瑠璃と黄金 -2-
クロウドは、数日前この場所を通ったことを思い出していた。教会が何かを隠しているのではないか、という情報を得て向かった町がこの先にある。
その時に比べて、街道を通る人の数は多い。戦火を避けてオロクを離れる者たちだ。財産を馬車に積んでいる者、ほとんど着の身着のままである者、老人や子どもを連れている者。
やがて見えてきた町にも、避難民が多く滞留していた。そして彼らに対して物資や移動手段を提供する商人たちも集まってきていた。あちらこちらに自然発生的な市が立っており、避難民同士が物々交換をする姿も見られる。
食料の需要は特に多いらしく、手に入れるのに難儀したが、なんとか果物を腹に入れることができた。クロウドたちは地べたに座って、町の様子を見ながら再度休憩を取る。寝台で眠りたいが、宿は空いていまい。
大通りから離れたところで人々を観察していると、商人らしき男が一人、群衆から離れ、真っ直ぐこちらに近づいてきた。クロウドが警戒して立ち上がると、害意がないことを示すように両手を広げて、五、六歩離れたところで立ち止まった。
「失礼、先ほどお見かけして、気になったもので」
小柄で痩せ形。南方に住む民族特有の、浅黒い肌をしている。若く見えるが、実のところは分からない。ゆったりした衣服を纏い、頭には朱い布を巻いている。大きな目はいやに澄んでいて人懐っこそうな感じもするが、立ち居振る舞いからは、商人特有の抜け目なさが見て取れる。
「まずは自己紹介。私、『黄金商会』のジャムザーと申します」
ジャムザーはクロウドたちの自己紹介を待ったが、誰もそれをしなかったので、曖昧な笑いを浮かべてから言葉を継いだ。
「声をおかけしたのは他でもない。価値あるものをお持ちですね。その剣」
帯びた小剣を指差され、クロウドは思わずその柄に手を遣る。外見からラドン鋼の刃だとは判らぬはずだが、この男は刀剣の目利きができるのかもしれない。
「まあ、使用済みのようですが」
「売るつもりはない」
「なるほど。売るつもりはない」
クロウドの言葉を、ジャムザーは咀嚼するように繰り返す。
「ですが、見たところ十分な路銀をお持ちでない様子。貧乏旅行ならばともかく、その」
あたりを見回して人が近くにいないことを確認した上で、声を落してジャムザーは言った。
「貴人を王都までお届けするには、ということで」
ちらり、とハルトマンに向けられたジャムザーの視線。クロウドとカラスが気色ばむのが分かったのか、すぐに両手を広げて、ゆっくり二、三歩後ずさる。
「ああ、もしかして私を間者か何かだとお疑いでしょうか? 違います、違います。有力者や上客の顔を覚えて、それを一目で思い出せるというのは、商人としての嗜みです。だから、他に気付いた人がいるかもしれないですよ。もっと密やかに、細心に旅をするべきだ、と私は言いたいですね。多少、お金をかけても」
ジャムザーは弁解するように一息に言ってから、金銭を表わす身振りとして、右手の親指と人差し指をすり合わせた。
「もし断ったら?」
カラスが少々強気に出た。しかし交渉は慣れたもの、とジャムザーは余裕の表情である。
「私は、新しいお客さんを探すだけ。ですが、皆さんは新しい商人を見つけられますかね?」
頭の回転が速く、弁の立つ男なのだろう。気を抜けば、話をよいように進められてしまうような気がする。取引をするにせよ、立場が対等であることを示しておかねばならない、とクロウドは感じた。
「つまり、金銭の対価に、安全な旅を提供できる、ということか」
「その通り。この状況ですから、快適至極とまで行きませんがね。どうでしょう、詳しいお話は私の天幕で致しませんか。お茶とお菓子も用意して御座います」
交渉に応じること自体は、クロウドとカラスに異存はなかった。二人だけであれば多少の無理も利くが、ハルトマンがいるとなると、そうもいかない。体力や戦闘の技量はともかく、王国側の重要人物であるというだけで、敵が多い地域での行動はかなり制限されるからだ。ならば、独力でアウレリアまで踏破するよりも、地理に明るく旅慣れた人間の助力を借りるのが、無難な案ではあった。ハルトマンもそれを理解しているのか、同意するようにクロウドたちに頷いて見せた。
