キミに負けたくない理由。
いつからだろうか。自分の気持ちを上手く言葉にすることができなくなったのは。伊達里愛は、幼い頃から明るく活発で人気者だった。彼女がいるだけで、周囲は明るく笑顔になり、彼女に想いを寄せる同級生も少なくなかった。それがいつからか、心がいつも不安定で、ふわふわしているような感覚に陥るようになった。そんな自分に気がつくたび、里愛は苛立っていた。そうだ、全てはあの男ーーー藤咲斗麿と出会ってからだ。
斗麿と出会うまでは、里愛は成績でも料理でも、誰にも負けたことがなかった。学校でもいつも一番の人気者。それなのに、高校で出会った斗麿は、全てで自分を上回ってきた。試験ではいつも一位。運動神経も抜群。端正な顔立ちと、モデル顔負けのスタイルの良さ。そして、料理の腕前・・・。文化祭で初めて食べた斗麿の料理と、その時に自分に見せた優しい笑顔。その瞬間、身体に雷が落ちたような感覚になったのを覚えている。それまでは、ただの成績優秀な優等生。お高くとまったおぼっちゃまくらいに思っていたのに。それ以来、どうしようもなく斗麿を意識してしまうようになった。きっと、斗麿は自分のことなど気にも留めていないだろう。斗麿からすれば、成績上位の他クラスの女子でしかない。それが、里愛にとっては何よりも辛かった。
その日以来、里愛はこれまで以上に勉強も料理も努力した。負けたくない。そしてそれ以上に、「藤咲斗麿に自分を認めさせたい。」と思った。成績は常にトップ5に入り、ことあるごとに斗麿に絡んだ。結局、今まで成績で斗麿に勝つことは一度もなかったし、生徒会の仕事もして生徒からの信頼も厚い斗麿には人気でも敵わない。そして結局、文化祭でも一度も斗麿に勝つことはできなかった。悔しかった。無力だと思った。文化祭の結果発表のとき、本当は大声で泣きたいくらいだった。それを必死に堪えて、落ち込むクラスメイトを励まして・・・。自分の中のモヤモヤを数週間が経っても払いきれずにいた。
「・・・・・・。」
そんなモヤモヤを抱えて、里愛は中庭を望む廊下の窓から、中庭を挟んで反対側にある、斗麿がいるであろう生徒会室をぼんやり眺めていた。そのとき、生徒会室の扉が開き、中から斗麿と副会長が並んで出てきた。
「アイツ・・・また・・・。」
「もうすぐ生徒会選挙ですね。」
「そうだな。この生徒会室に来ることも、もうすぐなくなるわけか。」
「寂しくなりますね。」
「あぁ、そうだな。だが、こればかりは仕方ない。」
生徒会室を出た斗麿と副会長は、帰路につこうと廊下を歩いていた。
「・・・まだ、文化祭の結果を?」
「・・・うん。引きずっていないと言えば嘘になるな。メニューもレシピも、俺が提案してみんなが協力してくれた。責任を感じている。」
「きっと、クラスの誰も会長を責めてなんていませんよ。もしいたら、私が許しません!」
「ありがとう。いつも感謝しているよ。」
そう言って微笑む斗麿を見て、副会長は頬を赤らめる。
「選挙が終わって、私たちが生徒会から引退しても、私は・・・今まで通り、会長の横にいたいです。」
「ありがとう。そうだな。生徒会を引退して、生徒会室に入り浸ることがなくなっても、俺たちの関係は変わらない。卒業までもう少し、よろしく頼むよ。」
そう笑う斗麿に、副会長の宮園美波は安心したような、どこか寂しいような気持ちになって、ただ小さく笑うことしかできなかった。
(変わらない、か・・・。それに、卒業したら・・・。)
小さく笑ったまま、美波はそっと俯いた。
(宮園美波・・・。)
