4-11 睦言 2
昼の微睡みから覚める時や十分な休息を取った深い眠りから覚めた後は妙に意識がさっぱりとした覚醒を迎えることができる。
だが前日の疲れからじっくりと体を休めたその日の目覚めは良くなかった。
昨日、マリアさんから念話を受けて赤髪亭に戻ったところ俺を訪ねて来た人物はニーオン・カイロク。
もう互いに言葉を交わすような話題もない他人のはずだ。
あっちも俺と顔を付き合わせる必要はない。だがひょっとしたらナージ絡みで何かあったのかもしれないので出張ってきた理由は聞いておくべきなのだが、マリアさんも含めて知り合いがいる席でこの男と一緒にいたいとは思わない。
場所を変えると言ったら奴の仕事場に向かうことになった。
互いに会話がないまま居心地も悪い。
少しでも早く話を済まそうと歩きながらこちらから用件を聞いた。その間お互いを見ることもなく、前を向いたままだ。
意外な内容でしかもそんなことでこいつが出てきたこともまた意外だった。
都市の職員でも地位は高いはずだったのにつまらない出席依頼を目的に出向いてくる理由はないと思ったのだがそれを命じる人間がいたということか。念話設定をしていない以上、話があれば直接会うしかないのだが。
ニーオンが言う催しの参加に従う理由もないと言ったところ、仕掛けてきたつまらない挑発に乗った。
会いたくない人間が俺の生活圏にやってきたことに苛立っていたこともあるだろう。
結局 8倍をわずかに超える程度の重複化を行ったがニーオンが持つあの武器兼防具と技には敵わないままだった。
最近8倍以上の重複化を試行していたが極短期の間だけだ。そのせいでまだその倍率の重複化で生じる身体の重さで生じる慣性に慣れていなかったせいもあるだろう。
倍加された体の扱いに慣れている5倍や6倍程度での重複化で戦った方が勝てたかもしれない。
無関係な人間と口で言っておきながら冷静でいられずに制御不安定な倍率で挑んだのは結局過去を引きずっているままなんだろう。
一夜明けた今だからでなく、睡眠中に日本での日常でクールダウンしたから反省できた。
そこまで考えを巡らせたところでいつもと違う違和感の元に視線を向ける。
視線を向けるまでに予想は付いていたがいつぞやと同じでコーリンが隣で寝ていた。
そういえばあの後、意識を取り戻してからも急激な飢餓感は治まらず、力の入らない冷や汗の出るような体調でふらつきながら赤髪亭に戻った。
おそらくは高倍率の重複化を掛けつづけたままだったための急激なカロリーの消費による低血糖状態だったのだろう。ひょっとすると急激な脂肪分解でケトン臭が呼気から匂っていたかもしれない。
食べる行為は億劫だったので果汁水を浴びるように飲もうと思ったが胃の容積を超えるほど飲めるはずがないので砂糖を入れて飲んだ。体調が戻ってから肉を食べればいい。
これまでの狩りでは負傷らしい負傷はしたことが無かったので昨日の様子にマリアさんは気にかかっていたようだが何も聞かれなかった。
倦怠感が取れないままの体を引きずり、濡れたタオルで体を拭いてからベッドに倒れこんだ。
大森林には行ってなかったのでそれほど汗はかいていなかったが湯船に使ったらそのまま沈みこんでしまうと思ったからだが眠りに落ちる前に日本では交通事故での死亡者よりも入浴時に溺れ死ぬ人が多いと聞いたけど本当かなと思いつつ意識は無くなった。
ちなみにそのあと日本世界で目が覚めてニーオンとのことで落ち着かなかった心を鎮めるためにネットで調べたところ一年の交通事故での死亡者数は4300人を超えているが入浴時の死亡は2万人くらいと言われており確かに交通事故よりも多かったがそれは心疾患が元での死亡者も含めてのことでおぼれてしまったことが原因なのは2割程度らしい。
いずれにしても数千人が風呂で溺れ死んでるのか・・・・・・薀蓄ネタに使おう。
などと日本での日常をこなして年輪都市に戻ったわけだがかなり早めに目が覚めたのは空腹と痛みのせいだ。
