3-4 赤い水
「これってそんな働きがあったの?」
指にはめられた指輪を見てアンジェが驚いている。
昨日の夜にコップに入った水を凍らせることに成功した。水の氷への変化に唖然としていた一同だがその後にコップに水を掛けて氷を取り出し、包丁の峰で砕いて氷水にして全員に配るとその冷たさに驚嘆していた。
蒸した夜の暑さに喉越しが心地いい。こっちの体じゃ初めての冷たいのどごしだ。 日本じゃ冷蔵庫さえあれば普通に出来る氷だけど冬すらない年輪都市じゃこの氷すら体験したことがないものがほとんどのはず。
コップを空にした後に自分ひとりで凍らせようとしていたアンジェなのだが突然湯気を出して沸騰させてしまったりとうまくいかず、傍で見ていてもどかしくなり、もう一度サポートを申し出たのだがまた全身に源力を這わせられるのは嫌と断られた。
これほど熱心にチャンレンジしてるならそのうちコツも掴めるだろうとアンジェを残して俺達は部屋に戻り就寝したのが昨夜。
そして明けた翌朝。
朝食を食べようと一階に降りると目の下に隈を作ったアンジェに捕まった。
俺としては曇天で朝起きるのが遅かったのですぐに出かけたかったのだが、あのあと源力が尽きるまで試してみたが成功させることが出来なかったらしく悔しいのか泣きそうな顔で協力を求めてきた。
さすがにここで突っぱねることはできないのでまずは昨晩遅くまでの消費のせいで完全に戻っていない源力を戻すために以前に渡した指輪を使って源力を補充させた。
指輪をアンジェに渡して時間は経っているがその働きには気づいてなかったようだ。そらまあ源力流して指輪の温度を上げる意味がないから気づかないのも当然だが。日付が変わる前には自室に戻ったようだが上手くいかないことに悶々としていたようで寝付けなかったらしくそれがアホ毛のような変な寝癖と目の下の隈というわけだ。
当然最後の使用から早朝の今まで8時間も経ってないので源力は完全に戻っていなかったために指輪を持って来させて補充させた。
「異法の使い方といい、この指輪といい、なんで説明しなかったのよ!」
うまくいかなかった苛立ちをこっちにぶつけられても困る。それにちゃんと言うべきことは言っておかないとな。
「指輪の源力の補充機能については他言無用な。言ったら聞きつけた狩人の異法士から譲ってくれとまとわりつかれることになる。 それはわかるよな?」
大森林にて源力切れを起こすことは死に繋がる確率が上がる。そんなことは狩人でないアンジェでもわかっていることだ。
死の危険が伴う大森林に入る仕事といってもそれが日常になれば恐れは麻痺する。なので仕事の日といえどそこに緊張はなく、朝の時間が慌ただしいのは日本と同じだ。
固めのパンに今日は燻製肉を挟んで果汁水で押し流しながらの会話だったが横目で睨むと頷いていた。
火の異法の有用性の広がりと休息せずに行われた源力の急速補充ということに興奮していたのだろうがこっちが普通通りなので自分とのテンションの違いを感じて落ち着いてきたようだ。
サラダがないのが不満だが赤髪亭の葉物類のサラダは昼営業の弁当と同じメニューの定食を仕込む前に届くので仕方がない。この果汁水もアンジェの冷却能力があれば…… いや、今やってもらったらいいのか。
落ちついた後 指輪を凝視していたアンジェに問いかける。
「鍋の温度を更に上げる時はどうやってる?」
俺の問いかけにハッとして視線を指輪からこちらに戻して答える。
「何も……温度を上げるのは単に対象に馴染ませた源力に対して「そう」念じてる。でも熱くなる速度は一定で強く念じたりしてもその分早くなることはできないみたい。」
ふーん、ん? ちょっとおかしい。
土の異法や水の異法だと早く、そして強く動かすにはその分だけ異法の消費が大きい。ひょっとして、
「なあアンジェ、鍋の温度を揚げるのに源力を馴染ませるよな? 温度を上げるのはその馴染ませた源力だけでやってる?」
「もちろんよ? あんたは知らないかも知らないけど源力は動かすだけでも消費されているものだからなるべく少ない源力で鍋を温めないとすぐに源力が尽きちゃうじゃない。いくら尽きるにしても店の営業時間で調理してる間はずっと使いたいからだからなるべく節約しないと。」
なるほどな。多分このせいか?
