↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
42/70

君の隣に立つために。

 とある日の朝。東京具留米学園の廊下を、二人の一年生が歩いていた。


「なあ辰樹!今日までの宿題、見せてくれ!頼む!」

「えぇ!?また!?もう……仕方ないな……自分でやらなきゃ意味ないっていつも言ってるのに……。」

「まぁまぁ!いいじゃんいいじゃん!」

「よくないよ……。」


小柄なヘアバンドの少年、浅野虎太郎が、楽しそうに笑って先を歩いていく。その後ろを、長身の眼鏡の少年、三好辰樹が呆れた顔でついていく。

その二人を、廊下の反対側から眺めていた男がいた。


「あれは……。」


 宍戸弦之介だった。弦之介は、二人の姿に見覚えがあった。

入学初日。いきなり斎浦玲司と清永航平に勝負をふっかけた一年生。


「噂の一年の凸凹コンビ……。」


 弦之介は目を細める。


「……ノッポの方、今日もチビに振り回されてんなぁ。」


二人を見かけると、いつもそうだ。虎太郎が忘れたプリントを辰樹が持っていたり、虎太郎が飲みかけのペットボトルを置きっぱなしにすれば、辰樹が回収する。虎太郎が勢い余ってどこかへ走っていけば、辰樹が「待ってよ!」と追いかける。

どうやら二人は、そういう関係らしい。


「……仲いいんだな。」


弦之介は、少しだけ笑った。




 その日の放課後。弦之介は帰宅しようと廊下を歩いていた。1-Cの教室の前を通りかかったとき、教室から聞き覚えのある声がして中を覗いてみる。


「じゃあ、俺、先行ってるぞ!」

「うん。気をつけてね。すぐ追いつくよ。」

「おう!早くしろよー!」


虎太郎は手を振ると、元気よく廊下を走っていった。


「……廊下は走っちゃダメなんだけどなぁ。」


辰樹は苦笑しながら、その背中を見送った。教室には、もうほとんど人が残っていない。今週掃除当番になっていた辰樹が教室の掃除をしている。


「おい。」


弦之介は辰樹に声をかけた。


「俺は2年経営科の宍戸ってもんだ。」

「ど、どうも。宍戸先輩……?えっとー…僕に何か用ですか……?」

「お前と今出てったチビだろ?入学初日に斎浦玲司と清永に喧嘩ふっかけたっつーのは。」

「喧嘩なんてそんな!……まぁ、虎太郎くんのあの感じだとそう思われるかもしれないけど……別に喧嘩するつもりだったわけでは……。」

「まぁ何でもいいけどよ。お前、いっつもあいつに振り回されてんな。」


辰樹は少し困ったように笑った。


「そう、ですね」

「嫌じゃねぇのか?」

「え?」

「あのチビのわがままに付き合わされてよ。」

「……ふふ。」


辰樹は小さく笑った。


「虎太郎くんは、昔からああなんです。」


「昔から?」

「はい。」


辰樹は少し懐かしそうな顔をした。


「でも、ただわがまま言ってるだけってわけじゃないんです。僕のことを気にかけてくれてて……それに……。」


そこで、笑顔が少しだけ曇る。


「僕は虎太郎くんがいないと、何にもできないから……」

「…………。」


弦之介は真剣な顔つきで話を聞いていた。今の辰樹の言葉が、どうにも引っかかる。弦之介にはむしろ、辰樹の方がしっかりしているように見えていたのに、虎太郎がいないと何もできないとは、どういうことなのだろう。


「……そうか。」


引っかかっているものが何なのか、それはわからないままだったが、弦之介は、それ以上は聞かなかった。




 翌日。一年C組では、調理実習が行われていた。


「今日の課題は棒棒鶏だ!」


教師の声が響く。


「棒棒鶏!」


虎太郎が嬉しそうに声を上げる。


「やってやるぜー!」

「虎太郎くん、実習中なんだから大きい声出しちゃダメだよ!」

「分かってるって!」


辰樹はいつものように虎太郎を諭し、二人は手際よく作業を進めていく。豪快で感覚的な虎太郎と、丁寧で繊細で基本に忠実な辰樹。対照的な二人だが、二人とも料理の腕はさすがなものだった。


