出発!修学旅行!食い倒れの街での出会い
具留米祭が終わり、東京具留米学園には、いつもの日常が戻ってきた。
文化祭の優勝を喜ぶ者。悔しさを胸に、次の目標を見据える者。それぞれが新たな気持ちで授業に臨んでいた。
とはいえ、二年生たちには、いつまでも余韻に浸っている暇はなかった。
「いよいよ、修学旅行だ。」
担任の渡邊の声に、教室が一気にざわつく。
修学旅行。行き先は京都、そして大阪。
初日と二日目は京都を観光し、二日目の夜には大阪へ移動。三日目には、大阪にあるもう一つの調理科高校、大阪美食大附属との合同調理実習が予定されていた。
「京都かぁ。楽しみだね!」
瑠衣が弾んだ声を上げる。
「今さら関西ってのもなぁ。もっと遠くに行きたかったわ。海外とか。」
大群が机に突っ伏す。
「うちの修学旅行が毎年京都・大阪なのは入学前からわかってただろ?」
英人が呆れたように突っ込んだ。
そんなやり取りを横目に、航平は配られた旅行のしおりを眺めていた。
京都。大阪。
テレビや本では見たことがある。だが、実際に訪れたことはない。
島で生まれ育った航平にとって、内地に出てくること自体が、これまでの人生の一大イベントで、ようやく住み慣れてきた東京は憧れの大都会。関西ともなれば、景色も、聞こえてくる言葉も、食べられる料理も違うはずだ。
「……ちょっと楽しみかも。」
ぽつりと呟いた航平に、瑠衣が顔を向ける。
「いっぱい観光しようね!」
「おう。」
航平は、少しだけ笑った。
いよいよ、二年生たちの修学旅行が始まる。
修学旅行初日の朝。生徒たちは早朝に集合し、新幹線で京都へ向かう。航平にとっては、新幹線も人生初だ。
京都では、寺社仏閣を巡り、古い町並みを歩き、仲間たちと土産物屋を冷やかした。
料理を学ぶ生徒たちにとっては、食べ歩きも立派な勉強だ。
「八つ橋うめぇ!!」
「宍戸…お前さっきから食ってばっかりだな。」
「いいだろ!旅行なんだからよ!」
弦之介と英人が言い合う横で、航平は店先に並ぶ料理や菓子を興味深そうに眺めていた。
普段の生活ではなかなか出会えない味や食感。土地の歴史とともに受け継がれてきた料理。
それらに触れるたび、航平の中で、料理そのものに対する興味が少しずつ広がっていく。
そして二日目の夕方。
一行は京都を離れ、大阪へと向かった。
電車を降りると、街の賑わいが一気に押し寄せてくる。
「うわ、人多っ!」
「東京とはまた違う感じだな……。」
「エスカレーター、まじで右側に立ってるな……。」
駅の周囲には飲食店が立ち並び、あちこちから食欲を刺激する匂いが漂っていた。
その中でも、航平の目を引いたのは、道端に設けられたたこ焼きの屋台だった。鉄板の上で、丸い生地が次々とひっくり返されていく。香ばしい匂いが風に乗り、ソースの甘辛い香りが鼻をくすぐった。
「なぁ。たこ焼き、食おうぜ。」
航平が言うと、瑠衣がすぐに頷いた。
「賛成!大阪といえば、やっぱりたこ焼きだよね!」
「俺も食う!」
弦之介も胸を張る。英人と聖羅も加わり、五人は屋台へと向かった。
「いらっしゃい!ご注文は?」
「たこ焼き5つください!」
瑠衣が注文すると、店主は慣れた手つきでたこ焼きを容器に詰め、ソースと青のりをかけて差し出した。五人は屋台の目の前のスペースに移動し、それぞれ爪楊枝を手に取る。
「いただきまーす!」
瑠衣が一つ口に運ぶ。
――そして。
「…………。」
笑顔が引き攣る。
「……ん?」
航平も一つ食べてみる。
生地は妙に水っぽく、出汁の風味も弱い。表面は焼けているのに、中は半端にべたついていた。ソースの味ばかりが強く、タコの風味もほとんど感じられない。
「……うーん。」
英人も微妙な顔をする。
聖羅は何も言わず、たこ焼きを見つめていた。
そして――。
「……まずっ。」
弦之介が、思わず口に出した。その声は、屋台まで届いていた。
「……あ?」
店主が顔を上げる。
「今、なんて言うた?」
「なんてって…悪いけど、まずいもんはまずいんだから仕方ないだろ。」
「おい、兄ちゃん。誰に向かって口きいとんねん!」
店主が声を荒らげる。
「文句あるんやったら、最初から買わんかったらええやないか!」
「食うまでわかんねぇだろ!それに感想はこっちの自由だろ!」
「ちょ、ちょっと宍戸くん!」
瑠衣が慌てて止めようとする。
このままでは面倒なことになる。
航平は、みんなの手元に残っているたこ焼きに目を落とした。
そして、それらをまとめて自分の容器に移すと――。
「……おい、航平?」
ガッ、ガッ、ガッ。
英人の声を無視して、航平は残っていた全員分のたこ焼きを次々と口に放り込んだ。
「んぐっ……!」
口いっぱいになったたこ焼きを、どうにか飲み込む。
「……よし。行こうぜ」
「よしちゃうやろ!」
店主がますます声を荒げる。
だが、航平は構わず仲間たちを促した。
「いいから。行こう。」
これ以上、揉め事を大きくしたくなかった。しかし、店主は納得していなかった。
「待たんかい!人の店で好き放題言うて、謝りもせんと帰る気か!」
店主が航平たちに詰め寄る。
そのときだった。