「こちらです。どうぞ」
その様子を満足げに確認すると、ジャムザーは踵を返してクロウドたちを先導した。
「本当にただの天幕じゃねえか」
ジャムザーに案内されるまま三人がやってきたのは、空き地に建てられた、縦横十歩程度の天幕であった。商会を名乗るからには、もっと大きな隊商なのか、とクロウドは思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。輸送手段も、二頭立ての荷馬車が二台あるくらいである。
「いかんせん仮拠点ですから。ささ、ジャムザーの黄金商会へようこそ。靴は脱いでくださいね」
天幕の端をめくり、ジャムザーはクロウドたちを中へと通した。薄暗い内部。地面には分厚い布が敷かれており、隅には滞在用の生活物資と思われるものが置かれている。おそらく商品ではなく従業員だと思われるが、似た顔の少女が二人、荷物の傍らに座っている。それ以外にどうやら二名、先客がいるようだった。一角に座っていたその二人は女性であり、入ってきたクロウドたちに気付くと、驚いたように声を上げた。
「クロウド!」
クロウドの目はまだ屋内の暗さに慣れていなかったが、相手の姿を確かめるまでもなく、その声と様子で、そこにいる者が意外な人物だと判った。
「ナナ、ビオラ」
クロウドは駆け寄るようにして近づき、ナナの両肩を掴んで顔を覗き込んだ。虚を突かれた様子であったカラスも、一拍遅れて驚きの声を上げる。
一行にとっては、思いがけぬ再会であった。ジャムザーとハルトマンをしばし輪の外に置いて、四人は互いがなんとか無事であったことを大いに喜んだ。
「お知り合いでしたか。これは紹介の手間が省けてよろしい」
「偶然もあったものだな」
ハルトマンが呟くと、ジャムザーは愉快そうな調子でそれを否定した。
「それが案外そうでもない。もともと私は、ここで荷を下ろしたあと、空になった馬車に人を乗せようと、この界隈をうろついていたわけでして。皆さんが苦難の旅人であるならば、私の所に集まるのは、半ば必然と言えますね」
「積もる話もありそうですから、私はしばらく外しましょう。カミラ、レリ」
舌を巻くような発音で名前を呼ばれると、隅に座っていた少女二人が立ちあがった。
「新しい客人に、お茶と食事をお出しして」
そう言い置いて、ジャムザーは天幕の外へ出ていった。カミラとレリは無言でてきぱきと湯を沸かし、食事の準備に取り掛かる。クロウドたちも、再会の興奮から少し冷静さを取り戻し、ハルトマンを交えて車座で腰かけた。そして分断されていた時間を埋めるように、今までの出来事を語っていくことにした。
「ああ」
全員で簡単な昼食を食べながら、クロウドとカラスがヨーザムと出会ったくだりを話していた時、ふとクロウドは、オロクの搭で手に入れた髪房のことを思い出した。確かめてみると、道中で紛失してしまうこともなく、それはまだ懐の内にあった。
塔に襲撃を掛けたいきさつを説明しながら、クロウドは髪房を取り出して地面に置いた。
「もっと早く行けなくてすまない」
ナナはそれを手に取ると、黙ったまま、笑い顔のような泣き顔のような、なんとも言えない表情を見せた。
「大体、自力で脱出とか逞しすぎるんだよなあ」
カラスの言葉に、ビオラが苦笑する。だが、バラックやジュードとの戦いに話が及ぶと、全員がこうして再会できたのは、多分に幸運であった、と誰もが神妙な顔になった。
「それで、この御仁が」
クロウドが改めてハルトマンを紹介すると、彼はあぐらのまま深々と頭を下げた。
「なるほど……。近隣の支援者を頼るという選択肢もあるけれど、やっぱり王都に戻った方が無難よね」
ハルトマンを護衛しつつ、海路でアウレリアまで戻る、という案を全員が共有したところで、ジャムザーが戻ってきて輪に加わる。
「それで本題、つまりお金の話なんですがね」
一行に移動手段を提供し、王都まで案内するというのが契約の内容だ、とジャムザーは話し、まずはそのおおまかな対価が提示された。
「五人で金貨二十五枚。如何です?」