「よし!こんなもんだろ!」

「うん!虎太郎くんの、すごくおいしそうだよ!」

「お前のもなかなかうまそうだぜ!」


性格が、そのまま料理に出ているようだ。

豪快で勢いのある虎太郎。

丁寧で、細部まで気を配る辰樹。

二人の棒棒鶏は、同じ棒棒鶏でもその性格はまるで違うものに仕上がっていた。


 そして昼休み。実習で作った料理を、それぞれ昼食として食べていたときだった。突然、実習室の扉が開いた。辰樹が振り返ると、そこには弦之介が立っていた。


「宍戸先輩!?」

「ちょっと食わせろ!」

「えっ?」


弦之介は、虎太郎の前に置かれていた棒棒鶏を一口。


「ちょっ!何なんだよ!?」


続いて、辰樹の棒棒鶏を一口。


「…………。」


弦之介は何も言わないまま、もぐもぐと口を動かしている。


「おい、辰樹!何なんだよこの人!知り合いか?」

「2年の宍戸先輩…。経営科の…。」

「経営科の先輩がなんでこんなとこに来るんだよ!?」

「僕に聞かれてもわかんないよ!」


ヒソヒソと話す虎太郎と辰樹の横、弦之介は二人の料理をもう一度だけ見比べた。

そして。


「……じゃあな。」


それだけ言って、そのまま実習室を出ていった。


「はぁ!?」

「ちょ、宍戸先輩!?」


虎太郎が首を傾げる。

「何だったんだよ…一体…。」

「さあ……。」


辰樹も首を傾げた。




 放課後。その週、掃除当番になっていた辰樹に、虎太郎が声をかける。


「じゃあ俺、先帰るぞ!」

「うん。ごめんね。」

「いいって!また明日な!」

「また明日!」


虎太郎が帰っていく。辰樹は一人、教室に残った。やがて掃除を終え、廊下へ出る。

静かな校舎を一人で歩いていると、一人の男子生徒に呼び止められる。


「三好。」


また弦之介だった。


「宍戸先輩……。」

「ちょっと話そうぜ」

「……はい?」


二人は校庭の脇にあるベンチに座った。弦之介は、昨日と同じように、真剣な顔つきで辰樹を見る。


「お前、なんでそんなに自信ねぇんだ?」

「…………。」


辰樹は答えなかった。


「俺にはお前が、浅野がいないと何もできないやつには見えねぇんだけどな。」


その言葉に、辰樹が少しだけ目を見開いた。


「…僕は……。」


辰樹は、ゆっくりと話し始めた。


「僕、小学生の頃から、背が高かったんです。でも、背が高いだけで、運動も苦手で、鈍臭くて…。」


スポーツでは失敗してばかり。気弱で人前に出れば緊張した。言いたいことがあっても、言葉にできなかった。


「気も弱かったから……よく、いじめられてました……。そんな僕を助けてくれたのが、虎太郎くんなんです。」


辰樹の顔に、ほんの少し笑みが戻る。


「虎太郎くんは、昔からあんな感じで……乱暴でむちゃくちゃで。でも、すごく優しいんです。本当はいつも僕のことを気にかけてくれてて、ああやって、いつも僕を引っ張ってくれてるんです。」


助けたことを、恩着せがましく言ったこともない。まるで当たり前のことのように、いつも自分の隣にいてくれた。


「あるとき、虎太郎くん、『お前には俺がいないとな』って言ったんです。」


虎太郎は、何の気なしにそう言ったのだろう。


「……僕、その言葉がすごく嬉しかったんです。」


初めてできた友達が、いつもそばにいてくれる。自分の居場所を作ってくれたような、そんな気がしたのだ。


辰樹の耳が赤くなる。


「じ、実は……最近、好きな人ができたんです……。」


弦之介は目を丸くした。


「……ほう。」

「すごく優しい人で……。」


辰樹は少しだけ笑った。


「でも、その人は歳上で…。たぶん、その人が好きなのは……もっと頼りになる人なんです。」


辰樹の表情が曇る。


「僕なんか……全然頼りにならないし……。」


辰樹は俯く。


「このままじゃいけないって、わかってはいるんです。いつまでも虎太郎くんに甘えていられるわけじゃない……。もっとしっかりしなきゃって。虎太郎くんが困ったときは、頼ってもらえる存在にならなきゃいけないって……。でも、どうしても自信が持てなくて……。」


