3-10 背中を押されて
あたしは今、近所の銭湯に来ている。
いつもなら赤髪亭の仕事を手伝ってくれたコーリンやヴェガと一緒に銭湯に来るのだけれど今日は仕事を休んで日中に別地区の水辺で遊んでいたので時間が合わず私一人だ。
水辺での行楽後はコーリンは両親と出かけ、カイルは仕事仲間の狩人達と仕事の打ち合わせと言って連れだって別の場所に向かい、残った私と母さんとヴェガは3人一緒に赤髪亭に帰ってきた。
先日カイルの導きで得た火の異法のもう一つの力をもっと自由に使えるようになりたい。その意欲に燃えていたのだが欲求が急激に萎んでしまって厨房で練習しないで自室でベッドに寝転がっていた。今日の赤髪亭は母さんが休みにすると言っていたので夜の営業の仕込みをしてないから夕方に自室で寝転がっていても問題はない。
それにしても、
「結婚か……」
学校の最高学年とはいえ、一年遅れで通っているために既に今年15才となる私にはそろそろ身近になってくることだ。
学校を卒業して来年は16才になる。
年輪都市でも16才で結婚っていうのは早婚だけれど別に後ろ指を指されることはない。学校を出れば未熟ではあるがカードを持つ以上、市民として一人前と看做されるし納税の義務も生じる。
そもそも身近なところじゃ母さんだって学校を卒業した翌年の15になった年に父さんと結婚してる。二人が出会ったのは母さんが学校に通ってる間だったってことらしいけれど詳しくは聞いたことがないな。
考えてみるとカイルとコーリンだって同じなのか。在学中に相手と出会って卒業して結婚。
あたしにもいずれ相手が見つかるんだろうか?
自分じゃわからないけど学校じゃ同性にも異性にも注目されているらしい。
火の異法をバカにしてきた連中とやりあったこと、学校卒業前だが異法が使えることが推測できるほどの濃い赤い髪が目立つ原因らしいけれど異性にもてているという自覚はない。
あたし自身は気になる異性ってのは学校にはいない。
都市の祝福を経ずに異法を発現してるけど母さんの仕事を継ぐのに問題はないどころか一番合ってる火の異法だったからそのまま卒業したら赤髪亭を手伝うつもりだ。周りのクラスメートは学校の卒業時に異法が発現したかどうかで進む進路を決めて研修期間に入る。異法が発現するかどうかに関わらず進む道を決めているものもいるが市民となる前の今を楽しんでいるものがほとんどだろう。
それが悪いとも思わないし当たり前だとも思う。けれど私にとって異性は頼り甲斐がある存在であるものだと思っているので同学年の学校に通う男子生徒には気を惹かれることはなかった。
母さんが前に指摘していたけれど私にとって異性って父さんの存在が大きいんだと思う。
そんなことを考えながら右手の中指にはめられた指輪を見る。
うっすらと黄色で金属光沢を帯びたその指輪を窓から入る西日の光を反射させながら黄昏時を過ごした。
その後、気晴らしにいつもよりも早い時間に1人で銭湯に来てみたのだが所詮はいつもの日課だ。気分転換とはならず、自分でも納得も原因もはっきりとしない焦燥感を伴ったもやもやとした心模様は晴れることはない。
外門から少し離れたこの地区は狩人が利用することは少ないので都市内での仕事をしているものの利用者がほとんど。だけど黄昏を過ぎたこの時間はもっと人がいてもいいはずだが今日は何故だか周りに人は少ない。そのことが余計に心が晴れない自分を避けられているように思えて少し沈んだ。
はしたないが広い湯船に誰もいないのをいいことに髪を纏めたタオルを枕代わりに湯船の縁に頭をおいて両手足を広げて浮いてみた。水の上に浮かぶのは余り得意じゃない。結局今日の昼間は水辺に足を浸けて涼んでいたけれど浸かることはなかった。
昼間に水辺で見事に泳いでいたカイルを思い出す。
そういえばあいつの半裸なんて見たのは初めてだった。あたしが知るあいつの仕事は外壁補修とかの肉体労働だったから肌はやや日焼けしてる。
暑い年輪都市だけれどうちはカイル以外は全員が女であるためか、あいつは上半身裸でうろつくような真似はしたことがなかったけれど背中にいくつか傷痕があったのは狩人の仕事故なんだろうか?
