特訓!青椒肉絲!
「今回の実技試験課題は『青椒肉絲』です。」
一瞬の静寂。
次の瞬間、教室がざわめき始める。
「えっ、青椒肉絲?」
「細切り苦手なんだけど……。」
「牛肉? 豚肉?」
「火加減むずくない?」
生徒たちの反応を見渡しながら、渡邊は静かに口を開く。
「青椒肉絲は、決して派手な料理じゃない。でも、中華料理の基本がたくさん詰まっている。包丁、下ごしらえ、そして火加減。」
教室が静まり返る。
「料理人は、特別な一皿だけを作る仕事じゃない。毎日、当たり前の料理を、当たり前においしく作り続ける仕事だ。」
その言葉に、航平はゆっくりと顔を上げた。
黒板に書かれた文字を見つめる。
青椒肉絲。
その瞬間。前の席に座る玲司が、ふっと口元を緩めた。
「面白い。」
小さく呟き、航平に視線をやる。その声に反応し、めんどくさそうな顔をする航平。
「うげ…何燃えちゃってんだよアイツ…!こっち見んな!」
航平は心の中でそう叫んだ。
放課後、航平と瑠衣はいつものように二人で教室を出た。
「青椒肉絲かぁ。どうしよう。勉強だけじゃなくてそっちも練習しなきゃ…」
「誰かさんは包丁落っことしたり、鍋をひっくり返したりするからなぁ」
「もう!いじわる言わないでよ!」
瑠衣は航平の肩をポカポカと叩く。
「いてて!悪かったよ!でも、たかが学校の中間試験だし、そんなに心配しなくても大丈夫だろ。」
そう言った航平を見つめて、瑠衣は「そうだ」と、何かを思いついた様子で言った。
「私は清永くんに勉強を教える。だから、清永くんは私に料理を教えてよ!」
「い゛っ!?やだよめんどくせぇ!」
「じゃあ私ももう勉強教えない。」
「なっ!それは!?……きったねーぞ瑠衣!」
こういう駆け引きでは瑠衣には勝てなさそうだなと、航平は頭を掻く。
「……わかったよ。」
「やったー!ありがとう!清永くん!」
やっぱり、こいつには調子が狂わされる、と航平は思った。
その日の営業後、航平と瑠衣は早速青椒肉絲の練習に取り掛かった。
「瑠衣はとにかく落ち着くこと。麻婆豆腐はちゃんと作れるんだ。料理のセンスが皆無ってわけじゃない。」
そうなのだ。瑠衣は他の料理を作ると失敗ばかりなのに、麻婆豆腐だけは完璧に作ることができている。しかも、父・剛志の作る麻婆豆腐と同じ味。
「麻婆豆腐はおじいちゃんと子供の頃から何回も作ってたから…でも青椒肉絲はいつも失敗ばっかりで…」
ーーーまさかな。
父の剛志が東京具留米学園出身であること、卒業後は東京の店で修行していたことを、航平は知っていた。だが、父が修行していた店は大きくて立派な本格中華料理店だったと聞いている。龍彦の腕が確かであることは航平が見ても間違いなかったが、泰龍軒は町中華の店だ。父が龍彦の弟子だとは、とても思えなかった。
「なら、青椒肉絲も何回も作ればいい。手順やポイントを全部頭に叩き込んで、身体に覚えさせるんだ」
「うん、やってみる!」
不安そうな顔をしていた瑠衣だったが、航平に発破をかけられて、表情を引き締める。
「落ち着いて…手順はしっかり覚えたはず…!」
まずは具材の下ごしらえ。豚肉と野菜を、いずれも繊維に沿うように細切りにしていく。
「繊維をしっかり見極めること。断ち切るように切ると、加熱したときに肉が縮んだり、食材から水分が出やすくなって炒め物には向かない。それに、ピーマンなんかは苦味も出てきてしまうんだ。」
航平の助言を聞きながら、真剣な表情で食材を細切りにしていく瑠衣。
「次は肉の処理だ。切った肉に醤油、紹興酒、水、塩などの調味料を加えて、肉が水分を吸うまでよく揉み込む。次に卵白、片栗粉の順で加えてよく揉む。こうすると、肉に水分も旨味も閉じ込められて、柔らかくてジューシーに仕上がる。」
「そして油通し。鍋に油をたっぷり注いで加熱する。油が温まったらまずは肉だ。」
ジュワァァァっという油の音が小気味よく響く。
「箸で素早くほぐして、さっと火を通したらOK。ザルで引き上げて、タケノコ、ピーマンも油に通していく。余熱でも火が入るし、この後炒めていくから、このくらいで十分だ。」
瑠衣の額に汗が滲む。
「鍋で薬味を油で炒めて、合わせ調味料を入れる。とろみが出たら肉と野菜を鍋に戻して、鍋を振って全体に調味料を絡める。」
「できた!青椒肉絲!」
皿に盛り付けられた青椒肉絲は、具材の大きさはまだまばらではあるものの、店の照明に照らされて、肉の茶色、タケノコの黄白色、ピーマンの緑の3色がタレと油に包まれて艶やかに輝いていた。醤油やオイスターソースを使ったタレの香りが食欲をそそる。一口食べてみると、甘辛いタレが口を刺激して唾液が溢れてくるのがわかる。シャキシャキとしたピーマン、ポリポリとしたタケノコ、ジューシーな肉と、食感のコントラストが心地良い。濃厚で滑らかな口当たりのタレが全体に絡み、食材たちを一つにまとめており、ピーマン特有の苦味が後味をさっぱりとさせてくれる。
「美味しい…こんなに上手く作れたの、はじめてだよ!」
「うん、具材の大きさはまばらだし、火入れの加減もまだまだ改善できるけど、うまいよ。これなら試験も大丈夫だろ。あとは練習あるのみだな」
「うん!私、頑張る!清永くん、ありがとう!」
そう言って嬉しそうに笑う瑠衣の顔を直視していられずに、航平は瑠衣に素早くくるりと背中を向けて、
「さ、早く片付けて勉強しようぜ。」
と、足早に洗い場へ向かった。そんな航平の背中を、瑠衣も笑って追いかけた。




