キミの麻婆豆腐。俺の麻婆豆腐。
東京具留米学園高校では、文化祭も終わり、航平たちはいつも通りの日常を取り戻していた。そんな、とある日曜日ーーー。
「いらっしゃませー!あ!宍戸くん!」
「や!やー!泰中さん!今日はこのあたりでちょっと野暮用があって・・・ここで食事をと思いまして!」
「ここのところ毎週だね!このあたりで用事、多いんだね!」
弦之介の下手くそな嘘の口実を、瑠衣はあっさり真に受ける。
「ご注文は?」
「えーと・・・じゃあ、今日は回鍋肉定食で!」
弦之介の目当ては、もちろん瑠衣の作る料理だが、弦之介は瑠衣が麻婆豆腐しか作れないことをまだ知らない。
「お待たせしました!回鍋肉定食です!」
「いただきます!」
弦之介は回鍋肉を一口、二口と食べていく。
(・・・うまい。だけど・・・。)
「た、泰龍軒の定食はどれもうまいなー!これは・・・その、作ったのは・・・?」
「清永くん!すごいよね!何作らせてもすっごく上手だよね!」
(やっぱりかーーー!!クソっ!なんであんなやつの・・・あんなおかしなやつの料理が、まるで泰中さんが作ったのではと思うほど優しくて美味いんだぁぁあああ!!??)
「あ、でもね!清永くんから、麻婆豆腐だけはお前の方が美味いって言われたことがあるの!私、麻婆豆腐だけは自信があって、お店でもそれだけは任せてもらってるんだよね!あ、この話、みんなには内緒だよ?」
「え!あ、あぁ!はい!もちろん!口は誰よりも固いですから!」
(なるほどー!!つまり、今度から麻婆豆腐を頼めば、泰中さんの手料理が食えるってことか!しかも、あのバカが作るよりも美味い!最高だ!そして二人だけの秘密ができてしまったー!!あぁ・・・神様・・・ありがとう、生きててよかった・・・。)
翌週の日曜日。
「いらっしゃいませー!あ!宍戸くん!いらっしゃい!また用事?」
「は、はい!そうなんですよーいやー忙しいなーはっはっは!」
「大変なんだね。うちで美味しいご飯食べて頑張ってね!ご注文はどうしますか?」
(泰中さん・・・なんて優しいんだ・・・。)
「じゃ、じゃあ、今日は麻婆豆腐を!」
「え?」
「あ、いや、泰中さんが作る麻婆豆腐、食べてみたいなーって・・・。」
「嬉しい!ちょっと待っててね!」
瑠衣はそう言うと、小走りで厨房へ入って行った。
しばらくすると、麻婆豆腐定食を持って瑠衣が戻ってきた。
「お待たせしました!麻婆豆腐定食です!」
「うわぁ!これが!いただきます!」
そこに航平がニヤニヤしながらやってくる。
「よう。念願叶ったみたいでよかったな。」
「うるせぇ!飯が不味くなるからどっか行ってろ!」
「へいへい」
いつもの騒がしいやりとりを済ませ、弦之介は麻婆豆腐をレンゲですくって口へ運ぶ。
「どう?」
「こ、これは・・・」
弦之介は一瞬動きを止め、それから小刻みに震え出した。
「う、美味い!!美味すぎる!!今まで食べた中で、一番!人生最高の麻婆豆腐!いや、人生最高の料理ですよ!!」
そう言うと、弦之介はあっという間に麻婆豆腐定食を完食してしまった。
「そんなに喜んでもらえて、私も嬉しいよ!ありがとう、宍戸くん!」
「何を言うんですか!本当に最高の麻婆豆腐でした!もう涙が止まりません・・・うぅ・・・」
「そんな大袈裟な。」
瑠衣の麻婆豆腐に感動しきりだった弦之介は、会計を済ませると幸せそうに泰龍軒を後にした。
(今日も相変わらずうるさい奴だったな・・・。けど、確かに瑠衣の麻婆豆腐は美味い。麻婆豆腐だけなら俺以上だ。)
弦之介の感動の言葉も、きっと大袈裟なわけではなかっただろうと航平は思った。
「じいさん。」
営業終わりの厨房で片付けをしながら、航平は龍彦に声をかけた。
「なんじゃ?」