正面から何度か攻撃を受けた分はこちらも重複化による外皮の強化でダメージは少なかったが重複化が切れたときに圧縮空気砲を食らって地面に転がされた時に打撲を負った。 重複化していると体重が増すせいで飛ばされることはなかったが切れたらこの様だ。あっちだって反作用で後ろに飛ばされてもおかしくないはずだが当然何かの対策をしてるんだろう。
頭を動かした枕の振動で気がついたのだろう。コーリンが目を開けた。
「何をしている?」
そう言ってはみたのだがどうせ返答はこれだろう。
「「良人に抱かれにきました。」か?」
前にも同じことを言ってたが正解だったようだ。二人して科白が被った。
「母よりもっと貴方に近づきなさいといわれたもので。早速行動してみました。」
たぶん物理的に近づけという意味じゃないんじゃないのか? いやミモクさんならそのまんまの意味かもしれないな。
「昨日は早いうちから休まれていたのでこちらも早めにお邪魔しましたが、少し様子が変だったので様子を見させていただきました。」
「それがどうして添い寝になってるのか疑問ではあるけども、昨晩ベッドに倒れこんでからは全く覚えてないな。コーリンがいるのに気付いたのもたった今だ。」
目が覚めたら文字通り人並みの大きさの物体が隣に存在してるのだから気付かないほうがおかしい。けれど普通ならベッドに横に誰が座っただけでも気付くもんだ。
「ええ、疲れ果てていたのか反応が無かったですね。マリアさんが貴方が前かがみで居たのでどこが痛いのかもしれないと言ってましたから体を見させていただいてる間も目覚めませんでしたし。」
「さっきの見てたってのは体の負傷の具合を調べたってことか?」
体を起そうとしたところでコーリンが先に体を起して俺の身体を押し止めた。
「マリアさんから聞いた様子で重複化というものを過剰に使ったのではないかと想像はついています。貴方の部屋に入っても目が覚める様子がなかったことからアマザさんに連絡して今日の狩りは不参加になるだろうと連絡済みです。」
体を起すのを止めて深呼吸する。脇腹をぶつけたのか大きく息をすると痛い。
「ありがとう、コーリン。」
「いえ、実際に連絡したのはアンですし。
ですが打撲箇所は腫れていたので私が濡れタオルで冷やしておきました。
普段の狩りではアマザさんとタミーさん、冷却能力の道具への付与でアンと過ごしてるので私が来たわけです。
ついでに私が体を拭いておきましたよ? 隅から隅まで。」
なるほどな。4人とも念話とかでやり取りしてるらしい…って?
「隅から隅まで?」
「はい。下着を脱がせて隅から隅まで。」
「……マジで?」
「はい。どこを負傷してるか分かりませんでしたので。胸部と脇腹の打撲以外にも擦過傷がいくつかありました。」
「見た?」
「良人の裸を見るのは別に問題にもならないでしょう。それにまぁ人の半分は貴方と同じものを持ってるわけですしね。 恥ずかしがるほど特異な体には見えませんでしたけれど?」
こうまであっさりと言われては照れることもないな。介護されたみたいだ。
「それと空腹状態は治まったのですか? まだこの時間なのでご飯はありませんのでアンが作った氷はありませんけれど果汁水はどうです?」
そういって薄いタオルケットから出て机に置いてあるピッチャーとコップに向かうコーリン。その横にはタオルとそれを冷やすために使ったのであろう洗面器もある。それと畳まれてるのはコーリンの服か。
「コーリン……寝る時に裸っていうのは個人の自由だと思うが明け方温度が低い時もあるからどうかと思うぞ? 」
全裸のままでピッチャーから果汁水をコップに注いで持ってくる。
さすがに目のやり場に困る。
「ですからタオルケットを掛けてましたが?」
そのまま腰掛けてコップを渡してくる。コーリンからすると特に関係を迫るつもりというより単に持ってきたという感じ。
誘うために裸になったわけでなくて就寝時の習慣が裸というだけなのが伝わってくる。
いくらミモクさんから早めに子供をって言われていてもコーリン側から強引に関係を迫ってくることはしないか。
すると
「欲情しましたか?」
