旧都攻防戦 -4-
6
ナナとビオラが死闘を演じていたのとほぼ同じ時刻。クロウドとカラスもまた、闇の中を密やかに進軍していた。
二人が目指すのは、政庁舎の裏手にある塔。事前の情報によれば、そこにはオロク代官のハルトマンが捕えられているはずであった。だが王国にとってはともかく、クロウドとカラスにとっては、同じ場所にいるかもしれないナナとビオラの方が主目的である。
その場所に向かっているのは当然、クロウドとカラスだけではない。数個の班に分かれ、互いに見えるか見えないかの距離を取って移動しているのが、救出作戦の指揮を取るヨーザム以下十九名。彼らは皆、オロクの守備隊に属しており、反乱軍に寝返ることも、捕縛されることもなく、街中に潜伏していた兵たちである。
また、それとはかなり離れて行動している二十名の別動隊。併せて四十一名で、ハルトマンの救出をおこなうことになっていた。
クロウドとカラスが事前にヨーザムから伝えられた作戦の概略は、次のようなものである。
まず四十一名の兵力を半分ずつ二つの部隊に分ける。一方が搭に潜入してハルトマンを救出する本隊。もう一方が搭やその周辺に配置されている衛兵を引きつける陽動隊である。
両隊が配置に付いたのち、まずは陽動隊が搭の正面に攻撃を仕掛ける。見積もりによれば、搭に配置されている兵力は一小隊分、つまり二十名程度である。奇襲になるとはいえ、陽動隊のみで突破するのは少々難しい。さらに、搭は政庁舎のすぐ裏手にあるため、異変を察知したそちらの兵が集合してくる可能性も高い。だから、陽動隊はできるかどうかわからない敵の撃滅ではなく、あくまで本隊から相手の注意を逸らすことに目的を置く。
当然、陽動隊の危険は大きい。十分な時間敵を引き付けるということは、それだけ騒ぎが大きくなり、囲まれる可能性も高くなるということである。政庁舎にいる小隊が三つ四つ集まってくれば、二十名程度の小勢など、ひと揉みに潰されてしまうだろう。彼らはほとんど捨て駒と言ってもよかった。しかし作戦の目的上、参加する全員が、それを知り、納得しているという。
そして陽動隊が決死で稼いだ隙を縫い、抜け道から搭に侵入するのが本隊である。まず半分の十名が入り、最上階までの動線を死守する。次いでクロウドとカラスを含む残り半分がハルトマンのもとに到達し、身柄を確保して、そのまま来た道を戻って搭から脱出する、という手筈である。
だが、それで終わりではない。ハルトマンを確保した者は、陽動隊に気を取られ、手薄になっているはずの政庁舎に向かい、その付近にある脱出口を目指すことになっている。これは数ある抜け道の一つだが、建物の内外を繋ぐものではない。オロクの外まで要人が脱出するためのものである。生きてハルトマンをオロクより連れ出し、アウレリアに帰還させる。この救出作戦は、その端緒となるはずのものなのだ。
クロウドとカラスも、ナナとビオラを見つけてその相伴にあずかるつもりでいた。だが、果たしてこの作戦、参加する四十一名の内、何名が生き残り、何人が王都に帰りつけるだろうか? クロウドは作戦の危険性について、ヨーザムがそれをどのように評価しているのか尋ねた。
より大規模で、確実で、組織的な抵抗を計画するには時間が掛かる。しかし時間を掛ければ、反乱軍のオロク支配はより盤石なものとなってしまう。そのような葛藤の中で、ギリギリ許容できる妥当な作戦がこれなのだ。問に対して、ヨーザムは半ば弁解するように答えた。
クロウドもカラスも、兵に犠牲を強いるヨーザムを責める気もなければ、そもそもそんな権利もない。予想外に高い兵たちの士気と、起こっている争いの血なまぐささに身を引き締めるばかりであった。
街路を進み、規定の場所まで到着したクロウドたちは、月夜を背後に屹立する搭を見つめていた。周囲には分かれて進んで来ていた兵たちが集結し、各々物陰に身を潜めている。
そしてしばらく。搭の反対側で、にわかに騒ぎが起こった。陽動隊が攻撃に出たのだ。襲撃を知らせる声と共に、建物の周囲にいくつもの松明が灯り、内部でも人の動く気配が大きくなる。
「進め」
ヨーザムが低い声で命令を下すと、その場にいる兵たちは搭の外壁へと素早く接近した。いくつもある外壁のくぼみ。ヨーザムが見当をつけた位置を調べると、そこは巧妙に偽装された隠し扉となっていた。