弦之介はしばらく黙っていたが、辰樹の両肩をバンと叩いて言った。


「……シャキッとしろ!」

「えっ!?」

「男がそんなんでどうすんだ!」

「ヒィッ!す、すみません!」

「また謝った!」


弦之介は頭を抱えた。


「お前なぁ……!」


だが、その声には怒りよりも呆れが混じっていた。


「いいか。お前は全然ダメなんかじゃねぇ。」

「え……?」

「少なくとも――」


弦之介は昨日の昼に食べた棒棒鶏を思い出す。


「あのチビより、お前の作った棒棒鶏の方がうまかった。」

「え……?」

「お前の料理は丁寧だった。鶏肉の火の入り方も、タレのバランスもちゃんとしてた。」


派手さはない。けれど、確かな技術があった。


「お前は、料理ができるじゃねぇか。」

「……!」

「お前もこの学校で調理科に入ったんだ。」


弦之介はもう一度辰樹の肩を叩く。


「チビと仲良しは大いに結構だ。だがな、友達だからって料理まで負けてやることはねぇ。」


辰樹が顔を上げる。


「自信持っていいんだよ。お前は浅野に負けないくらいうまい料理を作れる。」

「…………。」


辰樹の胸の奥に、じんわりと何かが広がっていく。今まで誰かに助けてもらうことばかり考えていた。


でも。


自分にも、自分の力がある。


「……はい。」


辰樹は小さく、しかし力強く頷いた。


「僕、頑張ってみます!」


そう言って立ち上がったその顔には、今までとは違う強さがあった。


「おう!」


弦之介はニカッと笑った。


「応援してるぜ!」

「宍戸先輩……。」

「俺たちは先輩後輩の関係だがよ……。」


そして拳を突き出す。


「今日からは、ダチだ!」

「……!」


辰樹は目を丸くした。やがて、その拳に自分の拳を軽く合わせる。


「はい!」


そう言って笑った辰樹の笑顔は、弦之介が見てきた辰樹の中で一番晴れやかなものだった。


「なぁ。ところでよ!」

「はい?」

「お前の好きな人って誰なんだ?」

「…………。」


辰樹は恥ずかしそうに少し俯く。


「歳上ってことは、うちの二年か三年か?」


弦之介はニヤニヤする。


「それとも、まさか大学生!?」


「…………。」


辰樹の顔が、みるみる赤くなる。


「……あの…。」

「なんだよ?」

「…………。」


さっき「頑張ってみます!」と言い切ってみせた威勢はどこへ行ったのか。辰樹はもじもじと視線を泳がせている。


「何だよ、またモジモジして。ちょっとはたくましくなったと思ったのによ」


弦之介が呆れたように笑う。


「…………っ。」


辰樹は少し黙っていたが、意を決したように顔を上げる。


「じ、実は……。」

「おう。」

「僕……。」


頬を真っ赤に染めながら、辰樹は言った。


「泰中先輩が好きなんです!」

「…………。」


弦之介の顔から、笑みが消えた。


「…………は?」

「2-Cの泰中先輩が好きなんです!」

「…………。」


一瞬の沈黙。そして、次の瞬間――。


「なにぃーーーーーーー!?」


夕暮れの校舎に、弦之介の絶叫が響き渡った。


「ちょっと!声が大きいですよ!」


「僕なんかって思ってたけど……。」


辰樹は、まっすぐ前を見た。


「宍戸先輩のおかげで、少し、勇気が出てきました!」

「いや、待て! 俺はそういう意味で――」

「頑張って、男として成長して!」

「おい!」

「僕……。泰中先輩に、いつか告白します!」

「待て待て待て!」

「決めました!」


辰樹は笑った。


「ありがとうございました、宍戸先輩!」

「だから待てって!」


しかし、もう遅かった。辰樹は弦之介を置いて、颯爽と走り出していた。


「頑張ります!宍戸先輩!ありがとうございました!」

「お、おい三好!三好ーーー!!」


遠ざかっていく背中。弦之介は、その場に立ち尽くした。


「…………。」


弦之介は、しばらく一歩も動けなかった。


「…………こ、こんなはずでは……。」


拳が震える。


「こんなはずではァァァアアアアア!!」


弦之介の悲鳴が、再び夕暮れの校舎に響き渡った。

自分が背中を押した後輩が、まさか自分の恋のライバルになるなんて。そんなこと、誰が予想できただろうか。




 その頃。少し離れた場所にある木の影から、一人の少年が顔を覗かせていた。

浅野虎太郎だった。虎太郎は辰樹を待っていた。辰樹の掃除が終わるまで待って、一緒に帰ろうと思っていたのだ。せっかくだから、木の影に隠れて驚かせてやろう。

そんな、いつもの悪戯だった。それが――。


 目の前を走っていく辰樹の背中を見て、虎太郎は動かなかった。


「…………。」


声をかけることも、追いかけることもなく、ただ、その背中を見送っている。

いつもなら、辰樹が自分の後ろをついてくる。何かあれば自分を頼ってくる。


そんな辰樹が、今日は、自分の知らないところで何かを決めて、走りだしていた。

黙ってその背中を見つめていた虎太郎のその表情には、いつもの無邪気さとは少し違う、ほんの少しだけ、複雑な色が浮かんでいた。


やがて辰樹の背中が見えなくなっても、しばらくその方向を見つめ、そして、何も言わずに、虎太郎は静かに歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。