まだ見えない僕らの未来。
週末。いつも通り賑わっていたお昼の泰龍軒はピークタイムを超え、ようやく落ち着いた雰囲気になってきていた。
「ふぅ…。やっと注文落ち着いたな。」
「今日も忙しかったね。」
汗を拭う航平に瑠衣が冷たい水を手渡し、少しだけ言葉を交わす。そこへ、新たな来客がやってきた。
「こんにちはー!」
店の入り口から、明るい声が聞こえてくる。
「いらっしゃいませ!」
瑠衣が振り返る。
「あれ?」
そこに立っていたのは、聖羅だった。
「藤咲?」
航平も厨房から顔を出す。
「こんにちは、清永くん。瑠衣ちゃん。」
「いらっしゃい!来てくれたんだ!」
「うん。今日はちょっとみんなでご飯を食べに来たの。」
聖羅の後ろには、大学生になった斗麿と美波、そして一年生のなでしこが立っていた。
「やぁ。久しぶりだな、二人とも。」
「斗麿先輩!それに宮園先輩も!あ、あなたは……。」
なでしこは瑠衣に軽く頭を下げる。
「なでしこちゃんだよね?聖羅ちゃんから聞いてるよ!いらっしゃい!」
瑠衣の言葉に、なでしこはもう一度会釈する。
「今日は一緒に来てもらったの。」
「嬉しい!どうぞこちらへ!」
龍彦が厨房から顔を出す。
「なんだ、今日は随分賑やかじゃな。」
「ご無沙汰してます。」
「おう。ゆっくりしていけ。」
四人は店の奥の席に座った。聖羅が席につくと、隣に座ったなでしこへ目を向ける。
「そういえば、ちゃんと紹介するのは初めてでしたね。こちら、私の後輩の柊木なでしこちゃんです。」
なでしこは背筋を伸ばし、小さく頭を下げた。
「よろしく、なでしこちゃん。」
美波が優しく微笑む。
「聖羅の兄の藤咲斗麿だ。よろしく。」
「……。」
なでしこはもう一度、小さく頭を下げた。
「なでしこちゃんは、和食コースなんだよね?」
なでしこは、少し恥ずかしそうに頷く。
「聖羅から聞いたよ。和菓子が得意なんだって?」
「すごいわね。今度食べてみたいな。」
「……!」
なでしこの目が、ほんの少しだけ輝いた。
「なでしこちゃん嬉しそう!今度作ってあげてね!私の分も!」
なでしこは聖羅の笑顔を直視できず、俯いたままコクコクと頷いた。
「本当?楽しみにしてるね!ていうか、聖羅ちゃんは何も言わなくてもなでしこちゃんの言いたいことがわかるのね。」
「はい、何となくですけど。」
笑って言う聖羅の言葉に同意するように、なでしこはまた小さく何度か頷いた。
「聖羅ちゃん、後輩に慕われてるのね。」
「えへへ……。」
聖羅が嬉しそうに笑う。その様子を見て、なでしこは少しだけ美波を見つめた。
聖羅がとても懐いている、綺麗で大人っぽい女性。
最初は少しだけ羨ましいような気持ちもあった。けれど、優しく話しかけてくれる美波を見ているうちに、その気持ちはいつの間にか消えていた。
(……素敵な人。)
なでしこは、ほんの少しだけ頬を赤くした。
「ふふっ。なでしこちゃん、もう美波さんに懐いてますね。」
「そうかな?」
「はい。普段よりちょっと表情が柔らかいです。」
「……。」
なでしこは少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「ご注文はお決まりですか?」
少しすると、瑠衣が注文をとりにテーブルへやってきた。
「私となでしこちゃんは麻辣湯にしようと思ってるんです。清永くんが考えた新メニューらしくって。」
聖羅の横で、なでしこがまた頷く。
「へぇ。おいしそうね。あの清永くんが麻辣湯とは、ちょっと意外だけど。私もそれにしようかな。会長…じゃなくて、斗麿くん…は…?」
「俺にはいつものを頼むよ。」
斗麿の声に、航平が厨房から顔を出す。
「いつものって何だよ。」
「はは。ワンタンスープに決まってるだろ?」
「いつものとかいうほど常連じゃないでしょ。」
航平と斗麿のやりとりを見て、美波が笑う。
「なんか、いいね。こういうの。」
「何がですか?」
「こうしてると、高校生に戻ったみたいだなって。」
斗麿は美波の横で頷く。
「高校の頃みたいに、毎日同じ場所で、同じ仲間と顔を合わせるわけじゃないからな。大学は自由な分、自分から会おうとしないと、自然と会わなくなることもある。」
