2-29 毛者《ケモノ》の掟
頬が痛い。
そう感じて目が覚めた。
昨日の夜に新たに入手したキノコのスケッチと特徴や採取場所のメモをしてた時にホコリタケに似たやつのせいで寝てしまったことを思い出す。
机に腕を置き頭を乗せて寝ていたがどうにも肩と顔が痛い。
確か寝る前にゆっくり寝れると思ったはずだがひどい寝覚めだ。
だが現実逃避はしていられない。
いやアレは夢の筈だ。
俺の部屋にコーリンが入ってきて「ごにょごにょ」をしていたなど。
そう思い返してベッドを見るが誰もいない。
よかった。
あの光景はホコリタケ(年輪都市産)が見せた夢だったことに心底安堵した。
エロい展開にならなかったのが名残惜しいとかでなく、偽らざる今の心情だ。 あんなことを目の前でしていたのが現実だったらコーリンとどう接していいかわからないところだった。
とにかくこのキノコは特徴に催眠と脱力、幻覚症状も追記だな。他にも厄介な作用があるかもしれないからコウサ師匠に確認しておかないと。
そう思って立ち上がり大きく伸びをしてから息を吐く。無理な姿勢で一晩いたせいか肩と腕の裏側が凝っているようで伸びによる緊張と弛緩が気持ちいい。
だが次の瞬間
コン、コン、
ノックの音で緊張が走る。
そう、嫌でも昨日の夢が頭に過ぎりノックの相手がコーリンだったら?と思って返事をするのが遅れてしまう。
すると返事もしてないのに
「もう起きてたんですね?返事がないので寝ていると思いました。」
その言葉と共にドアを開けて入ってきたのは今一番顔を合わせたくないコーリンだった。
昨日の夢の中で痴態を演じていた当人の登場に爪先立ちで腕を上に伸ばしたまま固まった俺を見ると
「どうしたんです?変な格好のまま息を止めて恍惚とこちらを凝視して。
朝から私を見て欲情しているのですか?
変態ですね。」
欲情しているという言葉に昨日の光景が浮かぶが内容は最近恒例となっている憎まれ口だ。
ふぅ、そうだよな。
コーリンはいつもこうやって俺には少しトゲのある感じの会話で、そして最近はバチカー肉を強請ってくる。
いつものコーリンだ。
返事をしないのに入ってきたのは問題だからきちんと言っておくか。
「返事をする前に入ってきたから驚いてんだよ。それもこんな朝早くから男の部屋に。
用事があるのかもしれないが返答を待ってから入るべきなんじゃないのか?」
いつもと同じコーリンの口調にやや安心したので思ったよりも動揺せずに言葉を返す。
そういえば昨日の夢で見たいつものリラックス時のダボダボの背中が紐になったタンクトップモドキじゃないな。
やはりあれは夢だったんだ。よかった。
「先程も言いましたがノックの返事がなかったからです。
それに朝早くからというのは間違いです。着替えるために戻っていただけですから。」
ん?
何って言った?
「いや、だから寝間着から今の服に着替えてから俺の部屋に来たんだろ?」
「私は昨日からこの部屋にいましたが? 先ほど目覚めて昨日着ていた服を着替えてきただけです。」
はっ?
昨日からこの部屋にいた?
待て待て待て!
俺は昨日二つのキノコの採取場所、外観を記してホコリタケのせいですぐに寝落ちしてしまった。
その後、中途覚醒で幻覚を見たがあれは所詮現実では無い、はず……?
聞かずばなるまい。
現実逃避をしていても先には進まない。意を決して俺は正面からヤツにぶつかることにした。
「コーリンさん?つかぬ事をお聞きしますが……昨日の何時からこの部屋に来てたんです?」
自分の思い違いであって欲しいとの願望からついつい敬語になってしまった。
すると態度はいつのままで変わらないコーリンが応える。
「昨日食堂で立っていられなくなったあとに自室に戻りました。
しかし貴方の部屋のドアから漏れる匂いに抗いきれずにお邪魔してからです。
その時には貴方は机で眠っているようでした。
貴方のことを考える余裕がなかったのではっきりとはわかりませんでしたが。」
勝手に人の部屋に入ってきて中にいる人間はどうでもいいのかな?
