⑯ヴァン・クリアート
目を開けると、白い天井が見えた。
最初に感じたのは、鼻を突くような薬品の匂い。
不意に自分の手元へ視線を向けると、細いリストバンドが巻かれていた。
『301号室 ヴァン・クリアート 16歳』
そのリストバンドには、そう書かれていた。
他にもバーコードや数字も書いていたけど、自分の名前以外はよく分からなかった。
だけど……少しずつ、意識がはっきりするにつれて、ここが病院だってことはなんとなく分かった。
「……生きてる」
思わず漏れた声に、自分でも驚く。
そこでふと、直前までの記憶を思い出して胸を押さえる。
なんともない……どうして?
心臓を握り潰されるような激痛はどこにも残っていなかった。
「なんで……」
もう、あのまま死ぬのかと思った。
契約違反だと言われたら、突然、胸が締め付けられるような痛みと苦しさに襲われて……
それなのに――。
思考を遮るように扉が開いた。
「起きたか」
入ってきたのは、店の周りをうろついていた男だった。
片手には紙袋を持っている。
「……」
なんでこの人が……
でも、薄れる意識の中で微かに覚えている。
この人がノアと何かを話しているのを……。
確か、エリオと呼ばれていた……。
「腹減ってるだろ」
エリオはそう言いながら椅子を引いた。
まるで何事もなかったかのような態度に、思わず面喰らってしまう。
「サンドイッチ買ってきた」
「……なんで」
「ん?」
「なんで、そんな普通なんだよ」
気付けば疑問を口にしていた。
「俺は犯罪者だぞ」
エリオが眉を上げる。
「だから?」
「だからって……」
言葉が続かない。
自分でも何を言いたいのかわからない。
ただ……
こんな風に接される理由がわからなかった。
「俺は、店の倉庫から装具を盗んだ」
「そうだな」
「それが仕事だったから」
「そうだな」
「許されることじゃない」
「ああ」
「だったら――」
そこで言葉が詰まる。
エリオは静かに答えた。
「だったら、お前は一生犯罪者のままなのか?」
「……え?」
「仕事で盗みを働いたから、これからもずっと泥棒として生きるのか?」
ヴァンは答えられなかった。
自分にはその生き方しかないと思ったから。
「違うだろ」
エリオは声を荒げることもなく、優しく言葉を投げかけた。
「俺が聞きたいのは、お前が何をしたかじゃない」
その言葉に、ヴァンは顔を上げる。
「これからどうしたいかだ」
――どうしたいか。
そんなこと。
考えても無駄じゃないか。
能力が発現してから、俺の未来は見えなくなった。
認識を阻害するだけで、何の役にも立たないアビリティ……
家族や友達に相談しても
『どんな仕事ができるのかしら?』
『どうだろうな、知り合いに同じようなアビリティを使うやつもいないし……』
『認識阻害? なんかよくわかんねぇけど、面白そうじゃん』
正直、まともな答えは返ってこなかった……俺自身も、まともな答えを見つけられなかった。
――16歳でアビリティが発現したことに、最初は喜んだ……だけど、こんな力じゃ将来は絶望的だった。
「……やりたいことなんか」
気付けば呟いていた。
「見つかるわけないだろ」
エリオは黙って聞いている。
「こんなアビリティで、どうしろって言うんだよ」
「……」
「まともに生きていくことなんか出来やしないじゃんか!」
拳が震える。
「どうしろって言うんだよ!」
実の親でさえ、頭を抱えて途方に暮れてた。
そんな顔を見たくなんかなかった……父さんと母さんを困らせたくなんてないのに。
でも、そんな俺に声をかけてくれたのが、ノアって人だった。
――街で友達と、このアビリティについて話をしてた時……
「なぁ、ヴァン、その力使ってみてくれよ。認識を阻害するのってどんな感じなんだ?」
「……はぁ、一回だけな。いくぞ」
そう言って、アビリティを発動させると、友達は俺が何処にいるのか分からないのか、周りをキョロキョロと見回していた。
確かに凄い能力なのかもしれない。
でも。
それが何になるんだ。
そんな思いばかりが膨らんでいった。
「……ほら、こっちだよ」
肩を叩くと、友達が飛び上がる。
「うぉ!? いつの間に!」
振り返った友達は目を輝かせていた。
「ってか、すげえじゃん!」
「すごい?」
「だって透明人間みたいなもんだろ? あんなことやこんなこと、やり放題じゃん!」
友達は楽しそうに笑った。
悪気なんてない。
むしろ羨ましがっているぐらいだった。
だけど、俺は笑えなかった。
俺が聞きたかったのは、そんなことじゃなかったからだ。
この力で何ができるのか。
どう生きていけばいいのか。
その答えが欲しかった。
「……でも」
何か言おうとした、その時だった。
「ふふ、面白いアビリティを持ってるね……君」
不意に聞こえた声に顔を上げる。
そこには、黒いコートを着た男が立っていた。
穏やかな笑みを浮かべながら。
まるで、最初から俺を見ていたかのように。




