悪役令嬢エイダのメイドと静かな誓い 3
ある日の昼下がり、屋敷の温室に設けられた可愛らしい茶会の場で、エイダはまた猿のように金切り声を上げて怒っていた。
なお、怒られているのは私ではなく、茶会に参加したどこかの貴族のご令嬢だ。
「この程度のことも知らないなんて! あんたのとこの教育係の顔が見てみたいわ! なんて馬鹿なの! うちの馬鹿猫の方がまだ賢いわ!」
凄い剣幕で怒鳴られて泣いている令嬢が不憫で仕方が無い。エイダのことを止めようにも、歯向かえば何をされるか分からないので、その場にいた全員が黙ってそれを見守るしか無かった。
「はぁ、あんた……容姿は地味だし、作法も魔法も芸事もさっぱりだし、ついでに教養も無いなんて。王国貴族に相応しくないわ、どっかの適当な小娘を養子にとってもらった方が、お家のためになるんじゃない?」
嘲笑を交えながらそんなことを言って、エイダは紅茶を口に運んだ。度を越した暴言に、令嬢は遂に声を上げて泣き始める。
エイダの言動は一見すると、貴族の何たるかを厳しく説いているだけで、正しいことを言っているように見えるかもしれない。……いやそんなことはないかもしれない。……とにかく! もしそう見えたとしても、それは違う。
貴族の子供は皆例外なく、幼少期から厳しい教育を受けている。いまエイダに怒鳴られている令嬢も、それはそれは厳しい指導に耐えて、ようやく他所の茶会に出られるようになった、大変な努力家なのだ。しかも、かなり優秀な部類だといえるだろう。
しかし、それはあくまで一般的な令嬢としては、の話。エイダという化け物の前では、何一つ出来ていない不出来な令嬢だといえる。だが、それはエイダのレベルが常識の埒外にあるというだけであって、この令嬢がダメな令嬢だというわけではないのだ。それを、エイダという化け物の基準で評価して、叱り飛ばしてはいくらなんでも可哀想だ! こんなものはいじめ以外の何でもない!
「うっ、うわあああっ!」
「エ、エイダ様、さすがに……」
「あぁ?」
「ひっ……!」
エイダのことを止めに入ろうとした勇気ある令嬢を、ひと睨みで黙らせるエイダ。
泣き叫ぶ令嬢の執事の男が、私の隣で黙って握りこぶしを震わせているのを見て、私は本当に申し訳なくて、恥ずかしくて、仕方が無かった。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった令嬢の顔は酷いものだ。彼女は確かエイダと同じ10歳の女の子、まだほんの小さな子供だ。子供がこんなに泣いているのは、本当にキツい。心が痛む。
泣き叫ぶ令嬢の顔がエイダの逆鱗に触れたようで、エイダは音を立てて椅子から立ち上がると、熱い紅茶が入ったままのカップを令嬢に向けて投げつけた。
「きゃああっ!?」
カップが割れて、令嬢に紅茶がかかる。
「汚い泣き顔見せんじゃないわよ! ただでさえ不味い茶が一層不味くなるじゃ──」
煮えを切らした執事の男が動く前に、我慢の限界を迎えた私はエイダの後頭部をひっぱたいていた。
(この! クソガキが!)
「お嬢様! これ以上の狼藉はクロフォード家の沽券に関わりま──」
私がそれっぽい言い訳を言い終わる前に、エイダの反撃が飛んできて、私は床に倒されていた。
タイルに叩きつけられた後頭部が痛い、が、それ以上に顔の右半分が焼けるように痛く、視界が歪んでいる。エイダは、かつて見た事が無いほどの獰猛な目で私を見下ろしたまま、黙って私に馬乗りになると、血の付いた拳を振りかぶった。どうやらエイダは本気で怒ると、髪が生えていない場所も躊躇なく殴るようだ。
「がっ! かはっ!」
視界が激しく揺れ動く度に、頭の奥で鳴ってはいけない音が鳴る。痛みは感じなかった。
「お嬢様っ!」
悲痛な叫び声を上げて、メイド長が私の上に覆い被さる。エイダはそれを見てゆっくりと立ち上がると、獣のように荒ぶっていた息を整えて、静かにつぶやいた。
「……二人とも、後で覚悟しておきなさい」
全員が唖然として、怯えきった目でエイダを見つめていた。エイダは周りのそんな様子を見て、不愉快だ! と叫び、屋敷の奥へ引っ込んで行った。
「シエル、大丈夫?」
エイダの足音が遠ざかっていくと、メイド長はそっと私を抱き起こした。
「……はい、ごへんなはい、わはひのへいえ……」
上手く言葉が喋れない。きっと私は酷い顔をしているんだろう、そんな私に、泣きじゃくっていたあの令嬢が駆け寄ってくる。
「ごめんなさい! ごめんなさい……! 私が、私が貴族としてちゃんとしてなかったから……! 本当に、ごめんなさい……!」
縋り付くように謝る優しい少女を前に、私はひたすら困ることしか出来なかった。
◆◇◆
お茶会は間もなく中止となり、令嬢達が帰っていくと、私は傷の手当を受ける前にエイダの私室に呼び出された。メイド長も一緒に。
部屋の中で私たちを待っていたエイダは、先程までとは別人のように穏やかな顔をしていた。
(なんだ? 何を企んでいるんだ……?)
血の味でいっぱいの口は、半分が痺れていて、心臓が鼓動するたびに鈍い痛みが顔中を駆け巡った。
(この女はやっぱりダメだ、このままコイツを生かしておいたら、ゲームに出てきた、あの理不尽と暴力の化身のような怪物になってしまう! どうせどのルートでも早死にするんだ。今刺し違えたって……!)
部屋の戸が閉まると、青い顔をしたメイド長が身を小さくして私を庇うように前に出た。
「お嬢様、どうか、シエルを許してやってください……! 罰なら私が──」
メイド長が言葉を言い終える前に、エイダは突然指を鳴らした。すると、たちまちのうちに私の傷が塞がり、痛みが霧散する。
「……は?」
エイダは、作中でも頭ひとつ抜けた最強キャラである。無論、治癒の魔法にも精通しており、指パッチン一つで大怪我を治すくらいのデタラメは平気でやってのける。
エイダと刺し違えるつもりだった私は、不意打ちに面食らって素っ頓狂な声を出してしまった。
「次に人前で私に歯向かったら、それじゃ済まさないわ」
メイド長も激しく困惑しているようだった。
「あ、あの……お咎めは……」
「汚れた身なりをさっさと整えて、お茶を淹れてちょうだい。お菓子も用意して。マドレーヌがいいわ。まったく、説教ですっかり疲れてしまった」
そう言って机に向かうとエイダは本を読み始めた。私とメイド長は顔を見合わせるしかなかった。