すっと、大きな影が航平たちの前に立った。五人の視界を遮るほどの大柄な高校生だった。大柄の制服姿の少年は、店主を静かに見下ろしている。
「な、なんや兄ちゃん!」
店主の声が、わずかに上ずった。
「兄ちゃんには関係ないやろ!引っ込んどきや!」
少年は何も言わなかった。ただ、そこから一歩も動かない。その静かな迫力に、店主は思わず言葉を詰まらせた。
「……っ!なんやねん!」
なおも食ってかかろうとした、そのとき。
「善、何の騒ぎや?」
明るい声が響いた。屋台の横から、もう一人の高校生が姿を現す。すらりとした体格に、どこか人懐っこい笑み。騒ぎの中心にいる大柄な少年を見て、それから航平たちと店主を見比べた。
彼は善と呼ばれた少年の手元に目をやる。
そこには、食べかけのたこ焼きが残っていた。
「たこ焼き…?なんや善、それ、ちょっと貸してみ。」
善は黙って容器を差し出した。
少年はたこ焼きを一つ、爪楊枝で持ち上げる。
「どれどれ……。」
ぱくり。
数回噛んだところで、眉がぴくりと動いた。
「……あー。こらアカンわ。」
「なんやて!?」
店主が声を上げる。しかし少年は気にせず、たこ焼きを半分に割って中を確認した。
「まず、生地の出汁が弱い。タコも小さすぎるし、風味も全然生きてへん。それに、外側だけ焼けて中はベトベト。火加減の問題か、生地の配合か……どっちにしても、これを客に出すんはいただけないわ。」
「なんやねんさっきから!素人が偉そうに!」
「素人ちゃうわ。俺と善は大阪美食大附属やで?」
少年は、あっさりと言い返した。
「お客さんはうまいもん食いたくて金を払う。それなら、店はうまいもん出す責任がある。ソースかけたら何でもええわけちゃうで。」
店主は口を開きかけたが、反論の言葉が出てこなかった。
「……くそっ。」
舌打ちを一つ残し、店主は屋台の奥へと引っ込んでしまった。
「……助かったよ。ありがとう。」
航平が礼を言う。
隣では瑠衣たちも、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「ええって。気にすんな。」
少年は笑って手を振った。
「俺、ああいういい加減な商売する奴、気に入らんねん。」
その言葉に、航平は少しだけ目を見開いた。
料理を学ぶ者として、目の前の客を大切にしたいという気持ち。それは、航平自身も大事にしようとしていることだった。
「……大阪美食大附属なのか?」
航平が尋ねると、少年は面白そうに笑った。
「あぁ。俺は楠木豊。」
そして、善の肩を軽く叩く。
「こっちは神前善。俺ら二人とも、大阪美食大附属の二年生や。あんたら、東京具留米学園やろ?制服ですぐわかったわ。」
「大阪美食大附属……!」
聖羅が反応する。
翌日の合同調理実習で顔を合わせる予定の学校だ。
「俺らと同じ二年ってことは…明日の実習で一緒になるのか!」
英人が言うと、豊はにやりと笑った。
「そういうことやな。」
そのとき。
「……楠木。」
聞き慣れた声がした。豊が振り返ると、そこには少し呆れた表情の玲司が立っていた。
「おおっ、玲司。」
豊の顔がぱっと明るくなる。
「久しぶりやなあ!元気しとったか?」
そう言うなり、豊は玲司の肩に腕を回した。
「……相変わらず馴れ馴れしいな、お前は。」
「なんやねん、冷たいなあ!今、お前んとこの皆さんと交流しとったとこやっちゅーのに!」
玲司は露骨に嫌そうな顔をしたが、豊はまるで気にしていない。
航平は目を丸くした。
「知り合いなのか?」
航平が尋ねると、玲司は短く答えた。
「……まぁな。」
「それだけかいな!もうちょいなんかあるやろ!」
豊が大げさに肩を落とす。
「東の斎浦、西の楠木。そんなふうに呼ばれることもあるんやで。」
豊は冗談めかして言ったが、その口調には確かな自信が滲んでいた。
航平は改めて豊を見る。
この男が、玲司と並び称される天才料理人――。
そして、その隣にいる善。
大柄で、寡黙で、ほとんど言葉を発しない少年。
それなのに、豊は善を当たり前のように隣に置き、まるで自分と同じか、それ以上の実力を持つ料理人であるかのように接している。
「……善は?」
航平は、思わず尋ねていた。
「ん?」
「善も料理がすごいのか?」
一瞬、豊の表情が変わった。
そして、口元に笑みが浮かぶ。
「……ああ。」
豊は善の方を見た。
善は相変わらず、黙って立っている。
「こいつはな――」
豊は、楽しそうに続けた。
「中華の怪物や。」
「……怪物?」
航平の目が、わずかに見開かれた。
「まあ、今はまだ無名やけどな。」
豊は笑った。
「まぁ、明日になればわかるわ。きっと、おもろいもんが見られるで。」
善は何も言わなかった。ただ、航平と一瞬だけ目が合う。
その瞳は、静かだった。
けれど、航平はなぜか目を離せないものを感じた。
東京での文化祭を終えたばかりの自分たちの前に、まだ知らない料理人が現れた。
東の斎浦、西の楠木。
そして、楠木豊が認める、中華の怪物――神前善。
明日、彼らと同じ厨房に立つ。そのことが、航平の胸を静かに熱くしていた。




