あの日の炒飯。
大阪美食大附属との対抗戦の代表メンバー発表の直後から、学園全体が異様な熱気に包まれていた。とりわけ代表メンバーのいるクラスは大いに盛り上がっている。2-Cも、もちろん大騒ぎになっていた。
「頼むぞお前ら。」
「絶対勝ってね!」
「応援してる!」
クラスメイトたちが次々に激励の言葉をかける。
「俺たちもクラス全員でやれるだけサポートするよ。」
「今日から特訓だね!」
英人と岩井の言葉もあり、クラスのみんなで航平と玲司をサポートする、特訓の日々が始まった。
とはいえ、対抗戦でどんな料理が課題になるのかは、まだ明らかになっていない。
出題される料理がわからない以上、特定のメニューだけを練習するわけにもいかない。
そこで、まずは二人の基礎的な調理技術をさらに磨くことにした。加えて、様々な中華料理店を訪れて料理を味わい、味付けや調理法について意見を交わす。実習室では、麻婆豆腐や青椒肉絲、回鍋肉など、代表的な中華料理をいくつも作り、互いの技術を確認していった。
もちろん、ただ二人だけで練習するわけではない。
サポートのクラスメイトたちからも、時には厳しい意見が飛び交い、時には料理を囲んで盛り上がる。賑やかな特訓は、連日続いていった。
特訓を始めて数日が経ったある日のこと。
「おーい!順調かー?」
実習室の扉が開き、弦之介がひょっこりと顔を出し、航平がそれに気付いて声をかける。
「おう、宍戸。どうしたんだ?」
「いや、ちょっと様子を見にな。お前らがどれくらい仕上がってきてるのか、気になるだろ?」
「そんなこと言って、タダ飯食いに来ただけだろ?」
「うるせえ!俺の舌が助けになると思って来てやったんだぞ!」
弦之介は堂々と言い切ると、実習台に並べられた料理へと目を向けた。
「おっ、回鍋肉じゃねえか。ちょうどいい。食わせてみろよ」
「何がちょうどいいんだよ……。」
航平のツッコミを聞き流し、弦之介はまず玲司の回鍋肉を口に運んだ。
豚肉とキャベツに、味噌の香ばしさが絡み合う。強すぎず、弱すぎず、素材の持ち味を引き出した味付け。火の通りも均一で、肉の旨味を逃していない。
「……うん。流石だな、斎浦。やっぱり、お前はすげえよ。めちゃくちゃうまい。」
「当然だ。」
「相変わらず自信満々だな、お前は……。」
弦之介は苦笑しながら、次に航平の回鍋肉へと箸を伸ばした。そして、一口。
「…………。」
先ほどまで軽口を叩いていた弦之介の表情が、わずかに変わった。
もう一口。
今度は、肉とキャベツを一緒に口へ運ぶ。
「……やっぱり……。」
弦之介は料理を見つめ、もう一度味を確かめるように箸を動かす。
「おい、清永…。前からちょっと気になってたんだがな…。泰龍軒で食うお前の料理と、学校で食うお前の料理。どっちもうまいんだけどよ……泰龍軒で食う方がうまくねぇか?」
その言葉に、航平は黙り込んだ。
「……そういえば。」
口を開いたのは瑠衣だった。
「私も、なんとなく気づいてたかも。清永くん、泰龍軒で作るときのほうが、いつもより料理がまとまってる感じがするんだよね。」
航平は自分の回鍋肉を見つめた。
同じ材料を使い、同じ料理を作っている。もちろん、その日の食材や調味料の状態によって多少の差は生まれる。それでも、如何に弦之介の舌がすごいとは言え、二人が気がつくほどの違いがあるというのか。
「どういうことだ?」
玲司が口を挟んだ。
「わかんねぇ……。」
弦之介は困ったように頭をかいた。
「でも、俺は清永の料理を何度も食ってる。だから間違いねえと思う。」
玲司は航平へ視線を向けた。
「清永。お前自身はどう思う?」
「…………」
航平はすぐには答えなかった。しばらく考え込んで、やがて顔を上げた。
「……斎浦。お前、最初に俺と勝負をしたときの炒飯の味、覚えてるか?」
「……何?」
突然の問いに、玲司は怪訝な表情を浮かべる。
「当たり前だ。」
玲司は即座に答えた。忘れるはずがない。
あの日、自分は初めて、同世代の高校生に、明確に負けた。落ちこぼれだと思っていた、目の前の男に。その悔しさも、相手の料理に感じた衝撃も、今なお鮮明に覚えている。
「……そうか。」
航平は小さく頷いた。
「じゃあ、明日、もう一度、あれを作る。」
「……あれを?」
「ああ。ここで作るから、食ってみてくれ。そしたら、わかると思う。」
航平の表情は真剣だった。
玲司はその顔をじっと見つめたあと、静かに頷いた。
「……いいだろう。」
翌日、実習室には、炒飯を作るための材料が用意されていた。
卵、米、チャーシュー、ネギ。調味料も、あの日と同じものを揃えている。
「本当に、あのときと同じ炒飯を作るんだね。」
瑠衣が見守る中、航平は頷いた。
「ああ。ここで、全く同じように作る。」
航平はそう言って、あの日と同じように炒飯を作り始めた。材料も、手順も同じ。
やがて炒飯が完成する。
航平は皿に盛りつけると、それを玲司の前へ差し出した。
「……食ってみてくれ。」
玲司は無言でレンゲを手に取った。
まずは一口。
さらに二口目。
そしてーーー。
「……っ!」
玲司の目が、大きく見開かれた。
「どう? 斎浦くん……?」
瑠衣が恐る恐る尋ねる。
しかし、玲司は答えなかった。レンゲを持ったまま、炒飯を見つめている。
あの日の味を覚えている。
あの日、自分を打ち負かした炒飯の味。何度も記憶の中で反芻してきた、忘れようのない味だ。
今、目の前にある炒飯も、確かにうまい。だが、何かが引っかかる。
「違う……?」
玲司は小さく呟いた。だが、すぐに首を横に振る。
「……いや。同じだ。だが……。」
もう一口、口に運ぶ。
舌の上に広がる味を確かめるように、ゆっくりと咀嚼する。
「同じ……はずだ……。」
それなのに、あの日の炒飯と、今の炒飯。たしかに何かが違う。
その違いが何なのか、玲司にはまだわからなかった。