いくつかの泳ぎ方を見せた後、コーリンに泳ぎを教えていた。あたしは足を付けて涼みながらその様子をちらちらと見ていた。その時は結婚をするくらいなのだからコーリンはあいつとは体を重ねたのだろうか?などと下品に思えることが頭に浮かんでいた。
一体いつからなんだろう?
別室とはいえ同じ二階にある部屋で寝起きしてるのなら私たちが寝た後になるようになってしまったんだろうか?
でもカイルはそんなことができるような男じゃなかった、と思う。
無気力というか達観とまではいかないが何か諦めながら生活を送っていた。その様子から女性に興味があるような素振りが見えなかった。
赤髪亭に来た時は特にその様子が顕著で元気付けるまではいかないが同じ屋根の下で寝起きする身として辛気臭い顔でいられると迷惑だとあいつを焚き付けるために通学時に会話をしていた。
あいつの仕事場が同じ第3地区内だった時に通学方向と同じだった。その時のあいつは寂しそうには見えなかった。
だけど赤髪亭に来てから会話も最小限、友人がいるのかいないのか誰とも会ってる様子はない。そんな生活をしていたカイルに憐憫を感じたんだったか。お金は取るけど弁当を作るようになった。
年下の私からの生意気な口のきき方だったが少しずつ会話が増えていったように思う。その頃から既にいたヴェガやコーリンとはあまり会話がないのは変わらなかったが私が加わることで少しは増えた。
あたしがあいつにしたのはそこまでだった。同じことを続けてどこで状況が変わったのかどうかはわからないが数ヶ月前からあいつの表情が変わった。
おそらくその頃には狩人に就いていたんだろう。
それにコーリンと互いに憎まれ口を聞きながらも距離を縮めていったのも。
あたしはその間 カイルが狩人をしてるなんて知らなかった。
母さんに聞いたら最初からじゃないけど知ってたらしい。それどころかあいつの生い立ちからの経緯も。
父さんのこともあるし、そりゃカイルが狩人をしてたら文句をつけてやめるように言ったとは思う。
狩人をしなくても都市での仕事で暮らしていくことはできるし、悔しいけれどあいつが作るメニューはお客さんを呼べる。唐揚とか今は手間は掛かるので出してないけれどマヨネーズと言っていたソースとかあいつが厨房に入ってくれればもっとお客さんが来ても捌けるだろうからもっと手伝ってくれた方が有難いというのが本音だし。
取り留めも無く、どこかに行き着くことも無い思考を打ち切って湯に浮んだ体を起してタオルを外し頭を洗うことにした。
-*-
そのころ赤髪亭にやってきたミモクとマリアが一階の誰もいない食堂のテーブルで果実酒を飲んでいた。
赤髪亭はこの世界にあるアルコール成分が含まれていない果実酒も含めて酒類は置いていないのでミモクが持参してきたものだ。娘を持つ母親二人が軽いつまみを食べながら話をしている。
ミモクはカイルの印象やコーリンから聞かされていない情報を同じ年長者であるマリアの目を通して聞くためだったのだが年が近いこともあって世間話も交えながら談笑を楽しんでいる。
その中でミモクが出会ってほとんど時間が経っていないカイルについて感想を述べる。
「あの子、というには失礼ですね。
カイルさんは少し変わってるように見えますね。若さゆえ異性への興味が見えるのにコーリンにも他のお嬢さんたちにも手を出してないとは。それほど理性で強く抑えてるわけでも見えないけれど女性を怖がってるのかしら? でもそれなら結婚しようなんて思わないはずだし。」
「カイルの育った事情は本人から聞いてますけれど母親が苦手、ひいては年上が苦手というのならともかく女性そのものが苦手になってるとは思えないわね。」
「じゃあ、単に女性に慣れてないだけなのかしら? 結婚することが決まってるならそれまでに「相性」を確かめた方がいいと思うけれど。私の一族は無理だけど恋愛は肉体関係もあるのが当然でしょうし。」
「カイルは狩人をしてるから相応の額を稼ぐまでは妊娠させるわけにはいかないと思ってるんでしょうね。」
「でもそれだけで若い男性が抑えがきくものなのかしら? 性衝動を抑え込むとか大人としちゃ当たり前だけれど相手がいるのに何もしないのは不自然にも思えるわね。別の視点を持って自分の欲を俯瞰で見て反らすとかしてるのかしら? 」
「それでもミモクさんが羨ましいわね。コーリンが積極的なおかげで卒業と同時に相手も決まったわけだし。それに比べてうちのヘタレは……。」
「あら? やっぱり『そう』だったの?