「先発隊、行け」
隠し扉を開き、十名が建物内へと侵入した。搭の表側では戦闘が続いているようだ。あまり長い時間をかけることはできない。しかし、こちらの行動が早すぎれば陽動が意味を失ってしまう。ヨーザムは目を瞑り、聴力を研ぎ澄ませながら機を計っている。
「後発隊、行くぞ」
表側での戦闘が激しさを増すころ、ヨーザムを先頭に、クロウド、カラス、他十名が搭に突入した。
搭一階。隠し扉の向こうは、すぐ上下に続く階段となっていた。当然、目指すのは上階である。クロウドが入ってすぐ、近くで人が倒れ、ランタンが床に落ちる音がした。先発隊が駆け付けた衛兵を一人無力化したようだ。戦況の把握もそこそこに、クロウドたちは階段を駆け上る。
二階。さらに上へと続く階段は、回廊を通って反対側にある。敢えて移動を不便にし、脱獄者が目に付きやすい造りになっているのだ。衛兵は既に排除されているが、深手を負った味方の兵が二人、廊下に座り込んでいる。だが手当てをしている暇はない。速度こそが作戦の要である。
三階に続く階段付近では、まだ攻防が続いていた。最重要の捕虜を奪還されないため、残った兵が抵抗しているのだ。クロウドたちが乱入して、作りかけだった即席の防柵を排除。形勢を一気に傾け、四名いた衛兵を鏖殺する。
剣に付いた血を拭う間もなく、残存した味方の兵は、一つ一つ獄を確かめていく。クロウドたちも、ナナとビオラを探した。
すると獄の一つに、扉が無いものを見つけた。一見して無人である。しかしクロウドは、何か気になるものを感じ、その部屋に立ち入った。
高い位置にある小さな窓から月光が差し込み、簡素な寝台を照らしている。そこに何かが置かれていた。手に取ると、二房の髪である。
「なんだそりゃ」
カラスと共に、月光に透かしてみる。一つは滑らかな黒、一つはやや縮れた赤。ナナとビオラのものだと判った。二人は確かに、この場所に捕えられていたのだ。今は脱出したか、場所を移されたか。あまり考えたくはないが、処刑されてしまったか。
だが少なくとも、このような合図を残しておくだけの余裕はあったということだ。だとすれば、自らの願望を差し引いたとしても、二人が無事な公算は高い。この場で会えなかったことは残念だが、クロウドはほんの少し安堵を覚えた。
とはいえ、ナナとビオラを探す足がかりが、これ以上ないのも事実である。
このままオロクを脱出するか。それともその機を捨てて残り、二人を探し続けるか。敗北で傷ついた自己を慰めるために、後者の献身的な選択肢は魅力である。しかしナナもビオラも、無力な子どもではない。二人は二人で、脱出を模索するはずである。合理的なのは前者だ。
クロウドは少しだけ迷ってから、髪を懐に仕舞った。予定の変更はない。
獄を出ると、ヨーザムがハルトマンを確保したところであった。クロウドとカラスが、自分たちの目的は果たせなかったことを告げると、残念そうにかぶりを振った。
「君たちは?」
ハルトマンが尋ねる。茶色の口髭が立派なやや肥満体。表情は少々疲れているが、憔悴しているというほどではない。
自分たちは守備隊ではないが、訳あって教会に敵対している。クロウドはそれだけを簡単に説明する。ハルトマンがどれだけ現状を正しく把握しているかは分からないが、あまり悠長にしている時間はないのだ。陽動隊はまだ持ちこたえているだろうか。
急いで二階へ、次いで一階へ。ハルトマンを連れてクロウドたちは走る。彼を獄から連れ出したところで、外で再び捕まってしまっては意味がない。
一階まで下ったところで、クロウドたちに敵が迫ってきた。地点を確保していた先発隊は戦闘に巻き込まれたようで、一部は斃され、一部は釘づけになってしまっている。後発隊から数名が後に残り、敵を食い止める。
隠し扉から搭の外へ出た。脱出口を目指す。背後から飛来した矢に貫かれる者、殿として敵に打ちかかっていく者、こちらの手勢は一人、また一人と減っていく。クロウドも既に四、五人の敵を斃しており、息が上がってきている。
追って来る敵をなんとか振り切り、脱出口である古井戸の近くに来た時点で、味方は既に、ハルトマン、ヨーザム、クロウド、カラス、そして若い兵が一人だけになってしまっていた。
激戦による疲労と緊張、目的地が見えたことによるその緩みで、全員の注意は散漫になっていた。