「じゃこの果汁水だけどさ。まず温度を上げてみ? ただし源力を『馴染ませてから』でなくて、『源力を注ぎ込みながら』」
「『馴染ませながら』じゃないの?」
「いや馴染んでも更に源力を追加で加えながらって感じで。」
俺の飲みかけの果汁水をアンジェが座る前に差し出す。
真剣な目でコップに触れないように両手で包む。しかしたった数秒後に
「っつ~~~」
ジュワっという音を発したコップから湯気を立てた甘い匂いが漂い。ブクブクと沸騰している。アンジェはその弾けた泡が指に掛かり慌てて手を引いて椅子から立ち上がる。
「なんで? いつもはこんなに早くここまで沸騰なんてしない。」
呆然と未だ泡を立てる果汁水を見つめる。
「やっぱなあ。アンジェ、学校に通う前に異法は発動したけど通常『都市の祝福』を受けた奴らが通う訓練所に行ったことがないだろ?」
「ええ、だって私が異法を発現したのは巨獣侵攻があってゴタゴタしてたから…… それに学校を出てからだって通えるし。」
家で使うにしても厨房で鍋板や竈の代わりに鍋を加熱する程度だったから自己流のまま来ていたから基本的な源力の使い方を知らないままだったのか。かと言って俺も物質を源力で支配するってのはよくわからない。
だがより強く、より早く異法を行使するのにはその分 源力を消費することは分かってる。加熱の温度が早くならなかったってのは源力を追加しなかったからだ。
俺は水を別のコップに組んできてもう一度アンジェの前に置く。
「アンジェさっきと同じように源力を流してみな。だけど温度は上げなくてもいい。水に馴染ませるだけだ。」
掴みかけているのか真剣な顔で頷いて手をコップに翳す。
俺はアンジェの両肩に手を置いてアンジェに源力を繋いで昨日の氷のイメージを見せる。
「いいかアンジェ? たぶん火の異法はその名前と違って支配した物質の温度を操るってのが本質だ。 だけど温度を上げるのと下げるのは下げる方が難しい。つまり温度を上げるよりも源力を使うってことだ。」
「……うん。」
「コップの水に自分の源力を流して支配した状態でここから更に源力を加えるんだ。ただし昨日みたいに冷たいってこと、あるいは固まる、自由に形を変えて広がってく水が小さくなるイメージでもいい。自分なりのイメージを付けて流しこめ。」
水が氷になると体積が増すので小さくなるというのは間違いなのだが氷を作りだすための自身のイメージを作り出すためにはどうでもいいか。
「……」
アンジェは翳す手を両手にしてコップを見据える。すると昨日と同じく硬質な音が響いたと思ったらコップの水全体が一瞬で凍る。更にコップ全体に霜が付きはじめる。
「まだ源力を流しこんでる? 成功したしもういいんじゃないか?」
目を見開いて凍っていく過程を凝視していたが成功した後もしばらくそのままの姿勢で霜に覆われて白くなったコップを見ていた。俺の言葉にアンジェは大きなため息と共に両手を下ろす。
「これが『冷やす』ってことなの?」
「加熱の反対の冷却だな。ただ冷えすぎ。 コオリを作るなら0度でいいからコップに霜が付くまで冷やす必要はないな。
だけどまだこの力に慣れてないだろ? 指輪に自分の源力を流せば数回は満タンに充足できるから時間があるならもっとゆっくりとやってみたらいい。コオリを作ったりコオる手前のキンキンに冷えた状態とかな。一番コオりやすい水を基本に色々やってみるといいさ。 過冷却なんて面白い状態も存在するぞ。 じゃ、俺は仕事だから」
「ちょっとっ!」
まだ何か言いたそうだったが集合時間に遅れてしまう。さっさと向かわねば。
0番地区狩人詰め所にやや遅れて到着し、俺のメモ帳を覗きみて火の異法に対する仮説が正しかったことをドヤ顔で言おうと思ったがせめてカキ氷が出来るようになってからにしよう。シロップなんて果汁水をぶっかければいいだろうし。全員に頭がキーンとなるのを体験させてやる。
アンジェの力が安定したらこっちの珪藻土を使って箱を作り、冷却の異法を定着させて冷蔵庫を作ることが可能かどうかを試したいが昨日の今日だ。
アンジェが冷却能力を使いこなせるようになるのを待つとしよう。
「降りそうだけど完全に雨季に入っちゃったら狩りに出れる日は少なくなるだろうから大森林に出るで。」
「へぇへぇ、結婚が決まって金稼ぎに精を出すってことだな?」
ニヤついて言うアッシャーに対して
