⑪エリオのアビリティ
——アビリティワークス
フィリオーネがエリオのもとで事務仕事をこなすようになって数日が過ぎた。
「ねぇ、エリオ……そろそろ教えて欲しいんだけど?」
魅了の力を抜きにしても、その声音にはほんのり艶色が滲む。
「……何を?」
アビリティワークスの仕事に関する雑務については、ほとんど説明した。調停委員としての仕事に関しては、現状すべてを教えることはできないが……
「あなたのアビリティのことよ。私をビルの手から助けてくれたことには感謝してる。でも、どうやってあの剛腕を相手に勝てたのかが気になってたの」
フィリオーネの言葉に、どう答えるべきか悩むエリオに、彼女は言葉を続けた。
「もちろん、嫌なら答えなくてもいいの……ただ、一緒に仕事をさせてくれるなら、教えて欲しいと思ったのよ」
「確かに、教えていた方がいいかもしれないな」
そう答えたエリオに、彼女は少し驚いた表情を見せる。
「あら、意外とすんなり教えてくれるのね?」
「一緒に仕事をする相手のことを知っておきたい気持ちは理解できるからな」
エリオは徐に立ち上がると、スーツの内ポケットから手袋を取り出した。
「まず、ビルを倒すのに使ったのはこれだ」
「これって、黒い手袋?」
フィリオーネはその手袋を見つめながら首を傾げる。
「ただの手袋じゃない。いわゆるアビリティ装具と言われる物なんだが」
「アビリティ装具……これにどんな力があるの?」
「それは……まず、こっちの手のひらの面の繊維には衝撃吸収材を用いていて、そこに受けた衝撃を固定化のアビリティで定着……」
「ちょっと待って、簡単にでいいからわかりやすく教えて」
エリオの話を遮るようにフィリオーネが割り込んだ。
「ん?ああ……簡単に言うと、これで衝撃を吸収して、その衝撃を拳から放つことができるんだ。俺のアビリティは攻撃系じゃないからな」
「衝撃を吸収って?この手袋があれはどんな衝撃も受けられるってこと!?」
こんな小さな手袋にそんな力があるのかと、驚嘆の表情を見せる彼女にエリオは首を左右に振りながら説明を続けた。
「確かに、どんな衝撃も受けられるんだが……受けた衝撃そのものは消せないんだよ」
「え、吸収するんじゃないの?」
「吸収はするが、受けた衝撃はこれを装着してる者の手にも受けることになるんだ」
エリオは自分の左手のひらに右手の拳を当てるように説明する。
「それじゃ、衝撃を吸収するだけでも危険じゃない?」
「ああ、そこに俺のアビリティを組み合わせることで、そのデメリットを無くすことができる」
エリオは机の上に置いてあったペンをフィリオーネに渡すと、そのまま手のひらを彼女に向けた。
「そのペンを、俺の手のひらに刺してみてくれ」
急にペンを渡され、少し戸惑った様子を見せたが……彼女は言われた通りペンを構える。
「いくわよ……ほんとに大丈夫なの?」
「ああ、遠慮なく」
「じゃあ……えぃっ!」
意を決し、ペンを突き出す。
そのペン先が手のひらに触れた瞬間、腕を振り抜いて生じた風だけが吹き抜け……ペンを握る手には何の感触も残らなかった。
「……え?」
確かにエリオの手に当たっているのに……
初めての感覚と、物理法則の概念から切り離されたこの状況に彼女は困惑していた。
「俺のアビリティは、あらゆるものを"遮断"できるんだ」
「遮断……」
フィリオーネはエリオの手のひらと、握りしめたペンを交互に見つめる。
「それで手袋にだけ衝撃を受けられるのね」
「そういうことだ」
「そう……なんだか、いろいろと納得できたわ」
「納得?」
「私のアビリティの影響を受けないのも、その力を使ってるのよね?」
「ああ、そういう力も遮断することはできる」
フィリオーネは得心した、というよりは少し呆れたように首を振った。
「そのアビリティがあれば、怖いものなんてないじゃない」