などと言ってきた。特にリアクションを取らずにいたら
「落ちついてますね。 というよりは私の間が悪いのでしょうか。ちょうど前の時のようにまた沈んでるようですね。」
その通りだ。あまり気は晴れてないし、負傷部も痛い。
コーリンは再びベッドから離れて机に置いた洗面器でタオルを絞り脇腹に置く。
「それにしてもどうして治さないんです? 貴方は医術士の力が使えるんでしょう?」
「俺自身には使えない。」
そう。お袋からナージを取り返すためにと重複化能力を与えられた俺はニーオンに鍛えれたがその際に他人に医術は使えるのに自分が負った負傷には使えなかった。
「どうしてなんです?」
「分からない。いや分からなかった、か。今は予想は付く。
コーリンも一緒にオウノ爺さんのところでスフィアについて聞いただろう?」
「ええ、貴方の身体が四六時中上限なしに集めている源力を貯めこんでいる物体という話でしたね。」
「ああ、つまり俺は常に体に留めておける上限まで源力が満ちてる状態だ。
だけど医術は患部に源力を通して活性化、施術は留まって筋肉の力を強化するもんだ。 つまり一時的に自分の身体の上限以上に源力がある状態になってる。だけど俺の場合は医術を使おうとしたらスフィアから源力を放出させて行う。だけど生きた源力収集体の俺の体は貯めておける上限を超えたものはすぐにスフィアに送られてしまうからな。
だから昔いくら負傷した時に試しても自分では治せなかったんだろうな。」
コーリンは俺の説明を聞きながら再度タオルを水に付けて絞ったものを別の患部に当ててくれる。
「そもそも昨日は狩りに出ていないと聞きましたがどうしてこんな負傷をしたんです? 狩りに出ても怪我をすることはなかったと思いましたけど。」
「ちょっとな。昔の同居人から頼み事を賭けてやりあってね。」
「噂でしかないですがたった一人で一級を退治とはいかないまでも追い返したという防衛課と保安課の教官を務めているニーオン・カイロクさんとですか?」
「知ってるのか?」
「マリアさんから聞きました。とはいってもマリアさんも外見は知りませんでしたがカイルさんを訪ねて来られた時に名乗られたそうですので。 その噂の真偽も含めて名が知れた人ですから。」
タオルを打撲部においたあとベッドに腰掛ける。
「そんな有名人とどうしてここまでやりあうことになったんです?」
この前にコーリンに忍びこまれた時は母親を思い出したが、今回はアイツについてか。
「あいつは、ニーオン・カイロクはお袋の夫さ。」
「お義父さんではなくて?」
「……ああ。 なぁ、コーリン。 女からみて負けた男ってどんなもんだ?」
あいつに負けたことに自分で思う以上に堪えていた。
狩人として重複化能力を使い、源力補充装具を作って狩りを容易にして高収入を得た。年輪都市では食用として一般的でないキノコに目を付けた。アマザたちのように美しい女性からも好かれた。
日本と精神が繋がってからはこちらの人生が好転していた。あいつに勝てるとは思っていなかったがいい勝負はできるんじゃないか、如意棍で殴り飛ばすことができると思っていた。
実際は強くなったわけでもない。5年経ったがあいかわらず有効なダメージを与えれないままで負けた。
当たり前だが自分の格闘能力はニーオンに鍛えられたものだし、重複化も母に与えられたものだ。それを磨くことはついこの間まで避けていた。
「哀れですね。ですがそれで貴方を嫌いになるわけでもありません。
負けたことで貴方が変わったわけでもありませんし、一切負けない人などこの世にはいないでしょう?」
確かに生涯で全く負けたことがない男なんていないだろう。問題は一度の負けをここまで気に掛けている自分か。これまで幾度もあいつには叩きのめされてきたはずなのに。
コーリンはベッドに腰かけていた姿勢からベッドに上がって俺に跨るよう乗った上に半身を起した俺に正面から抱きついてくる。
「一度の負けで自棄になるくらいならお酒を飲むのもいいし、女性を抱いて一時忘れるのもいいのではないですか?