カイルから泳ぎを教わってた時ずっとこっちを見てたからもしかしてと思ってたけど。」
「自分で気付いてるのかどうかすら怪しいですけれどね。」
「貴方が背中を押せばよろしいのに。」
「そうしたいけどあの子のことだから裏目にでそうなんですよねぇ。でも後になって悔いるなんてしてほしくないし。」
などと話している話題となっていたアンジェが帰ってきた。
「あっ、こんばんは。」
立ち止まってミモクに挨拶してから2人が腰掛けるテーブルを通り過ぎて奥へ続く廊下を通って自室に戻ろうとした時、2人の熟女の間でアイコンタクトが交わされて声が掛かる。
「アンジェ、荷物を置いたらこっちへいらっしゃい。」
「お酒は飲ませないから安心しなさいな。」
カイルと違って家で洗濯しているアンジェたちは着替えを持って銭湯に行くので服を部屋に置いてからほろ酔い気味の2人が待つテーブルに向かう。
「母さん、ミモクさん、どうしたの?」
「座りなさい。」
マリアに言われるままに同じテーブルに腰掛けるアンジェ。
アンジェよりも小柄なミモクが真剣な顔をして尋ねる。
「アンジェさん。お節介ではあるけれど言わせてもらうわ。貴方はこのままでいいの?」
「何がこのままで、なんでしょう?」
質問で返すアンジェにマリアが答える。
「カイルのことよ。」
二人からカイルのことを言われるとは思っていなかったので少し怯むが
「このままも何もカイルは実は稼ぎがいい狩人で来年にはコーリン達と結婚するんでしょ?おめでたいことじゃない。」
素面のアンジェにほろ酔いの度合いが進んできた熟女二人(ミモクは年齢だけで見た目は違うが)が絡んでくる。
ただし年輪都市の果実酒なので酩酊させる働きはあってもアルコールによる血管の拡張作用はないので顔色は赤くはなっておらず普段と変わらないように見える。
「アンジェ、あなたは気付いていない振りをしてるならそれでもいいけれど。
意地を張ったり、自分を誤魔化したりしても後悔するのはあなた自身なのよ?」
「そぉ~ね~。私の一族みたいに欲しいなら力で得ることが認められているなら簡単な話だけれど、カイルさんって一般人で狩人してるのはそれなりの理由があるみたいでかなり強いらしいわね~。
私なんて旦那は力づくでモノにしたけれど貴方じゃカイルの本気に敵わないわね~。 でも私たちみたいに力で態度を示さなくても言葉でも態度を示せるじゃない?」
見た目子供みたいだが夫に対する口調は毅然としたものだったのに今は果実酒のせいなのか語尾を伸ばして話したり印象がずいぶん違っている。
「そうよねえ、何もしなくて後で『負けた』ことに気付いて泣きを見るよりも今のうちに勝負を掛けて欲しいわねぇ。
私としても赤髪亭で売れるメニューを考えてくれるお婿さんは欲しいし。 できればリスクヘッジのために他でも稼いでくれるような人で。 そりゃ厨房にずっと入って欲しいけれど人を募集すればいいことだし。」
普段の顔のままで酔ってきて絡んでくる二人に
「なっ!何言ってんのよ! それじゃ私がカイルのことを好きみたいじゃないの!」
「「違うの?」」
「違うわよ! 単に年上のクセに情けなくてほっとけなかっただけよ! 大体、父さんみたいに頼りがいもないしあたしの好みと全然違うじゃない。」
「ふーん……カイルがあの人に似てないって思ってるのね。
私は逆にあの人とカイルが似てるからウチに下宿に来るのを了承したんだけどね。」
「あら? 貴方はうちのお婿さんを食べちゃうつもりだったのかしら~?」
ニヤニヤと果実酒が入ったコップを指で弾いて音を立てながら軽口を叩くミモク。
「いえいえ、ファザコンの娘にあてがおうと思ってたんだけれどねえ。一つ屋根の下で数年いるのにな~~~~~~んにも変わらないし、娘はいよいよ今年で学校も卒業するっていう年なのに両方奥手というかヘタレというか。」
「親の気持ちなんて子供は気付かないものだものねぇ~」
「いい加減にしてよ、酔っ払い!」
座ったままだが声を大きくして二人に言ったアンジェだが相手は動じない。
真剣な顔で諭すように、ではなく相変わらず温そうな果実酒をチビチビを飲んでアンジェに視線を向けずに言う。
「あのね、アンジェ。人が他人に注げる愛情は無限じゃないわ。でもその対象が少ないからその分強く、長く続くってものでもない。
彼の度量がどれくらいのものかはわからないれど幸いにしてこの年輪都市はその成り立ちゆえに一夫多妻が認められているわ。
これは男が女を独占する傲慢な制度に見えるけど女からすると好きな男を他人に奪われずに共有できるともいえるの。
彼がコーリンも含めた三人に加えて貴方の好意を受け止めるというなら今がチャンスよ?
