22羽 黒い闇に日が昇る
『お前の兄を救いたいのだろう? 天道昇瀬が生き返ればお前の兄の心は救われる。それで手打ちと行こう、彼女は順調に復活へと向かっている。もはや我々が争い合う必要も、お前が旅を続ける必要もない。どうだ? お前にとっても悪い話ではあるまい』
白牢の使者の提案は実に魅力的だった。もう苦しまなくてもいい、怯えなくてもいい。俺は乗った。自分が元いた世界に帰ってきた。…………空、青いなぁ。
「玄雄ー! 学校遅れるわよー?」
階下から母の声が聞こえてくる。ああ、帰ってきたんだなぁ。制服に着替え、顔を洗って、朝食を食べ、歯を磨き、カバンの中身を確認して、兄の遺影に手を合わせて、家に出る。……うん、普通の高校生の朝だ。空には雲一つない、溺れそうなぐらいの真っ青。空を飛んでいる人間なんてのは一人もいない。
……やっぱりこれだよなぁ。もっと早くこうするべきだったんだよ。天道昇瀬さんが生き返れば別世界の八田白夜は、鳳空飼は救われる。ほっとけばそうなるみたいなこと言ってたし、別に俺が頑張る必要なかったんだ。兄貴が最後に「そっちの俺のこと頼む」何て言うから悪いんだよ。あの言葉が俺を縛ってたんだ、呪われたんだ。あんな勝手な兄貴のために俺が苦しまなきゃいけない道理なんて一つもないじゃん。あいつが勝手に死んだんだ。
あっけなかったな。旅の終わりなんて案外こんなものなのかも。今日からまた俺の輝かしい平凡ライフが始まるんだ。兄貴はもういないけど。過ぎたことウジウジ言ってもしょうがないし。
学校に行って、退屈な授業聞き流して、友達と駄弁って、買い食いとかしながら帰って、あ、もう高3だから受験勉強もしないと。今までならつまらないと思っていたかもしれない、でも今の俺は平凡のありがたみを知っている。だから……だから……
「何でこんな所来ちゃったんだろ……」
学校をさぼってまで来てしまったこの場所。ある人が入院しているという大学病院だ。会ってどうするんだろう……恨み言の一つでも言うつもりか? そんなのただの八つ当たりだ。でも……
「あの……天道昇瀬さんの病室って……」
何で来ちゃったんだろう。面識ないのに急に来られても相手を困らせるだけだろうに。あ、この感覚、常識的だな。これなら夕陽や隼人にも怒られないかな? ……もう会うこともないのに何考えてんだろうな。
「……失礼します」
「はいはーい……ん? 君は……?」
「八田白夜の、弟です」
不審そうに俺を見つめていたがそう伝えると、ああ、と顔を明るくさせた。何を言いに来たんだっけ……。昇瀬さんは無言で微笑みながら俺が口を開くのを待ってくれている。
「俺……あなたのこと嫌いです」
「……………………初対面なのに失礼な子だね」
まったくだ。でも昇瀬さんはそんな失礼な俺を笑い飛ばしてくれた。何でこんなにお人好しなんだろう。それなのに……恨み言がどんどん胸からあふれてくる。違う、この人のせいじゃない。せいじゃないけど……
なんか……近付いちゃいけない気がして
……そっちの俺のこと、頼んだぞ
「兄貴は……俺よりあんたの幸せを願ってたんだ……だから……だからあんな……ずっと一緒にいた俺より、偶然出会っただけのあんたを……」
いくつもの世界を渡ってきた。それで嫌というほど思い知らされてきた。
俺の兄貴と天道昇瀬は、交わってはいけない運命だった。
どちらかが生きればどちらかが死ぬ。太陽が沈まないと陽は昇らないんだ。
兄貴はきっと本能的に分かっていた。鳳空飼の観測点の一つとして可能性を見つめ続けてきた兄貴には。
だから兄貴は……昇瀬さんのために自分が消えることを選んだんだ。
俺達家族より昇瀬さんの方が大事だったんだ。だから兄貴は……
俺はそんなの嫌だ、認めたくない。そのためには、兄貴のことは、俺がこの手で救わないといけないんだ。この女の復活になんか託さない、託したくない。
それなのに……
「……笑ってんじゃねえよ。……俺あんたのこと、嫌いなんだぞ?」
「いやー、白夜くんの弟なんだなー、って思ってさ」
「あんたが兄貴の何を知ってんだよ? 何の権利があって兄貴のこと語ってんだよ!? ……家族の俺を差し置いて!」
自分でもわかってる。ただの嫉妬だ。本当に最低だ。この人を恨むのは筋違いだって分かってる。でもこの気持ちはどうすればいいんだよ?
「全部ぶつけてきなよ」
え? この人が言ったのか? どうして……急にやってきてこんなわけ分からない恨み言まくしたてて……なのに……
「ほら、おねーさんがドーンと受け止めてあげるよ!」
「何で……? 俺……」
「玄雄くん、だっけ? 日の出はね、誰にも平等にやってくるものなのだよ」
誰にも平等に。
……この人の正体が分かった気がする。この人はただのお人好し。それ以外の何物でもない純度100%の。
「あんたのこと嫌いだ、憎くて仕方ない。兄貴が死んだのはあんたのせいだ。ムカつく。大嫌いだ」
どうしてこんないい人にこんなことしか言えないのだろう。自分の最低振りに嫌気がさしてくる。それでも昇瀬さんはにこやかに聞いてくれている。
「……でも……でも……生きて下さい。きっとそれが……兄貴の……八田白夜の、希望だから……」
目の下が少し温かい。その温かさは少しずつ頬を伝う。昇瀬さんが俺の頭に手を置いてワシャワシャかき乱す。……どうして温かいんだ。
「……ありがとう。長生きするよ私は。天寿を全うして天国に行ったら、君のお兄ちゃんに“メチャクチャ幸せだったぞ! 羨ましいだろ!”って、言ってやるんだ」
「……はい。言ってやって下さい、……あのクソバカ兄貴に」
やっとわかったよ、俺に兄貴が救えるはずなかったんだ。兄貴が愛した人を否定しようとしてきたんだから。そんな奴に救うなんて言われても響かないよな。
だったら俺のやることは一つだ。
「昇瀬さんごと、兄貴のことを救う。……待ってろよ」