貴方には4人の婚約者がいることですし。
身内に弱いところを見せたところで問題もないでしょう。」
気遣ってくれるコーリンが有難くて自分からも手を回す。
「コーリンは柔らかいな。それに冷たくて気持ちいい。」
コーリンの年齢よりもはるかに豊かな胸だけなく、体そのものの柔らかさを感じて正直な感想を漏らす。
「柔らかいのはともかく冷たいのは違いますよ。私は暑がりなくらいですし。貴方の身体がそれだけ打撲で熱を持っているということです。」
そうか。割とダメージが残ってるんだな。やはり今日は狩りは休んだ方がいいのか。
「どうせならこのまま女にしてもらいたいところですけれどダメなんでしょう? どうして誰にも手を出してないんです?」
「……子供を育てるだけの金は稼げてるつもりだけど父親になる自信がない。 俺はまともな家族の中で育ってないからな。
血縁上の父親はお袋を強姦した。そしてその一度だけでお袋は俺を身ごもってお袋に信望を向けていたニーオンはそいつを殺害。
追われることになってお袋と匿ったお袋の上司だったオウノじいさんを追手から守り通して年輪都市にやってきた。
前にも少し話したがニーオンやお袋とは同居はしていたが家族と呼べる間柄じゃなかった。」
「だから父親になる自信がないと?」
「ああ。」
それに日本でも母子で父親を知らないしな。
「面倒くさい考えですね。」
抱きつく体勢から体を離してコーリンは言う。
「貴方は父親というものがわからないといいますが私たちだって母親というものを理解しているわけではありませんよ?
生まれながら母として在るものはいません。自分で子を産まない限り母たりえないのですから。
貴方がよき父を知らないというなら、そうなるように努力すればいいだけではないのですか? それとも普通に育った男性は誰でもよい父親になれることが前提としてあるとでも?
私の父など話を聞かずに娘の婚約者に巨獣をけしかけるような、とても褒められる父親ではありませんが家族としては好きですよ。」
「子を為す年について貴方の考えがあるかもしれませんがこちらにも考えがあります。
私は今年で学校を卒業する時に都市の祝福を受けたとして異法士や術士になる可能性がありますがすぐに研修期間に入るつもりはありません。
その間 貴方と子作りをするつもりです。
母から早い孫を望まれていることもありますが私が早く子供を産めば異法士であるアマザさんやタミーさんが出産してもすぐに私が面倒を見れますから狩りにも出れるでしょうし、アンだって子供を私に預ければ厨房に立てるでしょう?」
真正面から俺を見据えてそう言う瞳には迷いなく、15で母になる覚悟が固まってることがうかがい知れる。
「コーリンはそれでいいのか?」
「以前に言ったことがあるでしょう?
元々の純血の獣人族は人よりも時間が少ないのです。だから内容を濃く生きることをよしとすると。
しきたりを残そうとうする私たちもそう教わります。すでに貴方という良人が決まっているのですから、他の方も含めてより良い方向を選ぶだけです。」
前にお袋を思い出して沈んだ時に慰めてもらったがコーリンには敵わないな。
何も言わずにコーリンを引き寄せた。
しばしコーリンの体温を感じたあとに彼女が言った。
「負けたということは頼みごととやらを引き受けたそうですけれど、どういった頼みごとだったのですか?」
「ああ、今月末にある都市の親睦パーティーの中央地区開催部に出ろと。」
登場人物
コーリン あと3ヶ月で卒業の獣人族の血が濃い学生さん カイルの婚約者その3
ミモク コーリンの母