もし来年になって結婚したらより3人への結びつきが強くなっていくら一夫多妻といえそれ以上他の人向ける愛情は無くなってしまうかもしれない。子供が産まれたらなおさらでしょうね。でもまだ体の関係すら結んでいない状態なら同じスタートラインに立てるわよ?」
「そうね、アンジェが自分に向き合ってそれにカイルにも向き合ったならね。私が見ても押せば脈はあると思うけれど。」
「……どうしろっていうのよ。」
「な~~~んにも!
それを考えるのも行動するのも貴方がやることですもの。 私たちはただの酔っ払いだし~?」
「私としてはコーリンと同様さっさとアンジェにも相手を決めてもらいたいけどそれは自分自身が決めることだしね~。」
二人は温い果汁酒を互いに注いで晩酌を続ける。
アンジェはしばし俯いたまま黙して動かなかったが3分ほど経ったあと、厨房に入ったと思ったらすぐに二つのコップを持ってきてダン!っと置いた。
机に置かれた時の衝撃音以外に中に入っていた氷も音を立てた。
「ありがとう。」
頭を下げて礼を言った後、自室へ戻って行った。
「ミモクさん、ごめんなさいね。娘さんの旦那に更にコブを付ける手伝いなんてさせちゃって。」
「いえいえ。構いませんよ~。
確かに年輪都市は一夫多妻だけれど今じゃほとんど見かけない夫婦形態ですもんね。しかも死亡確率が高い現役の狩人が夫でっていうのは本当に珍しいわ。
私としてはコーリンが子供を儲けてくれるなら旦那が他に妻をいくら持とうが養えるなら文句はないからどうなっていくのか娘夫婦たちを観察させてもらうわ。
それにしても、これは?」
「カイルが火の異法の別の使い方だってあの子に教えたみたいなのよ。背中を押した私たちへのお礼かしら? ちょうどいいからこの果汁酒を入れて飲みましょう。冷たくてもっと美味しくなるわよ? その分飲みすぎちゃいそうだけどね。」
「それならもう少し飲めるように元の姿になろうかしら。体重は変わらないけれど体積は小さくなるからこの姿だとあまり量が飲めないのよね。」
「女としては羨ましい力だわ~。」
本来の姿に戻ったミモクに感想をいいながら二人の酒宴はもう少し続いた。
部屋に戻ったアンジェはさっさと布団に入って眠ろうとしていた。
(そうね、カイルをなんとも思っていないなら昨日からもやもやと悩むことも今日も結論もでないことをそぞろに考えることもなかった。
私はカイルが好き、なんだろう。
それならそれで逃げるなんてあたしらしくない。
正々堂々 他の3人がいる前でカイルに認めてもらえばいい。
カイルに拒まれたならそれまでだ。)
翌日の夜 狩りを終えて赤髪亭に来た『遠慮』のメンバーを含め他の客がいる前で告白したアンジェはその場で即答を迫り、赤面して泣きそうなアンジェの後方、厨房から覗くマリアさんの圧力にも負けてカイルの4人目の嫁さんが決定することになる。




