敵に致命的な大打撃を与えて死んでいる。つまり、きっと、泥沼の戦いの末に、武器が壊れて、魔力が尽きて、拳を振るうしかなくなって、その果てに力尽きて死んでいるのだ。まさに凄惨な死と言う他ない。
(拳なんか鍛えるな、万が一生存なんかしたらどうするんだ)
いつものようにそんなことを考えて、私はふと、胸が苦しくなっていることに気づいた。
「はぁっ、はぁっ……シッ!」
木が揺れて、また血が飛び散る。
二人きりの時のエイダは、作中に登場するエイダとは正に別人だ。ムカつく生意気な小娘であることに変わりはないが、少々行き過ぎな程にひたむきな努力家なのだ。
作中のエイダは確かにどのルートでも、本当に、本当に酷いことを登場人物達にしてきた。特に主人公への、暴力を伴ういじめは本当にしつこい。終盤にかけてエスカレートし、酷いルートでは、主人公の身体を想い人の前で辱めるような描写もあった。バッドエンドルートでは、人殺しをしたり、国家を揺るがす陰謀に加担したりすることもある。
だがそれは、これからそうなるかもしれないという可能性の話でしかない。まだ罪を犯していない少女の不幸を願うなんて、そんなこと……
(……何を絆されるんだ私は。この怪物のことだ、私の心を掌握して利用するために、わざとらしく私の前でそれらしい努力をしている可能性だって十分に有り得る)
そもそも何故木を素手で殴るんだ。それなりの心得はあるようだが、素人がいきなりそんなことをしたって拳が壊れるだけだ。まずはもっと柔らかい何かを殴ったり、せめて布を巻いたり、いくらでもやりようはあるじゃないか。頭の良いこの女がその程度の事を思いつかないはずがない。やはり、パフォーマンスにしか見えない。
「ぐっ……うっ……!」
震える拳を木に突き立てたまま、エイダはついに動けなくなった。よく見れば、あのエイダが涙ぐんでいる。当たり前だ、子供に耐えられる修行じゃない。
「……お嬢様」
「黙れ!」
木の幹が揺れる。
「お気楽メイドのっ、あんたに!」
血飛沫が舞う。
「何がわかる!」
その最後の一撃は、素人の私にもはっきり違いが分かる程に鋭かった。木の幹が軋み、裂け、砕ける。周囲の木の枝葉をへし折りながら倒れた幹が、重い音と共に地面にぶつかると、辺り一帯の木々から鳥達が音を立てて飛び去った。
「はぁっ……! はぁっ……!」
血塗れの手で涙を拭いたエイダの顔が、赤く汚れた。
固唾を飲む私をエイダは睨んだ。
「……先に屋敷に戻って、風呂の用意をしておきなさい」
「その前に手当を……」
「いいから早く行きなさい」
私が言われるがままにエイダに背を向けて屋敷の方に歩いていくと、程なくして、背後から静かにすすり泣く声が聞こえてきた。
「……」
気づいた時には、私はエイダのところに戻っていた。
「何、戻ってきてんのよ」
倒木の上で小さくなって、こちらに背を向けているエイダは、はっきり言って可愛かったが、それ以上にどうしようもなく、何というか、切なかった。
「……きっと、お嬢様の泣き顔は綺麗だろうなと思ったので」
私のその言葉に、エイダはゆっくりと振り向いて、これで満足かと言わんばかりに私を睨んだ。予想通り綺麗な泣き顔だった。血と涙でぐちゃぐちゃなのに、息が詰まるほどに美しかった。
私はエイダの隣に座って、震えるその手を取った。
(うわグッッッッッッロ!!! おえええええええっっ!!)
これはゲームでは絶対に描写してはいけないやつだ。肉が切れて所々骨が見えてるし、腫れも酷いし、細かい木片が無数に刺さってるし……これ以上壊すとギリギリ手じゃなくなる。
「治癒の魔法は私が使いますから、木片を取り除いてください」
「そうね、あんた不器用だし。私がやるわ」
憎まれ口を叩きながら、エイダは魔法で木片を取り除いた。精密で無駄のない魔法の発現だ。しかし、このレイレガ世界では治癒の魔法は他人相手にしか使用することが出来ないため、流石の天才エイダも自分の傷を治すことは出来ない。その理由、原理についてエイダに教わったはずだが、忘れた。
(泣き顔を見られたくないからって、このぐちゃぐちゃの傷の痛みを我慢するとか、ガキのくせにどんだけプライド高いのよ、コイツ)
私がエイダの手に治癒の魔法をかけている間、エイダはずっと私のことを睨んでいた。
「シエル、あんた最近生意気になったわよね」
「いえ、そんなことはありません」
「この前アレだけ厳しく躾けたのに……」
私の下手な魔法ではさっぱり傷が塞がず、時間がかかるばかりだった。お互いに沈黙になり、静寂の中でエイダが時折鼻をすするのが、本当に気まずかった。
気まずさに耐え兼ねて私は口を開く。
「なんでこんな無茶を……何をそんなに焦っておられるのですか?」
エイダからの返答は無い。聞こえなかったのだろうか? 私は顔を上げてエイダの方を見て、そしてぎょっとした。
「……」
エイダはその大きな青い瞳を見開いて、吐息がかかるほどの距離でじっと私を見つめていた。いや、睨んでいた。
「……シエル、あんた本当に生意気になったわね。昔はもっと、ビクビクして私に怯えていたのに」
久しぶりにエイダのことを怖いと思ったので、私は思わず目を逸らした。
「いつからかしら、あんたが生意気になったの……」
不気味な程に静かな森に、エイダの声だけがさえずりのように響いた。
「アレは……そうだ……1年くらい前だったかしら。いつもみたいにあんたのこと殴ったら、急に訳が分からないような顔して呆然としてるから、ヤバいとこ壊しちゃったかと思って焦ったことがあったわ。……あの時からかしら?」
この、エイダとかいう小娘は、本当に頭がキレる。この化け物が将来何かに負けて死ぬビジョンが全く、全く見えない。
「お前は、誰だ?」
エイダは私に問いかけた。私は言葉を選んで、乾ききった口でへらへらと答えた。
「シエルですよ、お嬢様の専属メイドの」
「……」
エイダは不満そうに目を逸らすと、まだ治りきってないその手で私の手を振り払って立ち上がった。
「まぁいいわ実害が無いなら。それに、あんたが邪悪な何かだったとしても、その時は私が殺すだけだし」
そう言うと、エイダは私を置いて屋敷の方へ歩き去っていった。
「お風呂、早く準備して」
夕焼けに染まった木立の中に取り残された私は独りごちた。
「あんたより邪悪な何かなんて居ないっつーの……」




