俺たちは似た者同士!?ジャージャー麺とボロネーゼ!
一人の男子生徒が、東京具留米学園の校内を歩いていた。マッシュルームカットが特徴的で、前髪で目はほとんど隠れている。小柄で細身の身体付きだが、胸を張って歩く姿は、実際よりも彼を少し大きく見せている。入学して、まだ数日。
片倉月也は、あることに気づいていた。
(……この学校。)
廊下を歩きながら、すれ違う女子生徒たちをちらりと見る。
(……美少女が多すぎる。)
料理の名門校、東京具留米学園。全国から料理人を目指す生徒が集まるこの学園には、当然のように様々なタイプの生徒がいる。
「あ。」
その中でも、一際月也の目を引いたのが、今まさに廊下の向こうから歩いてくる、二人の女子生徒。一人は、明るく柔らかな笑顔を浮かべた少女。もう一人は、上品でおっとりとした雰囲気を纏った少女。泰中瑠衣と、藤咲聖羅。
月也の足が止まる。
「…………。」
二人を目で追う。
「…………クールだ…。」
ぽつりとつぶやく。本人はいたって真剣だった。
月也にとってこの二人は、華の学園生活における重要人物。
――いや。
正確には、三人だった。
「……清永航平。」
その名前を聞いたのは、入学してすぐのことだった。月也は、クラスメイトから聞いた噂を思い出していた。
「清永先輩って、あの二年の人?」
「そうそう。中華料理コースの。」
「なんか、かわいい人といつも一緒にいるよな。泰中先輩だっけ?」
「あと、宍戸先輩も泰中先輩のこと好きらしいぜ。」
月也は考える。
(なるほど。)
どうやら、あの泰中瑠衣という少女の周りには、すでにライバルがいるらしい。
しかも――。
「藤咲先輩も、清永先輩と仲がいいらしいよ。」
「……何?」
月也の眉がぴくりと動いた。
「藤咲先輩って、あの藤咲聖羅先輩?」
「そう。」
「……。」
月也は、窓の外を見る。
「……まさか。」
(あの聖羅まで、清永航平が好きなのか?……どういう男なんだ?)
一つため息をついて振り返ると、そこには一人の人物が立っていた。教室側から差し込む日光が逆光になって、顔はよく見えない。
「清永航平……。」
影の人物がぽつりと呟く。
「この学園のトップに立ちたいなら……彼を避けては通れないぞ……。」
「なんなんだ!?あなたは!?」
「ふふ……。」
言うだけ言って、影の人物は立ち去ってしまった。
こうなると、否応なしに気になる。月也は放課後、さらに情報を集めることにした。
そして向かった先は――。
「お疲れ、月也。」
「……どうも。」
イタリアンコースの生徒である月也がアルバイトをしている、リストランテ。
そこでは、大学一年生になった伊達里愛も働いていた。
「里愛先輩。ちょっと聞きたいことがありまして。」
「なに?」
月也は、できるだけクールな表情を作った。
「清永航平って男について、何か知ってますか?」
「清永?」
里愛は少し考える。
「ああ、アイツね。」
その名前が出た瞬間、里愛の表情が変わった。
「知ってるも何も、結構有名だよ。」
「……ほう。」
月也は腕を組む。
「どんな男なんですか?」
「中華料理コース。二年生。」
「それは知ってます。」
「それと――斎浦玲司のライバル。」
「……え?」
月也の表情が固まった。
「斎浦さんの!?」
思わず声が大きくなる。里愛はきょとんとする。
「うん。料理で何度も競ってるみたいよ。」
「……あの、斎浦さんの?」
「そう。」
月也の脳裏に、入学式で見かけた玲司の姿が浮かんだ。無駄のない立ち振る舞い。冷静な表情。隙のない雰囲気。
(あの人は……クールだ。)
その玲司と競える男。
「……清永航平。」
月也は、その名前をもう一度呟いた。
「他には?」
「他?」
「性格とか。」
「うーん……。」
里愛は少し考えた。
「認めたくないけど、料理の腕は一流ね…。だけど、普段は結構だらしないかな。」
「……。」
「授業中は寝てばかりって話だし。」
「……クールじゃないですね。」
即答だった。
「あと、離島出身らしいよ。」
「離島……?要は田舎者ってことですか?」
「いや、そこまで言ってないけど…でもまぁそうか。」
「ふむ……。」
月也は腕を組み直した。
「なるほど。」
そして、もう一人。
「宍戸弦之介については、何か知ってますか?」
