瑠璃と黄金 -1-
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ナナとビオラがバラックを破り、〈門〉をくぐってオロクから去った宵。クロウドとカラスが代官のハルトマンを連れ、政庁舎の裏手から抜け道を通って脱出した夜半。そして都市が反乱軍の手に落ちてから、三回目の朝が来た。
反乱発生からそこまでの間に、各地より現れた巨石教会の兵、王国に反旗を翻した西方諸侯の軍勢、そして金で雇われた傭兵や、無法や略奪のにおいを嗅ぎ取った荒くれ者どもが、続々とオロクに集結した。
もともとが、幾多の戦乱を耐え抜いた都市である。オロクが要塞化され、ノルトゥス全土で最大の軍事拠点になるまでに、それほど時間は掛からなかった。
もはや、周辺に散らばる王国軍や、国王に未だ忠誠を誓っている諸侯の軍に対処できる事態ではなくなっていた。のみならず、それらの軍勢はオロク周辺から駆逐され、追い散らされ、東方への後退を余儀なくされていた。
そしてそれら一連の出来事は当然、火急の知らせとして王都に届いている。この朝もまた早い時間から、王宮内の会議室にて、重臣らによる軍議が開かれていた。
バルタザールはあくびを噛み殺しながら、それでも列席者の発言を聞き逃さぬよう、部屋の隅に用意された席に座り、注意深く会議の様子を観察していた。
彼はここ数日、会議の記録係補佐を務める傍ら、次々飛び込んでくる反乱軍の情報を受け取り、統合し、重臣や国王に報告するための資料作成に忙殺されていた。起きている時間はほとんど執務室にこもりきり、日が沈んでからも、ランプを灯して遅くまで作業をするような有様であった。平時にバルタザールが受け持っていた仕事は、現在ほとんど放置され、文字通り山積して今なお高さを増しつつある。
連日の疲労が顔面に出たのだろう。今朝、鏡を見たときに、バルタザールは自分の陰気な表情に驚いた。しかし今会議に列席している者たちの表情は、それにもまして不機嫌で、沈鬱なものが多かった。
本日の会議は、オロクの内部、および周囲に展開する反乱軍の兵力が、どの程度のものかという話から始まった。誰もが関心を寄せる重要事項である。
反乱軍は、いくつかの勢力から成っている。
まず、三角印の旗を掲げる巨石教会の兵が五千。練度や実力、将兵の質は未知数であるが、真新しい装備は一級品である。
次に、槍兵、弓兵、騎兵などから成る西方諸侯の勢力が約二万。ほとんど全てが常備軍であり、王国への明確な敵対が見て取れる。オロクの西方には後続の兵が控えており、まだ数を増すものと思われた。
そして比較的装備が貧弱で、また統制も緩やかな傭兵や農民兵。彼らの多くは、侵攻地域での略奪を企図しているはずで、民草にとっては諸侯の兵よりもよほどの脅威であろう。現在五万以上がオロク周辺におり、これも今なお増え続けている。
だが、とりわけ列席者たちを動揺させたのは、オロク近隣の町に到着しつつある、重装歩兵三千の存在だった。
その軍を率いる将と、旗下の兵が纏う鎧は全て、通常の鋼でできたものよりも、ほんの少しだけ青みがかっている。ノルトゥス西方、〈雷の山々〉と呼ばれる地でのみ製造される、ラドン鋼製の武具である。剣一振りで馬が買え、鎧一式で屋敷が建つほどの高価な代物だが、それを末端の兵卒までが装備しているのである。
この、通常の軍では考えられないような贅沢は、その軍勢がラドン鋼の産地である、〈雷山候〉領からはるばる遠征してきたことを意味した。
彼の地では、兵は若年より兵となるべく鍛えられる。扱う武器は槍、斧、鎚、鉤が一体となった斧槍と呼ばれる長物で、熟練の使い手はあらゆる戦場で無双の働きをするとされている。
その精兵たちを束ね、現在オロク周辺でその指揮を執っている者が、ノルトゥス随一と呼び声の高い、〈雷将〉アディーンである。小柄ではあるが、古風な武辺者といったその佇まいは、初めて出会う人間に相当の威圧感を与える、との人物評がある。戦技、用兵、知略、いずれも一流。旗下の兵は、ほとんど彼を崇拝せんばかりであるという。
つまるところが、西方最精強。押しとどめるには、平地であれば一万からの兵が必要である。
巨石教会、西方諸侯、集まった雑兵。これらの勢力を合計すると、反乱軍は八万もの大軍となる。
さらに緊迫に輪を掛けたのが、その動向である。
彼らは進軍を企図していた。オロクを発し、東方、まず間違いなく王都に向かう準備を整えていることが、兵馬の動きから明らかになった。