一人あたり金貨五枚という金額。陸路と海路で合計四日半という日程、馬車と帆船という交通手段を鑑みると、相場のおおよそ二倍から三倍、といった値である。
「皆さんはいわば危険な荷です。通常より高価いのは、私と従業員たちに及ぶ不確定さに対する差額ゆえだとお思い下さい」
「危険に対する不確定さは私達も同じ。護衛なしなら金貨十五、というところだな」
ナナが交渉に挑む。
「野盗が相手ならともかく、この状況で護衛の意味は薄いですね。金貨二十二」
「それだけ払うなら、他でも喜んで運んでくれるだろう。二十」
「金貨二十。まあ、いいでしょう」
結局、そのようにまとまった。譲歩の度合いから言って、きっとジャムザーも、値切られることを前提に代金を提示したに違いない。そういえばナナと出会ったばかりの頃も、値段に関するやりとりをした気がする、と傍らにいたクロウドは思い出していた。
「ところで、誰が払うの?」
カラスが恐る恐る、といった調子で口を挟む。王都に戻れさえすれば、ハルトマンがなんとでもしてくれるだろうが、全額後払いではおそらくジャムザーが納得するまい。クロウドは自らの小剣を帯から外し、刀身を引き出して床に置く。
「拝見しますよ」
ジャムザーがそれを手に取る。刃紋を確かめたり、水平に持って眺めたりしながら、簡易な鑑定をおこなっているようだ。
「十五までなら問題なくお貸しできますな」
つまりこの剣には、金貨十五枚かそれ以上の価値があり、ジャムザーに預ければ一時的に支払いと相殺できる、ということだ。しかしそうすれば、道中これを帯びて自由に使用する、というわけにはいかない。
「こっちはどうだ」
様子を見ていたナナがおもむろに瑠璃の首飾りを外し、ジャムザーに手渡す。彼はそれを屋外で光にかざしたり、擦ったりしたあと、品質を褒め、これなら金貨十枚だと告げた。魔法の品であるとクロウドは知っていたが、宝石としてもそれなりに高価値であるらしい。
「なら、それで前金としてくれ。残りは到着後にハルトマン閣下、もといヨーザム殿が」
「いいのか?」
クロウドがナナに問う。売却してしまう訳ではないとはいえ、師の形見なのだ。
「いいさ。剣は必要だろう」
これで、金銭の話は決着した。次に、旅の行程を詰めることになった。クロウドたちがオロクで難渋している間、ノルトゥス全土の情勢はどのようになっていたのか、ということについても聞いておきたかった。
「かなり剣呑ですよ」
ジャムザーの口調は神妙だったが、どこか面白がっているような色も混ざっていた。
「国内がほとんど二分されてますね。いやはや、巨石教会はどうやってそこまで根を広げたのか。オロクには万の単位で兵が集まって、王都に進撃しようとしてますし、もっと西や北の方では、睨み合いや小競り合いなんかが頻発してます」
一行が予想していたよりも、事は先の段階へ進んでいたようだった。だが旅の安全に直接関わるのは、もっと狭い地域での情勢である。
「ここからコッパムまではどうなっている?」
クロウドが尋ねる。移動に際して障害はないか、どちらの勢力がどの程度展開しているのか、ということが主な関心事である。
「コッパムの領主である貴族は、どちらの陣営に対しても、中立を保つことにしたようです。流民によって多少治安は悪化してますが、無法地帯というわけではない。中立だから、反乱軍が極端に幅を利かせているということもない。道中もおおむね同じようなものですね」
厳しい検問が敷かれている、というわけでなければ、クロウドたちが通過するのも、それほど難しくないように思われた。もっとも、事態は流動的で、今後数日のうちに激変する可能性は十分ある。
王都に戻る見通しが立った途端、急に泥蜥蜴亭のことが思い起こされた。ドミニクはそうでもないだろうが、カナンなどは相当気を揉んでいるだろう。特に彼女にとって、カラスは兄も同然なのだから、一日も早く共に帰り着いて安心させてやろう、とクロウドは考えた。
「では、残りは道中でお尋ねいただくとしましょう。一刻後に出発します。よろしいですね?」
クロウドたちはほとんど着の身着のままであるため、大層な準備の必要はない。荷物の積み込みを全員で協力しておこない、予定より少々早く町を出発した。