「あ~~、え~~~っとな?……」
確認したいがヒジョーに聞きづらい。
「なんですか?」
「その、この部屋に入ってナニかしました?」
「貴方が持ち込んでいたキノコの匂いに抗えずに欲情してしまいました。
バチカーの肉がもたらす味覚とは違った方向ですが、それと同様にあの匂いは私達に特異な作用をもたらす匂いを発していました。
平たく言えば性欲の亢進、発情させる匂いです。
部屋に持ち帰ることすら我慢できずにベッドをお借りしましたが?それにあの時は貴方も起きていたはずですよ。
目が合ったと思いましたけど?」
……確かに、再び眠りに落ちる前に目が合った。
じゃ、あれは夢じゃないのか?
コーリンは自分のした行動を解った上で痴態を目撃した男の前に何故平然としているんだろう? それを前にしてどうしていいか分からなくなって制止していたら彼女はベッドの上で正座をしている。
こっちも正座なんてあったんだな。
「昨夜は大変失礼いたしました。
おそらくはあの薬草のせいだとは思いますが自制が効かなくなっていたもので。
つきましては貴方が『目撃』したこと、いえ一晩同室で過ごしたことについてお願いがあります。」
「ここで寝てしまったことがばれた場合のアンジェやヴェガに対する口裏合わせか?」
ここは二階だし下で寝起きしているアンジェは気付かないだろう。それにヴェガは朝は遅いほうだ。仮に今起きてコーリンがここにいることを知っても昨晩この部屋にいたとは思わないだろう。当事者の二人が黙っている限り言い訳は必要ないと思うけどな。
「学校を卒業したら結婚していただきます。」
「は?」
「貴方は耳がついていないのですか? 私が学校を卒業したら結婚していただきます。」
血の気が引くのが分かる
アカン。これアカンやつや。
日本の某掲示板で見かけた文字が頭に浮かんだ。
-*-
『今日もその辺にキノコ探しに行って来る。修練が各自の修練が終わったら念話で呼んでくれ。』
そうパーティーメンバーに念話を飛ばして狩場の岩場を離れる。とはいえ籠は下げているが今日はキノコを取るつもりはなく、単に一人で考え事があったからだ。
今朝のコーリンによるいきなりの求婚のあと、ヴェガやアンジェたちにばれないように話の続きは今日の午後にすることにして早めに帰って来るそうだ。
できればこの訳のわからない状態から逃げたいところだが一緒の建物に住んでて逃げられるわけもない。そもそもコーリンは俺に対しては好意と言うよりは距離を置いてる感じだったはずだ。
それがいきなり求婚ってのはな。やっぱりあんなのを目撃したから、だろうなぁ。
しかしコーリンが『ああなった』のが俺の持ち込んだ物のせいだったとしても不可抗力だったわけで、その辺を説明してなんとか思い留まらせる方向でいくか。
なんせ相手は年齢にそぐわないプロポーションを持ってはいても14歳なのだ。
年輪都市じゃ15歳で結婚はそう珍しくないにしても日本じゃなぁ。双方の世界での常識を持つ俺にとってこのことはかなりヤバい気がする。
狩りは今日も問題なく終えたがいつもより会話が弾まないせいか体調を心配されたがメンバーに相談するわけにもいかない。
ここは昨日のダーナのように毅然として挑まないとな。コウサ師匠の元に報告に行きたかったがコーリンとの話し合いを優先して赤髪亭に戻る。
するとすでに先に帰宅していたコーリンが部屋にやってきて俺は椅子、彼女はベッドに腰掛けてしばし無言。
昨日のキノコはまだ部屋の中の籠に入れたまま、しかし昨日のような甘い匂いがなくなっている。
互いに見つめるわけではなく、いやコーリンをこちらを見てるが俺は彼女の視線を避けている。
そんな沈黙がしばらく続いたが絶えかねて会話の口火を切る。
「あ~~、昨日のコーリンがああなった原因ってたぶん俺が持ち込んだキノコ、薬草のせいだろう?