「瑠衣って、なんで麻婆豆腐だけあんなに美味いんだ?」
「・・・。」
龍彦は一瞬黙って、それから口を開いた。
「美味いか?瑠衣の麻婆豆腐は。」
「?・・・あぁ。美味いよ。」
「そうか。」
「?・・・なんだよ?」
「瑠衣は子供の頃から麻婆豆腐が大好きでな。よくワシの真似をして麻婆豆腐を作っては失敗しておった。」
「やっぱり、最初は失敗してたのか。」
龍彦はフフッと笑う。
「他の料理を見ればわかるじゃろ。」
「まぁ。」
航平は苦笑いを浮かべる。
「昔、ある男がいてな。ワシの弟子だった男じゃ。」
龍彦が懐かしむように語り始めた。
「瑠衣はその男にえらく懐いておってな。よく構ってもらっていた。私に料理を教えてなんて言ってな。その度にいつも、瑠衣が大きくなったらなと言って誤魔化しておったんだがな。そいつがワシの元を離れて独立することを決めたんじゃ。瑠衣は嫌だ嫌だと泣いてな。泣き止まない瑠衣に、最後に麻婆豆腐の作り方を教えると約束して、出て行く前の最後の一ヶ月、付きっきりで麻婆豆腐の作り方を教えて行ったんじゃよ。」
「そんなことが・・・。」
「あいつは腕がよかった。だから、瑠衣は麻婆豆腐だけは誰よりも美味く作れるというワケじゃ。」
航平はその日から、麻婆豆腐を研究し始めた。これまでの航平の麻婆豆腐が不味かったわけではなかった。むしろ美味いものを作っていた。しかし、どうしても瑠衣と、そして父・剛志の麻婆豆腐に敵わない。何がいけないのか、どこが違うのか、そして、なぜ瑠衣の麻婆豆腐は父と同じ味がするのかーーー。きっと瑠衣に聞けば作り方は教えてくれるだろう。だが、それはできなかった。瑠衣の力を借りて、父の麻婆豆腐に辿り着く。それを航平のプライドが許さなかった。
また翌週の日曜日。
「いらっしゃいませー!あ!宍戸くん!」
「こ、こんにちは!泰中さん!またこのあたりで用事があって!」
「本当に忙しそうだねぇ。ゆっくりしていってね!」
相変わらず弦之介は嘘が下手だし、瑠衣も相変わらずそれを真に受けている。
「ご注文は?」
「もちろん!麻婆豆腐を!」
弦之介の注文を受けて、瑠衣が小走りで厨房へ入ってくる。
「瑠衣。あいつの麻婆豆腐、今日は俺に作らせてくれないか?」
「え?でも・・・。」
「大丈夫だって。瑠衣と同じように、店のレシピ通り作るんだから。」
そう言って、航平は麻婆豆腐を作る。
「お待たせしました!麻婆豆腐定食です!」
「相変わらず、なんて美しい麻婆豆腐なんだ!いただきます!」
弦之介は、今日もガツガツと麻婆豆腐定食を食べ進める。一言も声を発することなく、あっという間に麻婆豆腐定食を平らげると、
「ごちそうさまでした。」
と小さく呟き、立ち上がる。そして、そのまま真っ直ぐに、厨房の方へ向かっていく。
「清永!!」
弦之介の大声に、航平は驚き、顔を見せる。
「なんだよ!デカい声出しやがって!迷惑だろうが!」
「うるせぇ!テメェ!何回お前の作った飯食わされたと思ってんだ!?今日の麻婆豆腐、お前が作ったろ!?」
航平も、龍彦も、瑠衣も驚きを隠せなかった。
「これだけは教えておいてやる。他の料理は知らんがな、麻婆豆腐だけは、お前や斎浦よりも、泰中さんが上だ。これだけは間違いねぇ!」
そう言って去って行く弦之介の背中を見送って、航平は呆然とその場に立ち尽くす。
「・・・・・・わかってんだよ、そんなこと・・・。」
拳を強く握りしめて俯く航平を、龍彦は黙ったまま見つめていた。
「待って!宍戸くん!」
瑠衣が弦之介を追って走り出す。
「泰中さん!」
(泰中さん!もしかして、味を見抜いてカッコよくキメた俺に感動して愛の告白を・・・!?)
「お代!忘れてるよ!800円!」
弦之介は一瞬固まって、やがて力なく肩を落とした。




