うまいだけじゃもの足りない!
藤咲家の別荘での二日目。朝から広がる青空の下、別荘の広い庭には、大きなバーベキューコンロが用意されていた。
潮の香りを含んだ風が、庭を通り抜けていく。
照りつける太陽。海から聞こえる波の音。そして、これから始まるBBQへの期待。
前日は海で遊び、遅くまで騒いでいたにもかかわらず、料理を担当する五人の顔には、不思議と眠気はなかった。
赤い封筒で招待されたBBQ料理担当たち。
清永航平。
斎浦玲司。
浅野虎太郎。
三好辰樹。
片倉月也。
この五名もそのメンバーに名を連ねている。
「よし……!」
虎太郎が腕まくりをする。
「よし!俺が一番うまいもの作ってやる!」
そんな虎太郎を見て、斗麿は辰樹に声をかける。
「本当によかったのか?君たち二人はコンビでもよかったんだぞ?」
「……いいんです。僕も料理人の端くれですから!」
二人のやり取りを聞いて、瑠衣が笑う。
「虎太郎くんも辰樹くんも、張り切ってるね。」
瑠衣と目が合うと、辰樹は慌てて視線を戻した。
今日は、料理の腕を見てもらいたい。そして、できれば、少しくらい自分のことも見てもらいたい。
そんな思いが、いつも以上に辰樹の背筋を伸ばしていた。
一方、月也はすでに調理台の前に立ち、食材を眺めていた。
「ふふ……。」
その表情には、いつものクールを気取った笑みが浮かんでいる。
「こういう場所でこそ、僕の実力を見せる時だ。」
「何作るの?」
直緒が尋ねる。
「決まってるだろ。」
月也は胸を張った。
「イタリアンだよ。」
その答えとともに取り出したのは、魚介と野菜。
「アクアパッツァさ。」
「おおー!」
直緒が目を輝かせる。
「なんかオシャレ!」
「当然だろ。海辺で作る料理としても相性がいい。最高にクールだ。」
月也はキメ顔で得意げに笑った。
少し離れた場所では、玲司が黙々と食材を確認していた。
鶏肉。きゅうり。長ネギ。そして、いくつかの調味料。
「……。」
玲司は包丁を手に取る。その横顔には、いつもの鋭さがあった。
去年の自分とは違う。
和馬のもとで学んだ包丁技術。そして、素材を美しく仕立てるという日本料理の考え方。引き算の美学。
それらは確実に、今の玲司の中に積み重なっている。
(清永……。)
玲司が航平を見つめる。
(……お前は何を作る?)
その目には明らかな闘志が宿っていた。
「よし!俺はこれだ!」
最初に調理を始めたのは虎太郎だった。取り出したのは、ラム肉。
「ラム?」
航平が振り返る。虎太郎は得意げに笑った。
「BBQといえば肉だろ!」
ラム肉にスパイスをまぶし、串に刺していく。そして炭火の上へ。
ジュウッ――。
肉から脂が落ち、炭火が勢いよく燃え上がる。
「おお!」
周囲から歓声が上がった。香ばしい香りが、あっという間に庭いっぱいに広がっていく。
スパイスの香り。炭の香り。焼ける肉の香り。
虎太郎は火を見ながら、真剣な表情を浮かべていた。
「……いい感じだ!」
そして、焼き上がった串を皿へ。
「できた!」
その料理を見た瞬間。参加者一同がほぼ同時に目を見開いた。とりわけ、昨年も参加していたメンバーたちは驚きを隠せない。
「……これ。」
「……ラム肉のスパイス串焼き?」
虎太郎が首を傾げる。
「なんだよ?」
「いや……。」
航平は玲司を見る。玲司も航平を見る。
二人の脳裏に、一年前の光景が浮かんでいた。
去年のこの場所で、玲司が作った料理。
ラム肉のスパイス串焼き。
だが――。
「……知らなかったのか?」
玲司が尋ねる。
「何が?」
「去年、俺が作ったものと同じだ」
「え!?」
虎太郎が目を丸くする。
「マジか!?」
「あぁ、本当だよ。」
航平が笑う。
「去年の玲司の料理だ。」
「そんなことあんのかよ…。」
玲司は少し驚いたように虎太郎を見る。虎太郎は一瞬だけ固まった。だが、すぐに笑った。
「まぁ、じゃあ俺、斎浦先輩と同じ料理を選んだってことか!」
虎太郎は自信満々に胸を張った。
「去年の斎浦先輩のとどっちがうまいか!食ってみろよ!」
航平が一口食べる。
「……うん。」
肉の旨味。スパイスの香り。炭火の香ばしさ。
「うまい。」
「だろ!?」
「ちゃんとうまいよ。」
航平は素直に頷いた。
「でも――」
一瞬だけ考える。
「去年の玲司の方が、肉の火入れが絶妙だったな。肉の大きさも均一で、綺麗に整えられてた。」
「くっ……!」
虎太郎が悔しそうに顔を歪める。玲司は何も言わなかった。だが、虎太郎の料理を見つめる目には、確かな評価があった。
自分が一年前に作った料理と同じものを、この一年生は何も知らずに選んだ。そして、ここまで仕上げてきた。