早晩、衝突は避けられない。ならば、王国としても、急いで軍備を整えなくてはならなかった。既に国王は諸侯へ通達を発し、持ちうる全軍を引き連れて参集せよ、と命じてあった。
だが、オロク周辺の兵を再編し、東方諸侯の兵を集めたとしても、五万になるかならないか、というのが大方の見積もりであった。巨石教会の信徒はどの街にも少なからずおり、反乱地域の拡大を阻止するためには、本当に一兵残らず戦場に駆り出す、というわけにはいかない。
兵力差三万。しかもそれはあくまで現状、という話であって、反乱軍の人数は今もなお増え続けている。
「街道沿いの城は如何します」
列席していた高級武官が誰にともなく問う。オロクからアウレリアへの道中には、いくつかの宿場町や代官の居城が存在する。反乱軍進撃の途上ともなれば、激しい戦火にさらされるのは必定であった。
「援軍を送る余裕などあるまい」
別の者が答える。
「では黙って見ているというのか」
「八万に抗するほどの兵が籠城できる場所などないぞ。平原で戦うつもりか」
「街に被害が出ればこちら側の士気に影響する」
「むしろ兵を送り、進軍を遅滞させるべきでは」
重臣たちによって喧々諤々と議論が交わされる中、王は黙って何事かを考えている。
オロクからアウレリアまでは馬で四日、徒歩で八日。輜重を運びながらの行軍、さらに道中の城を落しながら、と考えると、大体、十二日前後。
あと十二日、この忙しさが続くのか。バルタザールが疲れた頭でまず考えたことがそれであるが、よくよく思い直すと、もっと重大な事態である。ノルトゥスの命運が決まるまであと十二日、と言ってしまってもいい。
「道中の街は捨て置く」
議論を遮るように、王が厳然とした声で告げると、列席者たちは皆、息を飲んで沈黙した。
合理的な判断ではある、とバルタザールは軍事の素人ながら考えた。不十分な兵力で敵に当たったところで、いたずらに損耗を増やすだけである。十分な時間をかけて友軍と共に陣を編成し、長征によって敵の疲労が蓄積したころ、よく地形を把握した場所で迎撃する。そこで十分な勝利を挙げれば、戦乱を長引かせることなく、事態を終息に導くことができる。
だが、自分たちの街を、アウレリアに撤退するオロクの兵が、留まることなく素通りするのを見る民の絶望は、一体如何ほどのものか。築いてきた財産や暮らしを蹂躙され、略奪に瀕した民の怒りは、一体如何ほどのものか。遠く離れた地にいるバルタザールであっても、想像だけで心が痛んだ。
「アウレリアの手前に陣を敷き、その場所で敵を潰乱させよ。民が築いた秩序を脅かす者どもに、次の朝日を拝ませるな」
記録に起こせば文字だけのものであるが、バルタザールには王の表情、口調から、その怒気をありありと感じた。思わず、書く手にも力が籠もる。
混沌と秩序。世界は今、生まれてから何度目かの分水嶺に差し掛かっている。それに立ち会っている自分は、果たして幸運なのか、否か。だが後世に歴史書を作るとして、この時代の頁は相当分厚くなりそうだ。休まず手を動かしながらも、バルタザールはぼんやりとそう考えていた。
2
オロクを囲う苔むした防壁の東側が、日光で暖まり始めるころ。そこからほんの少し離れた場所にある雑木林に、積もった落ち葉を踏みしめる、三つの人影があった。
強敵であったジュードを討ち果たしたクロウドが、カラスに追いつき、ハルトマンを連れて脱出口の出口側までたどり着いたのが、夜半の事である。疲労は激しく、また現在位置も詳しく判明しなかったため、三人はその場を動かず、朝を待つことにした。空が薄明るくなってから周囲を探索すると、この場所が、はオロクの南東に位置する林の中であるということが分かった。
「改めて見ると、ぐちゃぐちゃだなあ、お前さん」
カラスに指摘されて確かめてみると、クロウドの衣服は、土で汚れて所々破け、身体は返り血、擦り傷、痣だらけという酷い有様だった。もっとも、汚れについては、カラスも負けず劣らず、という具合だった。
とにかく、まずは身体を洗わねば、ということで水場を探した三人は、見つけた湧水で最低限身体の汚れを落とし、渇いてひりついた喉を潤した。
「改めて、礼を言わせてくれ」
少々人心地が付いたところで、小さな水の流れを見つめながら、ハルトマンがしおらしい様子で言った。この態度に、クロウドとカラスは戸惑いから思わず顔を見合わせた。