「そうでもない……眠っている間は無防備だし、不意打ちされたら反応が遅れる」
「眠っている時……」
フィリオーネは、わずかに視線を落としたまま、何かを考えているようだった。
「……どうした?」
「いえ、なんでもないわ。ただ……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
その仕草に違和感を覚えつつも、エリオは深く追及しなかった。
「……まぁいい。さて、昼まで少し時間があるな」
そう呟くと、エリオは椅子にもたれかかるように腰を下ろした。
「クライアントも来ないし、少しだけ休む」
「ええ、紅茶でも飲む?」
「いや、いい……ありがとう」
「わかったわ、ゆっくり休んで」
フィリオーネは穏やかに微笑む。
その視線を受けながら、エリオは目を閉じた。
――数分後。
規則的な呼吸を繰り返し、静かな寝息が聞こえる。
完全に意識が落ちていることを確認すると、フィリオーネの表情がわずかに変わる。
「……本当に、無防備になるのね」
小さく呟き、ゆっくりと立ち上がる。
机を回り込み、眠るエリオの正面へ。
その顔を、じっと見下ろした。
遮断……あらゆるものを断つ力
先ほどのやり取りを思い出す。
今なら……あなたも魅了の影響を受けるの?
フィリオーネは、そっと息を整えた。
意識を集中させる。
内側から滲み出るように、甘い気配が空気に溶けていく。
視線。
吐息。
フィリオーネの身体から滲みでる魅了の力。
「……ねぇ、エリオ」
囁くような声。
本来なら、それだけで心を揺らすには十分な距離。
だが……
反応はない。
微動だにしない。
ただ、静かに眠っているだけ。
「……あら?」
眉がわずかに寄る。
もう一歩、距離を詰める。
顔を近づける。
吐息が触れるほどの距離で、再び声を落とした。
「エリオ……」
甘く、絡め取るような響き。
だが、それでも……
「…………」
変化はない。
「……効いて、ない?」
思わず、言葉が漏れる。
その時だった。
「……何をしている」
「っ!?」
いつの間にか、エリオの片目が開いていた。
視線だけが、まっすぐにフィリオーネを捉えている。
「寝てるんじゃなかったの?」
「寝ていた」
「じゃあ、なんで……」
「目の前でそれだけ話しかけられれば、誰でも起きる」
それだけ言って、ゆっくりと身体を起こす。
「眠ってる間なら、魅了の影響を受けると思ったのか?」
責めるでもなく、ただ事実を確認するような口調。
フィリオーネは一瞬だけ目を逸らし、すぐに肩をすくめた。
「……ちょっと試してみたかったのよ」
「試す?」
「ええ、私の力の影響を受けない男は初めてだったから……」
視線を戻す。
今度は、真っ直ぐにエリオを見る。
「効かなかったみたいね……」
「……そうだな」
短く返しながら、エリオは自分の手のひらを見た。
「声をかけられて目が醒める瞬間……心臓が跳ねるような感覚と、頭に血が昇るような感じがした」
視線を上げる。
「咄嗟に遮断の力を使ったら、この状況だったからな。反応が遅れたらどうなっていたか……」
「ごめんなさい……」
「いや、いいんだ」
エリオは静かに首を振る。
彼女も、魅了というアビリティを発現したが故に、家族や自分の人生を望まぬ形へと歪められてしまった者の一人なのだ。
そのことを理解しているからこそ、エリオは穏やかな声音で話しかける。
「だが、こういうことはなるべく控えてくれ……心臓に悪い」
「わかってる。もうしないわ……」
でもどうして、試そうなんて思ったのかしら?結果として、彼に魅了は効かなかった……そのことに私は安心してる?
フィリオーネは、魅了の影響を受けない異性との距離間に少し迷いながらも、素の自分を見せられることに妙な安心感を抱いていた。




