包丁が示す道。
「よく来たな、小僧。」
「お久しぶりです。」
航平は店主に軽く頭を下げる。
「久しぶりだな。今日はどうした?買った包丁の調子でも悪いのか?」
「いや、そう言うわけじゃないんですけど……。」
航平は、鞄から包丁を取り出した。
「俺、まだこいつをちゃんと使いこなせてない気がして。ここに来れば、何かわかるかなって……。」
「ほう。」
店主は航平から包丁を受け取り、丁寧に、何かを確かめるように、端から端まで目でなぞった。
「よく使い込んだな。よく手入れもされている。」
そういうと、店主は包丁から視線を航平に移した。
「お前の手に馴染み始めている。だが、もし使いこなせない気がすると言うのなら、それはお前自身がこの包丁に馴染んでおらんということだろう。」
店主は静かに言って、包丁を航平に返した。
「俺自身が…?」
店主はまっすぐに航平を見据える。
「お前は、この包丁で何を切る?」
「……え?」
「なんのために料理をする?」
店主の言葉に、航平の顔が曇る。言葉が出てこない。
なんのためにーー。
わからない。物心ついた頃には、すでに父とともに料理をしていた。毎日毎日、包丁を握り、鍋を握り、様々な料理を作ってきた。料理は好きだった。だけど、料理人になりたくて東京に出てきたわけじゃない。父親に反発して、逃げてきたのだ。料理よりも、華の大東京で、キラキラした高校生活を送って、自由に生きたいと思った。
「……わかりません。俺は……料理から逃げたんです。他の生き方がしたいと思った。そんな俺が、この包丁を持って、料理を続けて…いいんでしょうか…?」
航平は、自分がわからなくなっていた。
「お前、東京具留米学園なんだろ?」
「……?はい、そうですけど…。」
「学校は楽しいか?」
「はい、まぁ……。」
「料理は好きか?」
「料理は、好きです…。」
「そうか。」
店主は口元をわずかに緩める。
「なら、それでいい。その包丁を持って、料理を続けろ。」
「……はい。」
「それを売ったとき、言っただろう。選ぶのは包丁の方だと。包丁はお前に馴染み始めている。いずれ、答えはその包丁と、お前自身の料理が教えてくれるだろう。」
「俺の…料理が…?」
「もっと料理をしろ。そして、料理と、自分自身をもっと見つめろ。今、お前は迷っている。その迷いが包丁にも伝わっている。だが、それでいい。迷って、失敗して、喜んで。その繰り返しの中に答えはきっと見つかる。」
「……はい。」
「この言葉の意味も、いずれわかる。いつか、その包丁に相応しい料理人になれる。」
そう言って店主は目を細め、航平はその言葉を胸に刻み、力強く頷いた。
「またいつでも来るといい。お嬢ちゃんも一緒にな。」
店主はそう言って見送ってくれた。店主の言葉の真意は、航平にはまだわからない。だけど、航平は少しだけ前を向いて歩き始めた。
その頃、東京具留米学園の実習室では、2-Cの面々が練習を続けていた。教壇の上には、渡邉先生の指示で玲司の作品が見本として置かれていた。
「そろそろ最終下校時刻だ。続きはまた明日にしよう。」
英人がみんなに呼びかける。
「だな。帰って他の科目の勉強もしないと。」
「神司……お前サラッとグロいこと言うなよ……泣いちゃうぞ?俺。」
「腹減ったー!」
「私、明日朝練しにこようかな……。」
「朝練、アッツいですね……!」
「え!じゃあ私もそうする!瑠衣もそうしようよ!」
「そうだね!清永くんも誘ってみる!」
賑やかに会話をしながら帰り支度を済ませ、2-Cの面々が実習室を後にした。
誰もいなくなった実習室。そこに、一人の人物が訪れ、玲司の花刀の作品を見つめていた。
3年和食コース、真田和馬。
しばらく作品を見た後、和馬は実習室を出ると、後ろから声をかけられた。
「どうですか?俺の飾り包丁は。」
斎浦玲司だった。
「……。」
和馬は黙って玲司を見つめている。
「まさか、たまたま通りかかっただけってこともないでしょう?三年の教室とは階も違うし。見に来たんじゃないんですか?俺の作品を。」
「……。」
和馬は一つ息を吐くと、ようやく口を開いた。
「正直言って、驚いた。中華の飾り包丁は、派手なだけのものと思っていたんだがな。演出以上に、料理として意味があったらしい。」
「当然でしょう。道具も技法も異なるが、中華の飾り包丁も立派な料理の技術です。」
「……清永の作品がないようだったが…。」
「……清永?……アイツがどうかしたんですか?」
今目の前に、学校始まって以来の天才と言われ、包丁の扱いなら全学年通しても中華コース随一の自分がいると言うのに、航平のことを気にしているかのような和馬の言葉に、玲司は不快感を露わにした。
「いや、いいんだ。はっきり言って、包丁だけなら今はお前のほうが遥かに上だろう。あの作品を見ればわかる。試験、頑張ってくれ。」
そう言って和馬は踵を返して去っていった。
「包丁は俺のほうが上?当たり前だろ……!今は?ふざけるなよ……真田和馬……!」
玲司は和馬の背中を、その姿が見えなくなるまで睨みつけていた。
和馬は歩きながら、玲司の作品を思い出していた。
(和食が静なら、中華は動だな。繊細さは和食に及ばないが、大胆で豪華な、圧倒的な存在感があった。)
和馬は、玲司の作品に心底感心していた。そしてーー。
(清永……お前はどんなものを作る…?)
中間試験は、目前に迫ってきていた。