「……悪くない。」
「なんだと?」
「十分、うまい。」
玲司の言葉に、虎太郎はニッと笑った。
「次は負けねぇ!」
「僕も、できました」
次に料理を完成させたのは辰樹だった。ホイルに包まれた料理を、炭火から慎重に取り出す。
「これは?」
瑠衣が尋ねる。
「エビのチリソースです」
「エビチリ?」
「はい。どうぞ……。」
辰樹がホイルを開く。ふわっと湯気が立ち上った。エビとチリソース。そして、その香り。
航平が思わず目を見開いた。そして、やはり昨年参加していたメンバーたちも。
「これ……」
航平は辰樹を見る。
「俺が去年作ったやつと同じだ。」
「え!?」
今度は辰樹が驚いた。
「そうなんですか!?」
瑠衣も目を丸くする。
「去年、清永くんが作ってた料理と同じだよ。」
「……知らなかったです。」
辰樹は困ったように笑った。
「僕はただ、エビを美味しく焼く方法を考えていて……。」
「偶然か。」
玲司が呟く。
「はい……。」
辰樹は少し恥ずかしそうに頷いた。
航平は自分が去年作った料理を思い出しながら、一口食べた。
「うん……うまい!」
辰樹の表情が明るくなる。
「本当ですか!?」
「ああ。エビの火入れも丁寧だし、チリソースもちゃんと合ってる」
「よかった……!」
辰樹が胸を撫で下ろす。
「確かにうまい。」
しかし、玲司は少しだけ考えて口を開いた。
「清永が去年作ったものより、ソースとの一体感が少し弱いか。」
「……!」
辰樹の顔が引き締まる。
「そうですか……。」
「でも本当うまいよ!むしろ一年生でここまで作れるならすげぇよ!」
「……ありがとうございます!」
辰樹は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、次は僕の番だね。」
月也が調理台に立った。
「月也!変なもの作ったら承知しないわよ!」
里愛が月也に発破をかける。
「まぁ見ててくださいよ。」
魚介を焼き、トマトやオリーブ、香草を加えていく。白ワインの香りが立ち上がる。
「おお……!」
聖羅が目を輝かせる。
「すごくいい香り!」
「でしょ?」
月也は満足そうに笑った。
「こういう料理なら、海辺の別荘にもぴったりだと思って。」
完成したアクアパッツァは、見た目にも鮮やかだった。
「いただきます!」
瑠衣が一口食べる。
「おいしい!」
「本当ですか!?」
「うん! すごく美味しいよ!」
月也の顔が一気に明るくなる。
「……ふっ。」
だが、すぐにクールな表情へ戻した。
「まあ、当然ですけどね。」
「嬉しそうじゃん。」
直緒が笑う。
「うるさいな!」
そして、玲司の前には鶏肉が用意されていた。
「俺は、北京ダック風BBQチキンだ。」
「北京ダック?」
航平が振り返る。玲司は鶏肉を焼きながら、野菜を切っていく。長ネギ、きゅうり。それぞれの食材を美しく均一に。
「……相変わらずすげぇな。」
航平が呟く。玲司は答えない。包丁を動かすその手つきには、以前とは違う、より一層の美しさがあった。
和馬のもとで身につけた技術。素材を整え、揃え、料理の中に美を作る。その技術が、今の玲司の料理にも確かに生きている。
そして、鶏肉を炭火へ。皮をじっくり焼き、余分な脂を落としていく。玲司は火から目を離さなかった。やがて鶏肉を切り分け、野菜とともに盛り付ける。
皮は香ばしく、中はしっとり。細く切られたネギときゅうりが、美しく添えられている。それをカオヤーピンに巻いて食べる。
「いただきます。」
斗麿が一口食べる。
「……うん!」
里愛も続く。
「美味しい…。」
玲司は黙って皆の反応を見る。
「包丁がさらに上手くなったな。」
斗麿が言った。そして玲司の耳元まで近づいて囁く。
「和馬か?」
玲司は驚き、そして小さく頷いた。
玲司の確かな成長。それは、誰の目にも明らかだった。
最後に、航平が調理台の前に立った。
「……よし。」
取り出したのは、イカ。そして包丁。航平はイカの身に、細かく、丁寧に包丁を入れていく。
一本。また一本。均一な間隔で、斜めに。
「何作るの?」
瑠衣が尋ねる。
「菊花イカ。」
「菊花イカ?」
「あぁ。」
航平は答えながら、包丁を動かし続ける。
そして、炭火へ。
ジュウッ。
イカの香ばしい香りが広がる。熱が加わるにつれ、細かな切れ込みがゆっくりと開いていく。
まるで、一輪の花が咲くように。
「……綺麗。」
そう呟く聖羅の横で、なでしこも頷く。
炭火から上げたイカを皿に盛り、特製のタレをかける。
「できた。」
航平が皿を差し出した。弦之介が一口食べる。
「……!」
驚いたように目を見開いた。