しかしそんな時にこそ、苦難は訪れる。
一行のすぐ頭上。政庁舎の二階。窓枠に足を掛けた男に、もっと早く誰かが気づいていれば、ことの結果は少し違っただろう。飛び降りてきたその男は、落下の勢いのまま、身の丈ほどもある大剣を若い兵の頭に振り下ろした。まるで爆ぜたような勢いで頭の中身が四散し、兵は力なく崩れ落ちた。
着地の体制から身体を起こした男は、その場にいる誰もが見上げんばかりの巨躯である。
教会の男。ウェルテアと共にいた男。ジュードは大剣を振りかざして、次はハルトマンに狙いを定めた。
「閣下!」
ヨーザムが二人の間に割り込むが、ジュードは邪魔な羽虫を払うように、大剣を横薙ぎにした。
クロウドは、防御の為にヨーザムが繰り出した剣が折れ、彼の胴体が両断されるのを見た。馬でさえも叩き斬ってしまいそうな、強烈な一撃だった。
「カラス!」
クロウドはジュードへの牽制を兼ねて、鋭く叫んだ。今、クロウドはジュードによって、カラス、ハルトマンと分断された位置に立っている。
「先に行け」
クロウドは剣を構え、ジュードを見据える。彼が狙いであるハルトマンに斬りかかれば、クロウドに背を向ける形になる。
カラスは異議を唱えない。脱出口は目と鼻の先であり、入る所を見られれば、追手がかかるのは必定である。誰かがジュードを足止めしなければならず、それに最も適しているのはクロウドであった。
「後でな」
カラスはそう言い残し、ハルトマンを庇うようにして古井戸へと走りだした。
足止めが必要である。という合理的な理由に加え、クロウドにはもう一つ、ジュードと対峙する動機があった。それは現在の目的とは関係のない、極めて個人的なものである。
先般の裏切りによる手痛い敗走は、クロウドの矜持を著しく傷つけていた。雪辱を果たそうと考えたのはもちろんだが、クロウドには、それをなるべくオロクにいるうちに成し遂げたい、という思いがあった。
ハルトマンの救出は、確かに一つの勝利である。だが、もっと分かり易く、勇士の一人でも打ち倒す機会があれば重畳である、とクロウドは考えていた。そして目の前に降って湧いた男は、おそらくそれに相応しい。
子どもっぽいと言えば、子どもっぽい欲求。だがそれを自覚しているからこそ、大義名分のあるこの時まで秘めていたのだ。
「ウェルテアの子守はよいのか。木偶殿」
挑発に応えず、ジュードはクロウドに向き直った。いやに明るい月光の下、両者は睨み合う。
クロウドの武器は小剣である。対するジュードの大剣は、その二倍ほどの長さがある重厚なものである。体格の違いも相まって、間合いの差は大きい。
そして先ほどヨーザムを斬った際の体捌きは、無造作に見えて無駄がない。この男、膂力に物を言わせただけの素人ではない、とクロウドは判断していた。肉体にも、厳しい鍛錬の跡が見て取れる。
相手もこちらの実力を推し量っているようで、中々踏み込んで来ない。時間を稼ぐ、という意味では好都合だが、増援が来ると少々まずいことになるため、クロウドとしても、延々と対峙しているわけにもいかない。
やがて焦れたのか、相手の瞳に殺気が込められ、剣が繰り出される。予想より速い。だが、速すぎるということはない。斬撃を見切り、間合いの外に退避しながら、クロウドは両足で軽く歩武を踏む。
畳み掛けるような連撃を躱し、また辛うじて防ぎながら、クロウドはどこか懐かしい気持ちになっていた。
郷里で鍛錬を積んでいたころ。クロウドはよく年長者に挑みかかっていくことがあった。特に四つ上の兄オリヴァに対抗心を燃やしていたものだから、体格でも技量でも上回る相手と仕合い、負かされるのはほとんど日常と言ってよかった。
さすがに、今の真剣勝負と、木剣での練習を同列にすることはできない。だが当時、まだ背の伸び切っていない自分にとって、年長者たちは今のジュードと同じような、圧倒的な相手に映っていたのだ。
だから今の状況も、ある意味では慣れたものと言えなくはない。だからクロウドは恐れない。
こちらの剣は、中々相手に届かない。クロウドの身体には致命傷こそないものの、擦過傷や打ち身が増えていく。軽微な損傷の蓄積は無視できない。だがそれでも、クロウドは焦りを感じていなかった。
むしろクロウドは、相手の戸惑いを感じ取っていた。なぜ倒れないのか、なぜ殺せないのか。この男は、自分が考えているよりも強いのか?