「何とでも言うたらええやん?アッシャーかて実入りのええ狩人のうちに稼いどく方がええやろ?」
「違いない。来年アマザとタミーがどうなるか分からないんだから今のうちに稼げるだけ稼いでおくべきだな。」
ニミヤもそう答えて悪天候になる前に稼ぐことに賛成する。
最近多くなった北大門から出ていく狩人達から遠巻きに視線を向けられつつパーティー内での念話で狩り場について意見を交わす。
『ホーヅ、今回は岩場以外で狩るつもりやねんけど特に買い取りで高値になってきとる巨獣はあったっけ?』
『特に、買い取り額が上がってる巨獣は、なかった。だが、蒸し暑くなってきて、脂が多い肉は、都市内の需要が、落ちそうと聞いている。素材と加工、他都市への交易分として、需要は減ることはないだろうが、都市内での需要は、ジバシリの方が高くなるかもとのことだった。』
『じゃ、今日はコロニーを見つけて全部仕留める?』
『俺はタミーの意見に賛成。雨もいつ降ってくるかわからないからコロニーを全滅させる方が巨獣よりも狩りの時間が少なくて済みそうだし。俺の風も含めて土、水で一斉に探査を掛ければコロニーの一つや二つすぐに見つかるだろう。』
ニミヤの意見により俺たちは大森林に入り、今回は北東部へ向かって歩き進む。
タミーの土の異法での振動探査、ニミヤの風の異法での匂い探査、ホーヅの水の異法を使った水蒸気の動きを感知する探査を行いつつ1カイロ以上ほど進んだところで岩場に出た。既にこの辺りは昨夜か前日に雨が降ったようで岩場の表面は水に濡れ、上流から流れてきた水が岩を伝って南側へ流れている。
大森林の北は背の高い樹木で覆われているので雨が降っているのか分からない。突然この岩を伝う水が増水するおそれもあるので滑りやすい岩の上で巨獣や巨鳥を誘うよりは大森林の中の方がいいだろう。
俺たちは更に北方面からジバシリの強い臭いを感じたというニミヤに従ってこれまで入ったことがない都市緩衝地域から3ミイト以上奥の地域へ入る。
ここまで来ると新人パーティーは見かけないことと中堅以上のパーティーなら奥まで来てまで3級巨鳥のジバシリを狩るようなことはしないのでそこそこ大きなコロニーを見つける事が出来た。
以前の30頭を超えたが40頭に及ばないくらい。70-80モイトの体高があるジバシリを40頭近くと並べると一山になるくらいなのだが一時間もかけずに全て狩り終えた。
スコールというほどではないが雨が降り始めたことで血抜きをするのはやめて全てそのままで買い取りに出すことにしてアマザは指輪で歪門を開こうとする。
『ちょっと待ってくれ。』
俺は異常を感じてアマザを念話で呼び止める。
『カイル、雨が激しならんうちに帰らんと不味いことになるで?』
『ああ、分かってるがみんなブーツの靴底…何色になってる?』
俺の問いかけに全員が片足を上げて靴底を見る。そこには血液ほどではないが明るい朱色に色づいていた。
『『『血?』』』
『いや、鉄の匂いがしない。それに落ち葉の上は普通に雨が掛かって透明だ。だけど土を踏みこんでみると……ほら、地面にしみこんでる水が赤いんだ。』
そういうニミヤの言葉を受けて俺も足元を踏みこんでみる。
ブーツの周りには赤い水が浮いてくる。かなり気持ち悪い。赤土の泥水とかそんなんじゃない。
『雨じゃないな。上流から流れてきた水が落ち葉の下に流れてるみたいだな。だから落ち葉で隠れた地面は赤く見えないんだ。それに落ち葉の色もあって赤い色は見えにくいし。』
そういうと全員が少し小高くなった北側を見る。
『この先の地形って誰か聞いてる?』
その問いに我らが知恵袋ホーヅが答えてくれる。
『これ以上北へ向かうと、北から西へと流れる大河の支流に、ぶつかる。前に、10番地区でバチカーを狩ったのも、そういった支流の一つ。』
ってことは普段より雨で水量が増えた支流から溢れてきてるってことなのか?
『ともかく雨が続くとやばいのは間違いなさそうだな。帰る前に赤い川?を見ていくとするか。』
俺は先に如意棍を地面に刺して伸長させて20メイトほど先にある北の丘に立つ。
眼下にあるのは北から西へ流れる増水したであろう河、そこに流れる赤い水。
そして増水した土手に居たのは巨大なカニが何頭いるかもしれないほどの群れを成して赤い卵を放流していた。
3ミイト=3キロメートル
20メイト = 20メートル