「ああ……。」
里愛は少し遠い目をした。
「あんまりよく知らないけど、味だけはわかるみたい。」
「味……ですか?」
「かなりいい舌を持ってるらしいよ。斗麿が褒めてたっけ。」
「……なるほど。」
月也は真剣に聞いていた。
「でも――。」
里愛は淡々と言った。
「おそらく、学園始まって以来の稀代のバカね。」
「…………。」
数秒の沈黙。
「……やはりクールじゃないですね。」
「何なのそれ?何基準?」
「重要なことです。基準は僕の価値観ですが。」
「あ、そう。」
「非常に重要ですよ?これは。」
月也は立ち上がった。
「ありがとうございました。参考になりました。」
「参考って……。あいつらのことなんか聞いてどうするの?」
「どうって……ライバルのことは知っておいた方がいいでしょう?」
「ライバル?……アイツらが?」
「いや。」
月也は一瞬だけ考える。
「正確には……まだわからないですが。」
そう言って、月也は店の仕事へ戻っていった。
しかし――。
(斎浦玲司のライバル……。)
その言葉が、頭から離れなかった。
翌日、月也は一軒の店の前に立っていた。
「ここが……。」
暖簾には、『泰龍軒』と書かれている。
「泰中先輩の家で、清永先輩のバイト先……。」
「いらっしゃいませー!」
「……!」
店内に入るとすぐに、明るい声で瑠衣が出迎えてくれ、思わず月也は固まった。
「……。」
「どうしました?」
「……いや。」
月也は一度目を逸らし、そして再び見る。
(近くで見ると……。)
「……やはりクールだ…。」
「え?」
「あ、いや、なんでもないです。」
月也は席についた。
すると――。
「おい。」
隣の席から声がした。振り向くとそこには弦之介の姿があった。
「お前、うちの一年だろ?見たことあるぞ。」
(宍戸弦之介…。まさかこいつもここに来ていたとは……。)
「宍戸先輩…ですよね?俺に何か用ですか?」
「お、俺のこと知ってんのか?俺もまぁまぁ名が知れてきたな!別にお前に用はねぇ。だが、うちの生徒でこの店に来るやつってのは、大体どんなやつか決まってんだよ。」
弦之介は瑠衣を見る。そして月也も瑠衣を見た。それから、二人は目を合わせる。二人の視線が火花を散らしてぶつかる。
「お前、泰中さんの周りをチョロチョロするなよ。」
「あなたには関係ないでしょ。」
「関係大アリだ!泰中さんにつく変な害虫は、俺が全て振り払う!」
「……ふん。」
月也は鼻で笑う。
「クールじゃないな。」
「何ィ!?」
そこへ、瑠衣が注文をとりにやってきた。
「宍戸くん、何の騒ぎ?」
「た、泰中さん!こいつ!うちの一年で!見たことあったんで声かけてたんですよ!なー!少年!」
「えー!そうだったんだ!私、2-Cの泰中瑠衣!」
「ぼ、僕は片倉月也といいます。よろしく…お願いします…。」
月也は顔を赤くして俯きながら名乗った。
「片倉くん、よろしくね!ご注文はお決まりですか?」
「あ、えっと…じゃあ、ジャージャー麺、ください。」
「お待たせしました!ジャージャー麺です!」
月也目の前に料理が置かれた。
月也は料理を見る。肉味噌、麺、きゅうり、香味野菜……。一見するとシンプルな中華麺料理。
「……これが、清永先輩の料理?」
「え?」
「あ、いえ、清永先輩、有名なので…。あの、斎浦先輩のライバルだって…。」
瑠衣が笑う。
「うん、そうだよ!清永くんが作ったの。」
月也は箸を取った。麺と肉味噌を同時に口の中へ入れていく。一口食べて、月也は目を見開き、もう一口、さらにもう一口と食べていく。
「これは……ボロネーゼ…?」
瑠衣が目を丸くする。
「え?」
「あ、いえ。何でもないです…。」
月也は真剣だった。
(肉の旨味をソースにして、麺に絡める。そこに香味野菜を合わせて、全体をまとめている。)
「中華とイタリアン。使っている食材も、味付けも違う。」
もう一口食べる。
「でも……料理としての考え方が似ている。」
(これは……東洋の英知が詰まった『アジアン・ボロネーゼ』と言っていい……。この肉味噌…調味料が、ひき肉の旨味をエッジの効いた立体的な味わいに引き上げている…。ネギやキュウリの爽やかな歯ごたえが、濃厚な味の中で見事な緩急をつけてくれている…なんて完成度だ…!)