斗麿と美波の様子を見ていた里愛は、より一層気を落とし、苛立っていた。里愛は、美波のことも強く意識していた。成績はいつも自分と競っていて、しっかり者で先生や生徒からも信頼されていて、生徒会副会長。そして、いつも斗麿の隣にいる。斗麿からもよく頼りにされている。そして何より、自分が斗麿に言えない言葉を、美波はあっさり口にする。成績優秀な斗麿に、素直にすごいと言いたい。悩み事があれば、相談に乗って欲しいと言いたい。文化祭で和馬に負けたことを、二人で議論して、研究して、そして二人で励まし合いたい。でも、どうしても里愛は素直になれずに、勇気を出して、一歩を踏み込めずにいた。それなのに、宮園美波はいつだって素直に斗麿に接している。いつも斗麿の隣にいて、斗麿に自分がかけたかった言葉をかけていく。嫌いなわけじゃない。恨みもない。だけど、どうしても宮園美波に対して対抗心のようなものを抱かずにはいられなかった。下校する斗麿と美波の背中を見つめて、自分も駅へ向かおうとしたが、なんとなく足取りが重く、校庭の隅のベンチに腰を下ろし、ため息をついた。
「こんなところで、一人で何してるんですか。」
里愛がベンチに座っていると、誰かが声をかけてきた。顔を上げると、そこには斎浦玲司が立っていた。
「別に・・・。どうだっていいでしょ。」
里愛はぶっきらぼうに言った。
「・・・・・・。文化祭、残念でしたね。」
少し黙ってから、玲司が口を開く。
「先輩のクラスのアランチーニ、美味かったです。正直言って驚きました。」
「何?励ましてるつもり?」
「いえ、本当のことを言っているだけです。この学校へ来てから、驚くことばかりです。俺は幼いときから父の英才教育を受けて、今まで天才と呼ばれ続けてきました。同世代に料理で負けたことなど一度もなかった。ここへ入学してからも、学校始まって以来の天才と呼ばれ、それが俺の誇りでした。」
里愛は黙ったまま玲司を見る。
「それが・・・クラスの落ちこぼれだと思っていたやつに負け、文化祭でも4位。1〜3位は上級生とは言え、はっきり言ってショックでした。先輩のアランチーニを食べたとき、上級生の凄さを見せつけられた気がしましたよ。」
「そう。そりゃどうも。私からすれば、天才とは言え一年相手に負けるわけがない。むしろ一年で4位は大したものよ。」
「そうなんでしょうね。最初から、先輩たちは俺たちを相手にしていなかった。でも、俺たちの春巻きを食べてわかったはずです。俺たちは来年、必ずあなたたちを超える。」
「・・・なんなのよ。ケンカ売りにきたわけ?」
「いえ。俺はただ、俺に勝った先輩たちがいつまでもウジウジしていて気に入らなかっただけです。」
「やっぱりケンカ売ってるじゃない。確かにあんたたちの春巻きは美味しかった。よくできていたし、私たちと同じような発想に一年で辿り着いたことは褒めてあげる。でも、だからって私たちを簡単に超えられるなんて思わないで。」
「そう、簡単に超えさせて欲しくないんですよ。」
「は?」
「俺たちは東京具留米学園の生徒。文化祭の勝負はもちろん重要だ。だが、俺たち料理人にとって本当の勝負は、まだまだずっと先にあるはずです。俺たちは来年、必ずし今の先輩たちを超えて見せる。だけど、先輩たちには来年、今よりもっと上にいっていてもらわないと。こんなところで心が折れて、立ち止まってしまうような人たちに負けたなんて、俺のプライドが許さないんで。」
「・・・・・・。なんなのよ、あんた。」
「俺は東京具留米学園始まって以来の天才中華料理人。世界一の中華料理人になる男です。一度とは言え、その俺に勝ったんだ。頼みますよ、先輩。では。」
言いたいことだけ言って、玲司はさっさと去って行ってしまった。
(なんなのよ・・・あいつ。生意気で、デリカシーの欠片もないし、人の気持ちも何にもわかってない。でも・・・)
里愛の鼓動がほんの少し早くなり、身体がちょっとだけ熱くなるのを感じる。
(・・・綺麗で真っ直ぐな瞳だったな。)
ベンチから立ち上がり、軽く伸びをする。深呼吸して、歩き出す。里愛の表情からは、もう曇りは消えていた。