もともと二人は、ナナとビオラを救出し、オロクから連れ出す為に、ヨーザムの作戦を利用していたという形である。行きがかり上、クロウドが身を挺してハルトマンを逃がすことになったが、それは別段、忠誠のためであったり、恩を売るためであったり、というわけではない。
だが、ハルトマンにはそう映っておらず、どうにも二人が、自己犠牲的な勇士と見えているようである。
別段、誤解を解かぬままでも不都合はなく、むしろカラスはそのままにしておきたい、と考えているようにも思えた。だがクロウドは状況が落ち着いた今、ハルトマンに対して、しっかりと自分たちの身分と目的を説明することにした。旅の道連れに対する嘘やごまかしは、できるだけ少ない方がいい。
「そうか」
それを聞くと、ハルトマンは若干、不安そうな表情になった。クロウドとカラスが、自分たちは無条件の味方ではない、と言ったのも同義であるため、無理もない反応ではある。とはいえ、クロウドにもカラスにも、ハルトマンを反乱軍に売り渡すつもりなど、毛頭ありはしなかった。
自分の立場を理解すると、ハルトマンは護衛対象や上官としてではなく、対等な旅の道連れとして、クロウドたちに自身の来歴を語る必要性を感じたようだった。彼はオロクの方向を見遣り、ぽつりと呟いた。
「私はこの街で生まれたのだ」
曰く、ハルトマンの生家は貧民街に近く、その環境は彼の思想に大きな影響を与えた。
父親は武官であったが、地位はそれほど高くなかった。それでも、少々無理をして息子を武官学校に通わせた。ハルトマンはその期待に応えて懸命に学び、任官後は極めて実直に勤めた。彼は国から貧困を除きたいと常々考えており、支配者層としての階段を上る間も、内政をよく学び、文官を重用した。
その姿勢は、〈博愛王〉アウレリウス二世の政策ともよく合致したため、ハルトマンは徐々に高い地位を任されていった。彼がオロクの代官に就任したのは、〈賢人王〉アウレリウスの即位と同じ、今から五年前のことであった。
「今はそれも虚しい」
まるで罪人の如く捕えられ、逃げ出すようにオロクを去る自らを、ハルトマンはほとほと情けないと語った。
「だが、あなたを生かす為に、死んでいった者も多くいる」
つい、責めるような口調でクロウドは言った。命を捨てて守り、助け出した人間がこんな調子では、死んだ兵たちも浮かばれまい。それを聞くと、ハルトマンは少しはっとした表情となって、何度も頷いた。
「そうだ。そうだな」
オロクの代官は、他の貴族領における代官とは異なり、比較的短い年限で交代するが、その権力は王に次ぐとも言われている。そのような高い地位にある者としては、今現在気弱になっていることを差し引いても、ハルトマンは比較的気さくな人物であるように思えた。
「君は若いのに立派な人間だ。それで、これからどうするつもりかね?」
ヨーザムが立てた救出計画では、オロクを脱出したあとのことは決まっていなかった。だがアウレリアに真っ直ぐ向かうにせよ、南から迂回するにせよ、どこかで補給をしなければならない。まずは最も近い街に行き、旅の準備を整える必要があった。
「閣下、お金って持ってます?」
カラスが袋の中に入った硬貨を確認しながら、ハルトマンに尋ねる。もともとオロクに来たとき、数日の滞在しか想定していなかったため、路銀はあまり多いとは言えなかった。
「投獄されたときに、ほとんど身ぐるみを剥がされてしまったからね。それと、閣下はよしてくれ」
クロウドの所持金と合わせて、三、四日の旅費には足りそうである。だが馬を調達したり、船に乗ったりするとなると話は別だ。だが、王国の重臣が共に居れば、そのあたりはなんとでもなるだろう。
「ハルトマンと呼ぶのも良くない。何か別の名前を」
ハルトマンの主張通り、反乱軍が何処にいるかもわからない地域で、彼の名前をおおっぴらに呼ぶわけにはいかなかった。クロウドが決めあぐねていると、ハルトマンは『ヨーザム』という名前で呼ぶよう求めてきた。
呼ぶ側も呼ばれる側も、聞くたびに罪悪感を抱きそうな名前だったが、ハルトマンはあえてそうしたいのだろう。それに現在の状況を考えれば、呼び名などは些細な問題だ。
「ご随意に。ヨーザム殿」
カラスが大げさな態度で礼をして見せると、ハルトマンは困ったように笑った。
最も近い街に行く、という当面の目的を共有した三人は、林を出て平原に目を凝らし、まずは街道に合流するべく歩き始めた。