斗麿たちの話を聞いて、瑠衣が質問する。
「大学って、どんな感じなんですか?」
「そうだな……。」
斗麿は少し考える。
「高校より自由だよ。ただ、その分、自分で決めることも増える。」
「自分で……。」
「授業もそうだし、時間の使い方も、将来のこともね。」
聖羅が続けて聞く。
「大学ではどんな授業を受けてるんですか?」
「調理科は料理の授業がメインね。でも、経営や食品関係の講義も多いかな。将来自分のお店を出すなら、料理だけじゃなくて経営のことも知らないといけないから。」
「なるほど……。」
航平は厨房で料理を作りながら、何となくその話を聞いていた。
「高校はどうだ?聖羅は生徒会の仕事もあるだろう?」
「うん。最近は結構忙しくなってきたかな。授業も難しくなってきたし。」
「後輩もできたしね。」
美波がなでしこを見て微笑む。
「はい。私も先輩として、もっとしっかりしないと。」
なでしこは「聖羅さんは十分すごいです!」と言わんばかりに首を振った。
「なでしこちゃん……。」
聖羅が嬉しそうに笑う。
「ありがとう!」
「……。」
店内に、穏やかな笑い声が響く。
料理が運ばれてきて、食事が進み、穏やかな時間がしばらく続いた後、泰龍軒の昼営業が終わり、航平と瑠衣も四人が座るテーブル席の側で会話に参加していた。
人がいなくなった店内で、斗麿が航平たちの方を見ながら、ふと口を開く。
「そういえば、お前たちは進路はどうするか、少しは考えてるのか?」
聖羅となでしこが顔を上げる。
「まだ二年生だから、と思っているかもしれない。でも、二学期になれば進路相談も本格的に始まる。」
「進路……。」
聖羅が呟く。
「自分が卒業したあと、何をするのか。そろそろ真面目に考えなきゃいけない時期だ。高校生活は、思っているよりもあっという間だぞ。」
斗麿は続ける。
「大学へ進学するなら入試の準備がある。料理の道へ進むなら、それに向けた準備も必要になる。」
「そうですね……。」
「高校三年生になってから考え始めると、意外と時間が足りないんだ。だから、今のうちから少しずつ考えておくといい。」
斗麿の顔を見て、航平も瑠衣も、少し真面目な顔になる。
「私は、具留米学園大学に進むつもり。」
聖羅が航平と瑠衣をみて言った。
「うん。まぁ、ああは言ったが、俺はお前たち二人も具留米学園大学に進学するんだろうとは思っているが。」
斗麿が何気なく言った。
「はい、私もそのつもりです。」
瑠衣が答える。
「……。」
しかし、航平は黙ったまま、少し表情を曇らせた。
「……清永?」
斗麿が航平に目をやる。
「清永は、具留米学園大学に進学するつもりじゃないのか?」
「俺は……。」
航平は俯く。
「まだ、わからなくて……。」
「……。そうか。」
斗麿はそれ以上、何も聞かなかった。
「……。」
瑠衣も、黙って航平を見る。航平がこの学校に来た理由を、瑠衣は知っている。
父親から逃げるように島を出て、東京へやって来たこと。
料理人になることすら、最初は嫌がっていたこと。
それでも今は、泰龍軒で料理を作り、学校でも料理に向き合っている。
だからこそ――。
(……もしかしたら。)
瑠衣の胸に、ふと考えが浮かぶ。
(お父さんと仲直りして……島に帰っちゃうのかな。)
「……。」
瑠衣は、少しだけ寂しそうな顔をした。
一方で、航平の頭の中には、いろいろな顔が浮かんでいた。
瑠衣。玲司。聖羅。弦之介。クラスのみんな。先輩や後輩たち。
泰龍軒で自分を受け入れてくれた龍彦と百田。いつも店に来てくれるお客さんたち。
そして――。
島にいる父親、剛志。
「……。」
航平は窓の外を見る。東京に来てから、色々なことがあった。
料理から逃げていた自分。
父親から逃げていた自分。
それでも、東京で出会った人たちに支えられて、少しずつ料理と向き合うようになった。
自分はこれからどうするのか。大学へ行くのか。どこかの店で働くのか。
それとも――。
「……進路か。」
航平は小さく呟いた。
(まだ二年だって思ってたけど……。もう、そんなこと、考えなきゃいけないんだな……。)