「すげぇ…。めちゃくちゃジューシーだ。」
「タレも美味しい!」
「炭火の香りとタレがすごく合ってる!」
瑠衣と聖羅も笑顔になる。次々と箸が伸びていく。
「うまい!」
「これ好き!」
「イカってこんなに柔らかくなるんだ!」
航平はその様子を見ながら、少しだけ笑った。
うまくいった。
自分の料理は、ちゃんと皆に喜んでもらえている。
だが――。
「……。」
その様子を見つめる斗麿だけは、どこか厳しい表情を浮かべていた。
BBQが終わり、片付けも一段落した頃。夕暮れの庭に、航平と玲司の二人だけが呼ばれた。
「……何か用ですか?」
航平が尋ねる。斗麿は二人を見つめた。
「今日の料理、どちらも素晴らしかった。」
まず、そう言った。
「斎浦、包丁の技術がさらに上がったな。清永、火入れも味付けも、去年より確実に上達している」
だが、斗麿の表情は変わらなかった。
「ただし」
二人が顔を上げる。
「一つ、気になったことがある」
「……?」
「お前たちは、今日の料理で誰を見ていた?」
航平は答えられなかった。玲司も黙っている。
「斎浦。」
斗麿が先に名前を呼ぶ。
「お前は清永を意識して、あえて火入れの難しい料理を選んだんじゃないか?」
「……!」
図星だった。
「清永もそうだ。」
今度は航平を見る。
「斎浦を意識して、隠し包丁を使う料理を選んだ。」
「……はい。」
「二人とも料理そのものは素晴らしかった。技術も上がっている。それは間違いない。」
斗麿は一度、二人から視線を外した。
「だが、食べる人間のことを考えて、その料理を選んだわけじゃないだろう?」
二人の表情が固まる。
「このBBQは勝負じゃない。」
斗麿の声は、静かだった。
「もちろん、互いに競い合うのは悪いことじゃない。お前たちくらいの年齢なら、そうやって誰かを意識して、腕を磨くことも大切だ。」
それから、少しだけ笑う。
「むしろ、今のお前たちは思う存分競い合えばいい。そうやって腕を伸ばせる時間も、案外長くはないからな。」
だが、その目は真剣だった。二人をまっすぐ見つめる。
「だが、競うことに夢中になって、食べる人間を置いていく料理人にはなるなよ。」
「…………。」
航平は拳を握った。
玲司も、何も言わなかった。
二人とも、返す言葉がなかった。
「……以上だ。小うるさいことを言ったが、どちらもすごくうまかったよ。またお前たちの料理を食べるのを楽しみにしているよ。」
斗麿はそれだけ言うと、その場を離れていった。
残された二人は、しばらく何も話さなかったが、やがて、二人はそれぞれ別の場所へ歩き出した。
夜。海辺の別荘から少し離れた場所で、航平は一人、空を見上げていた。
ドン――。
夜空に、大きな花が咲く。打ち上げ花火。夏の夜を彩る光が、一瞬だけ海を照らす。けれど、航平の表情は、まだ晴れなかった。
「……清永くん。」
後ろから声がした。振り返ると瑠衣がいた。瑠衣が隣に座る。
「ここにいたんだね。」
「あぁ。」
しばらく二人で、夜空を見上げる。
「……斗麿さんに言われたこと、結構効いてる?」
「……まあな」
航平は苦笑した。
「料理はちゃんとできたと思ってた。でも……」
言葉が続かない。瑠衣は少しだけ笑った。
「良い勉強になったんじゃない?」
「……そうだな。」
「清永くんも、斎浦くんも、二人とも料理に対して真剣に向き合ってることは、みんな分かってるよ。」
航平は黙って聞いている。
「でも、二人はライバルだもんね。」
瑠衣は空を見上げた。
「意識して、今回みたいになっちゃうこともあるよ。」
「……。」
「私たち、まだ高校生だもん。」
瑠衣が笑う。
「最初から何でもできるわけじゃないよ。」
その言葉を聞いて、航平はしばらく黙っていた。
そして――。
「……そうだな。」
ゆっくりと、空を見上げる。
「俺、もっと料理がうまくなりたい。」
「うん。」
「でも、それだけじゃ駄目だ。」
夜空に、また一つ花火が開く。
「食べてくれる人が、どう思うか。」
「……うん。」
「何を食べたいのか。どうしたら喜んでくれるのか。」
航平は、静かに笑った。
「そういうことまで考えて料理を作れる料理人になりたい。」
瑠衣も微笑む。
「うん。清永くんなら、なれるよ。」
「……ありがとな。」
航平が笑う。瑠衣も、つられるように笑った。
二人は肩を並べたまま、夜空を見上げる。
大きな花火が、夏の夜空いっぱいに咲いていく。海面に映った光が、波に揺れていた。
料理の道は、まだ長い。競い合って、迷って、失敗して。それでも、一歩ずつ前へ進んでいく。
二人はいつまでも、夜空を見上げていた。




