⑦纏わりつく影
――カルミンの家
フィリオーネが家に戻る頃には、外はすっかり夕暮れに染まっていた。
「おかえり、フィー」
キッチンから顔を出したカルミンが、いつもと変わらない笑顔で声をかけてくる。
「……ただいま」
靴を脱ぎながら、フィリオーネは一瞬だけ言葉に詰まった。
胸元のロケットに、無意識に指が触れる。
「疲れた顔してるわよ、何かあった?」
自分のことを心配してくれる、その言葉に胸の奥が温まる。
フィリオーネは椅子に腰を下ろし、今日あった出来事を、順を追って話した。
アビリティワークスのこと。
エリオという男のこと。
調停委員という存在と、自分に向けられた言葉。
話し終えたあと、短い沈黙が落ちる。
カルミンは、驚いた様子も見せず、ゆっくりと息を吐いた。
「……そう、エリオ君のところへ行ったのね」
その一言に、フィリオーネは顔を上げた。
「エリオ君……?」
カルミンはしばらく視線を伏せてから、静かに言った。
「調停委員に調査を依頼したのは、私よ……エリオ君には何度もお世話になっているの」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
「……え?」
「あなたに執拗に近づく、ビルという男が危険だと前から思っていたの」
フィリオーネは何も言えなかった。
「取り返しのつかない事態になる前に何とかしなきゃって、彼に調査をお願いしたの」
「……そう、だったの」
カルミンは、穏やかな声で続ける。
「エリオ君の話、どうするかはあなたがちゃんと決めるといいわ」
「私が……」
「出来るかどうかなんて、やってみなきゃ分からないわ」
軽く肩をすくめる。
「やりたいと思ったなら、やってみればいいじゃない。店のことも、あの男のこともエリオ君や私たちに任せておきなさい」
カルミンの言葉に、フィリオーネの心は少しずつ軽くなっていった。
「うん……明日、もう一度行ってみる」
カルミンは何も言わず、ただ頷いた。
――翌朝
家を出たフィリオーネの足取りは、昨日よりも少しだけ軽かった。
不安が消えたわけじゃない。
それでも、自分の未来を決められるんだというだけで、心は前を向いていた。
「……フィリオーネ」
背後から、低い声がかかる。
胸が、嫌な音を立てた。
振り返った先に立っていたのは、ビルだった。
「昨日は、店にいなかったな」
視線が、まとわりつくように絡みつく。
「しばらく休むって、言ったはずよ」
「誰の許可を取った?」
一歩、距離を詰められる。
「俺が指名してやってるのに、勝手に休むなよ」
腕を掴まれ、思わず声が漏れた。
「離して!」
「もう離さねぇ!」
怒りに染まった声。
「俺を無視して、どこへ行くつもりだった?」
振りほどこうとしたが、ビルの力にフィリオーネの細い腕ではなす術がなかった。
そのまま路地の影へと引きずられ、視界が揺れる。
「やめ……」
その声は、最後まで届かなかった。
彼女のいた場所には、引きちぎられたネックレスだけが落ちていた。
――その夜
日が暮れても、カルミンの元へフィリオーネは戻らなかった。
「……遅いわね」
カルミンは、時計を見る。
胸騒ぎが、はっきりとした不安に変わっていた。
彼女は電話を手に取り、アビリティワークスへ電話をかけた。
『はい、アビリティワークスです』
「私、カルミンです。フィリオーネが、朝出かけてから帰ってこないの……エリオ君のところに話をしに行ったはずなんだけど」
焦りと不安が入り混じり、震える声で助けを求めた。
『……分かりました』
電話口の声が、低くなる。
『すぐに捜索を開始します。カルミンさんは何か心当たりは?』
「多分、ビルが……あの男が関わってるのと思うの。昨夜も、フィリオーネが店にいなくて暴れ回っていたみたいだし」
『……そうですか、私の方でも行方を探ってみます』
それだけ伝えると、エリオは電話を切った。
「フィリオーネ……どうか、無事でいてちょうだい」
電話口の向こうで、カルミンは祈るように呟いた。
――アビリティワークス
エリオは、カルミンからの電話を終えると、そのまま端末を操作する。
「……アリア、調査対象に動きがあった。すぐに捜索にあたる……ビビに協力を頼めないか?」
『はい、了解しました。ビビさんに協力を要請します。合流地点は……』
「……わかった、それで頼む。助かるよ」
『エリオさんが対象を抑えるんですか?』
「そのつもりだが……どうした?」
『い、いえ……どうかお気をつけて』
「ああ、ありがとう」
エリオは電話を切ると、足早に外へと出た。
「確か、合流場所は……歓楽街と居住区の間にある、裏路地だったな」
アリアの情報では、この辺りの監視カメラにビルらしき人物と、フィリオーネが映っていたらしいが……
「お、エリオの兄貴!早いっすね!」
そこへ、調子のいい声が響き渡る。
「ビビ、悪いな、急に呼び出して」
声のする方へ向き直ると、長い前髪の隙間からこちらを伺う青年が立っていた。
「いいんすよ、仕事なんでしょ?兄貴と一緒なんて光栄っす!」
「そう言ってくれると助かる。早速だが、対象の痕跡は追えるか?」
「ん〜頑張っちゃみますけど、なんか残滓を追えるもんがあればいいんすが……」
そう言って、二人は周囲を見渡してみる。
辺りは暗く、街灯の照明だけでは見通しが悪かった。
「……っ、あれは?」
エリオが路地の隅に目を向けると、微かに光が反射した。
近づいてみると、そこには鎖が切れた金色ネックレスが落ちていた。
「これは、フィリオーネの着けていたネックレス……」
その先端のロケットには見覚えがあった。
彼女が何度も握りしめていた……
「ビビ!これは使えるか?」
「どれどれ?ネックレスっすか、試してみるっす!」
エリオはビビにネックレスを渡すと、彼はそれを優しく握りしめ、目を閉じる。
その瞬間、ビビの視界に二本の光が迸る。
「っ!反応が二つあるっすけど、強いのは……見つけたっす!この持ち主は居住区の方にいるみたいっす」
「居住区……案内を頼めるか?」
「もちっす!」
『残滓共鳴』
それがビビのアビリティだ。
触れた物の残滓を読み取り、それと強い結びつきがある者の場所を特定することができる。
二人は居住区へと、夜の闇の中を駆け出した。