時に言語よりも疾く、雄弁な剣での対話。クロウドは勝手に読み取った相手の心情に、心中で応答する。
その通りだ、と。
お前は体格に恵まれている。戦闘技術にも天賦がある。努力も十分以上にしたのだろう。
だが打ち倒されて噛んだ土の量は、剣を振りすぎて千切った筋の本数は、皮を破いて血に塗れさせた掌の枚数は、身震いしながらも潜った修羅場の数は。俺が積み重ねてきたそれらが及ばぬほど、果たしてお前は優れているか?
根拠のない自信から来る慢心で、俺は敗北を味わった。しかし今この時、俺はお前に勝てる理由を、いくらでも並べてやることができる。俺はお前に勝てる。だからお前の命を、この場で王都への土産にしてやろう。
クロウドの気迫に圧されたのか、相手の瞳に浮かんでいた戸惑いが、徐々に怖れへと色を変え始める。 怖れれば剣は加速するが、その鋭さは損なわれる。クロウドの切っ先が、ジュードの攻撃をすり抜け、その心臓へと迫りつつあった。
そして衝突。鋭く懐へと踏み込んだクロウドに対して、ジュードはとっさに胴体での当身を放つ。それを受けたクロウドは五、六歩ほど後ろにある壁に叩きつけられ、肺の中にある空気を全て吐き出した。
空気はまた吸えばよい。だが失った手首は取り戻せまい。クロウドは苦痛に霞む目で、不敵にジュードを見つめた。彼の失われた右手首の根元から、血が噴き出している。
ゆらりと壁から背を離し、剣を握り直して体勢を立て直す。足元の石を蹴り、継戦の可否を問うクロウドの視線に、ジュードは咆哮で答えた。
二度目の衝突。右手が失われてなお、重い大剣を振ろうとする筋力と闘志は賛嘆に値する。しかしその速度は三割減、威力は半減といったところである。精確な角度で交差するように叩きつけられたクロウドの一撃によって、大剣は半ばからへし折れた。余った衝撃でジュードが半歩よろめく。
そのまま斬撃を見舞われてはたまらないと思ったのか、ジュードは左手でクロウドの剣を掴んだ。肉に刃が食い込む。その決死の握力は恐るべきもので、クロウドは刃を引くことができない。
クロウドは剣に固執しなかった。素早く自らの両手を自由にし、ジュードに組み付いて足を払い、そのまま押し倒し、馬乗りになって優位を確保する。ジュードは思わずクロウドの小剣を取り落す。
この段になっても命乞いをせず、抗戦の姿勢を貫くのは、この男が優れた戦士であることの証左である。クロウドは少しの尊敬と、満身の殺意を込めて、ジュードの顔面に鉄拳を振り下ろした。
二、三発の有効打を叩き込んだところで、ジュードがクロウドの右手を掴む。空いた左手でもう一発見舞うが、実に恐るべき執念と耐久力である。下手に打ち込めば、手を食いちぎられるかもしれない。
クロウドは傍らの石に手を伸ばし、こぶし大のそれでジュードの顔面を叩き続けた。肉が潰れ、歯が折れ、鼻骨が曲がっていく。
打撃に水音が混じり、ジュードの顔面が正視に耐えない形状になってから、ようやく抵抗が止んだ。ダメ押しの打撃ののち、クロウドは自らの剣を取り、丁寧に息の根を止める。しかるのち、彼の大剣を拾い上げ、その死体に添えた。ジュードに斃されたヨーザムと、若い兵の死体にも同様にした。
「華麗じゃないな」
膝を折った体勢から立ち上がり、クロウドは自嘲するようにひとりごちた。深手こそ負っていないが、身体は擦り傷や痣だらけで、しかも決着は泥臭い殴り合いによるものだ。カラスやビオラはともかく、ナナがこの光景を見たらなんと言うだろう。
その時、クスクスと少女の笑い声が聞こえた気がして、クロウドは頭上に目を向けた。そこには、ジュードが飛び降りてきた窓があり、月光が硝子に反射して煌めいていた。人影はなく、窓は閉じられている。人が飛び降りたままなら開いているはずであるが、誰かが閉めたのだろうか。
疲労と勝利の余韻に少し浸っていたかったが、人の声が近づいてきた。いつまでも留まっているのは危険だろう。カラスたちとも合流しなくてはならない。クロウドは当初の目的を思い出し、先ほどカラスが向かった古井戸を覗き込む。
枯れ井戸のようだ。深さはそれほどでもない。底の方に道があるのだろう、空気の流れが感じられる。
さらばオロク。クロウドは去り際、巨石を視界に収めようと思ったが、政庁舎の陰になっていて見ることができない。仕方なく、そのまま垂らされた縄を伝い、井戸の中へと潜っていった。