今日のコーリンが異常がないってことはこのキノコから出ていた匂いのだったのか?もうこれからは匂いが出てないからな。」
コーリンは何も言わないので続けて説明して畳みかけることにする。
「責任逃れをするわけじゃないが俺はあの匂いがコーリンに対してあんな作用を持つとは思わなくて持ち込んだんだ。
その、コーリンのあんな姿を見てしまったのも事故と考えればいいんじゃないのか?
他人に見られて恥ずかしいのは分かるけど別に結婚までする必要はないんじゃないのか?」
そこまでいうとコーリンも口を開いた。ちなみに今日は普通の格好で目のやり場に困る服装ではない。
「何か勘違いされているようですね。
確かに『とても恥ずかしい』ところを見られてしまいましたが問題はそこではありません。異性と二人で同衾したというのが問題なのです。」
「ちょっと待て!俺は机で寝てただろ。コーリンはベッドにいたんだから一夜を同室で過ごしたが同衾はしてないぞ!」
「そうですね。同じ布団では寝ていません。けれども私の一族のしきたりでは同じことです。
私達の一族ではこの年齢同士で同室で一夜を過ごしたら何も無かったと看做されません。混血ではあっても獣人族の風習を残すために同種族の混血が集まって暮す私の住む地域では相手を認めたことになります。
男は力で、女は速さと柔軟さで戦う力を持つ私達の一族では嫌なら抵抗して戦えばいいとされています。
つまり理由の如何に関わらず同室で一夜を過ごしたのなら例え性的関係がなかったとしても、抵抗する力を持ちながら受け入れたと看做されるのです。
どうしても相手が嫌なら相手を殺すか、自分の命を絶てばいいのですから。
ということで良人になっていただきます。」
「いやいやいや、黙ってれば分からんでしょうが?」
「確かに。
一夜を同室で過ごしたことを知る貴方を殺せば他人には分かりませんね。
ではどちらがいいですか?
私と結婚するのと私に殺されることと。」
彼女の濃い青色の虹彩が鋭い眼光を帯びる。
「どっちも遠慮していつも通りの日常に戻るってのは?」
「そのような選択肢はありません。」
じゃあ、そう考えるように仕向けていかないと
「え~~っと、俺としては死にたくない。
だから方向としてはコーリンと結婚するということになるが、そもそもコーリンは俺のことが好きでもなんでもないんだろ?なのに結婚なんてしていいのか?」
「そうですね。私は貴方のことが嫌いです。
私達獣人族はヒトとの混血によってその寿命はヒトと同等になりました。しかし純血の獣人族はヒトより短い一生です。
ヒトの寿命という比較する対象があるからこそなのでしょうが無駄に過ごすことを良しとしません。
その考えから学校を卒業したあとの自由研修期間に仕事に就く為の研修をせず、食い繋ぐための外壁修理を仕事にしている貴方はとても尊敬できる男性ではありません。バチカーの肉を頂いたのは嬉しかったですけれどね。
人殺しになるよりは貴方をまともな良人となるように矯正していく方がましです。
なので問題ありません。」
「そこに好意や愛情は要らないのか?」
「一時に生まれた激しい好意や愛情はいずれ薄まっていきます。うまく「別の形」に変わらないなら破綻することもあるでしょう。
ですが共に暮らすことで生じた親愛や情愛は激しいものではありませんが長く続くと思っています。
つまり後から付いてくるものです。」
分かったような分からないような……
「あっそうだ!
普通はこういった男女の関係は恋愛をしていれば普通にするものじゃないか?
結婚相手を決めるまでには付き合ったり分かれたりするものなのにいきなり結婚ってのは飛躍してるんじゃ?」
「普通は結婚が決まるまでは数人の恋愛を通して男女の付き合いをこなすものなのでしょうね。
私の一族でもそれは同じですが恋愛中でも一線は越えません。そうなったらその相手と結婚するしかありません。
そして別の男性と関係を持つなど夫と死別するしかありえません。」
なんでこの年輪都市でそんなガチガチの貞操観念の一族が存在してんだよ。
その後の反論も結局 コーリンの心変わりさせることは出来なかった。
どうしよう。
コウサ 薬草店の主人