そして、月也は黙った。
「……美味い。」
その一言には、さっきまでとは違う重みがあった。その時、厨房から航平が顔を出した。
「そのセリフ…。何だか似たようなことを、前にも誰かに言われたような気がするな。」
月也は航平を見る。寝癖のついた髪。気の抜けた表情。いかにも田舎から出てきました、とでも言いたげな雰囲気。
(……クールじゃない。)
やっぱりそう思う。それなのに、自分が今食べている料理は――。
「……何でなんですかね。」
「ん?」
「……。」
月也は料理を見る。そして航平を見る。そして、月也は眉をひそめた。
「こんなクールじゃない男が作る料理が……なんでこんなにクールなんだ。」
「…………は?」
瑠衣が吹き出す。
「ふふっ……!」
弦之介も笑う。
「なんだそりゃ!」
月也は顔を赤くした。航平は困ったように頭を掻く。
「まあ……美味いならいいけど。」
その何気ない言葉に、月也は少しだけ黙った。
食事を終えると、月也は会計を済ませて店の外へ出た。
「ありがとうございましたー!」
瑠衣が店先まで見送りに出てきた。
「美味しかった?清永くんの料理。」
「はい…。」
「すごいよね。清永くん、離島の出身でね。実家は島に一軒だけある中華料理店なんだって。」
「そうらしいですね。」
「実家の手伝いをして、料理を覚えたんだって。」
「え…?」
少し驚いたような顔で、月也が瑠衣を見る。そのとき、店の扉が開いて、航平が出てきた。
「瑠衣、何余計なこと話してんだよ。」
「あ、あはは。ごめんごめん。」
「ったく。片倉だっけ?お前もプロの料理人目指してるんだろ?」
「えぇ。もちろん…。」
「そっか。」
航平は少し笑った。
「頑張れよ。」
「……。」
月也は航平を見る。
「先輩は?」
「ん?」
「先輩は、どうしてうちの学校に?」
「……。」
航平は少し考えた。
「正直、俺は料理人になんかなりたくなかったんだよ。」
「……え?」
「俺、親父に反発してさ。」
航平は笑う。
「店なんか継がないぞって言って、東京に逃げられると思ったから、この学校に来たんだ。」
「……。」
「親父の命令ではあったけどな。」
月也は黙って聞いていた。
「だけど、結局料理漬けの毎日でさ。」
「……。」
「もっと気楽に、キラキラした都会の生活を送るつもりだったんだけどな。」
航平は泰龍軒を見る。
「でも、今はこれも悪くないかなって思ってる。」
「……どうして?」
「友達、みんないいやつだし。」
航平は店の中を見る。
「ここのバイトも、なんだかんだ楽しんでるんだ。」
「……。」
月也は目を伏せた。胸の奥に、何かが引っかかった。
(……僕と同じだ。)
父親、料理、店。逃げたいと思ったこと。自分の人生を、自分で決めたいと思ったこと。全部が同じなわけじゃない。
それでも――。
「……。」
月也は拳を握った。
「僕の父はピッツァイオーロで、隣町で小さなピッツェリアを営んでるんです。僕は、父親のピッツェリアを継ぎたくない。もっとお洒落な店で、もっとカッコいい料理を作って、もっとクールなシェフになりたい。そのために、この学校に来たんです。」
航平は驚いて目を丸くした。
「そっか。」
そして、ニカッと笑って言った。
「俺たち、似たもの同士かもな!」
(……なんだよ。)
少しだけ、背中を押されたような気がして、月也は笑った。
「……先輩。」
「ん?」
「俺、負けませんから。」
「え?負けないって…何にだよ?」
「全部です。」
月也は顔を上げる。
「料理も。そして――」
月也は胸を張る。
「男としても!」
「……なんだそれ。」
航平は笑った。
「俺の方がクールな男になります!」
「よくわかんねーけど、まあ、頑張れよ。」
月也は口元を上げる。
「はい!」
「じゃあな、月也。」
「……!」
一瞬、月也の目が丸くなる。
「……はい。航平先輩。」
二人は、それぞれの道へ歩き出した。
――この日。
イタリアンコースの一年生、片倉月也と。
中華料理コースの二年生、清永航平。
二人の間に、新しい友情と、新しいライバル関係が生まれた。




