王者と挑戦者。
具留米祭が始まってから数時間。校内の熱気は、早くも最高潮に近づきつつあった。廊下には料理を手にした生徒たちが行き交い、あちこちから「おいしい」「もう一個食べたい」といった声が聞こえてくる。
2-Cも開幕から順調な滑り出しを見せていた。トンポーローのクワパオサンドは予想以上の人気で、列が途切れることはない。そんな中――。
「そろそろ休憩行ってこいよ。」
英人にそう言われて、玲司が時計を確認する。
「もうこんな時間か。……そうだな。3-Bの様子でも見てくるか。」
玲司がそう言うと、大群がすぐに反応した。
「俺も行く!」
「……勝手にしろ。」
二人は連れ立って教室を出た。去年の優勝クラス。今年も優勝候補として注目されている3-Bが、どんな料理を出しているのか。玲司にとって、それを自分の目で確かめることは、単なる文化祭見学ではなかった。
料理人として、そして航平のライバルとして。今年の王者がどんな料理を武器にしているのか、知っておきたかった。
廊下を歩いていると――。
「あーっ!斎浦センパイ!」
背後から声が飛んできた。振り返ると、直緒がこちらへ駆けてくる。
「休憩ですか?どこ行くんですかー!?」
「……。」
玲司は直緒を無視するが、代わりに大群が答える。
「俺たちこれから3-Bに行くんだ。」
「そうなんですか!じゃあ私も行きます!3-Bって去年優勝したクラスの料理、気になるし!斎浦センパイと一緒に文化祭回りたいし!」
玲司が断るより早く、直緒は二人の隣に並んだ。
「いいじゃんいいじゃん!行こ行こ!」
女子の同行に大群は嬉しそうだ。三人はそのまま、3-Bへ向かった。
やがて廊下の先に、ひときわ長い列が見えてきた。
「……ここだな。」
玲司が足を止める。
3年B組。
去年、具留米祭を制したクラス。そして今年は、学校史上初となる連覇を狙っている。教室の前には、すでにかなりの人数が並んでいた。その列の横には、料理の写真とメニューが掲げられている。直緒が身を乗り出した。
「何売ってるんだろ?」
玲司がメニューを見る。
そこには――。
『2種のマグロのレアカツサンド』
**ソース&煎り酒マヨのバンズサンド。**
**いぶりがっこタルタルのライスバーガー。**
「マグロのレアカツサンド!」
直緒が声を上げた。
「しかも2種類!パンとライスバーガーにしてるんだ!」
大群も興味津々でメニューを眺めている。玲司は、しばらく何も言わなかった。
「……和馬先輩らしいな。」
「どういうこと?」
「客に選択肢を与えているんだ。」
玲司はメニューを見つめたまま続けた。
「パンが好きな人もいれば、米が好きな人もいる。二つの選択肢を用意して、同じ料理でも違う楽しみ方ができるようにしている。それに、リピーターも生みやすい。」
去年の3-Bが出したのは手巻き寿司だった。味だけではなく、価格、見た目、食べやすさ、売り方。文化祭という場所で「売れる料理」を徹底的に考えた結果、優勝を勝ち取った。今年も、その考え方は変わっていない。
「さすがチャンピオンってことですか……!」
直緒が感心している間にも、列は少しずつ進んでいく。やがて三人の番が来た。
「お待たせしました!」
二種類のレアカツサンドが、それぞれ手渡される。バンズサンドは、香ばしく焼かれたパンの間に、分厚いマグロのレアカツが挟まれている。衣の隙間から覗く鮮やかな赤身。その上には、ソースと煎り酒マヨ。
一方のライスバーガーは、香ばしく焼かれた米の間に同じくレアカツ。そして、いぶりがっこの香りをまとったタルタルソースが添えられている。
「うわぁ……。」
大群が思わず声を漏らした。
「いただきます!」
まずはバンズサンド。大群がかぶりつく。
サクッ。
トーストされた香ばしいバンズと衣が軽快な音を立てる。サクサク感。そして、アゴ出汁を煮詰めた「濃厚特製ソース」のコクがガツンと脳を刺激する。衣を突き破ると、中は完璧なレアのマグロ。肉の脂とは違い、魚の良質な脂が口の中の体温でとろっと溶け出す。そして、煎り酒マヨ。奥から、煎り酒の梅の洗練された酸味と華やかな日本酒の香りがシュワッと弾け、これがマグロの脂っぽさとソースの重さを一瞬で洗い流し、口の中を上品な割烹の味へと変貌させる。
「…………!」
大群の目が見開かれた。
「うっま……!」
直緒も一口食べる。
「なにこれ!めちゃくちゃおいしい!」
二人は顔を見合わせた。
「さすが去年の優勝クラスだな……。」
「うん!これはすごいです!おいしすぎる!」
続いてライスバーガー。
米の香ばしさとマグロのレアカツ。そこへ、いぶりがっこの独特な香りと食感を残したタルタルが加わる。
「こっちは和っぽい!」
大群が驚く。
「マグロと米だから当然なんだけど……このタルタルがすげぇ!」
直緒も頷く。
「いぶりがっこって、こんなに合うんだ!」
二種類の料理を食べ終えた二人は、すっかり満足した様子だった。
しかし、玲司は違った。もちろん、美味い。文句のつけようがない。マグロの処理も完璧。レアに仕上げる火入れも正確だ。衣も重すぎず、ソースとのバランスもいい。そして何より、パンと米という二つの選択肢を用意している。文化祭という舞台を理解した料理だった。
だが。
「……。」
玲司は、もう一度料理を見つめる。頭の中では、別の料理と比較していた。
トンポーローのクワパオサンド。
自分たち2-Cが、今日まで試行錯誤して作り上げてきた料理。
「……持って帰ろう。」
玲司が突然言った。
「え?」
直緒が目を丸くする。
「2-Cのみんなにも食べてもらおう。」
「いいじゃん!」
大群も頷いた。
「そうすれば、みんなで比べられるもんな!」
三人はレアカツサンドをいくつか購入すると、2-Cへ戻った。
「おかえりー!」
教室に戻ると、そこには弦之介の姿もあった。
「……お前、いつからいるんだ…?」
玲司が呆れたように言う。
「まぁ、ちょっと前からな!」
弦之介はそう言いながら、ちゃっかりクワパオサンドを食べている。
「……まぁいい。」
玲司は買ってきた袋をテーブルの上に置いた。
「3-Bの料理だ。」
「おお!」
「マグロのレアカツサンド?」
「二種類あるじゃん!」
クラスメイトたちが集まってくる。航平も一つ手に取った。英人も隣でライスバーガーに手を伸ばす。
そして――。
「いただきます。」
航平は黙って咀嚼した。
マグロの旨味。サクサクの衣。ソースの濃厚さ。煎り酒マヨの酸味。
どれも隙がない。
「……うまい。」
航平が素直に呟く。英人も頷く。
「めちゃくちゃうまいな。」
教室のあちこちからも感嘆の声が上がった。
「さすが3-Bだな。」
「去年の優勝クラスだもんなぁ。」
「普通にめちゃくちゃうまい。」
誰もが、その料理の完成度を認めていた。
しかし――。
航平は、ふと自分たちのクワパオサンドへ視線を向ける。そして、もう一度マグロのレアカツサンドを見る。
「……でも、俺たちのクワパオサンドも、全然負けてない。」
航平のその言葉に、英人も頷いた。
「俺もそう思う。」
味の方向性は違う。料理としての個性も違う。けれど、どちらも文化祭で食べてもらうために、何度も試作を重ねて完成させた料理だ。玲司も静かに口を開く。
「……ああ。俺も同じ意見だ。」
玲司は、マグロのレアカツサンドを見つめた。
「3-Bは強い。だが――」
その言葉を遮るように、弦之介が口を開いた。
「互角だ。」
全員の視線が集まる。弦之介は二つの料理を交互に食べながら、真剣な顔をしていた。
「こっちは確かにうまい。けど、俺はクワパオも同じくらいうまいと思う。」
そして、ニヤッと笑う。
「つまり――勝負はまだ分からないってことだ。」
英人がそう言うと、教室の空気が変わった。
さっきまで「さすが王者だ」と感心していたクラスメイトたちの表情が、少しずつ変わっていく。去年は四位だった。だが今年は違う。自分たちだって、ここまで準備してきた。料理を作るだけではない。食べる人のことを考え、食べやすさを考え、提供方法まで考えた。そして今、王者の味を知った。
「……いけるよ。」
航平が笑う。
「うん。」
英人も頷いた。
その一言に、クラスのあちこちから声が上がった。
「おう!」
「絶対勝とう!」
そして玲司は、静かに前を向く。
2-Cは、ディフェンディングチャンピオンの味を知った。
そして同時に、自分たちの料理もまた、王者と肩を並べられる。
そんな確かな手応えを、全員が感じ始めていた。
王者を追う者。
王座を守る者。
その差は、まだ分からない。
勝負の行方は、まだ誰にもわからない。




