泰龍軒の炒飯
「その勝負――」
航平は玲司を真っ直ぐ見据えた。
「俺が受けてやる。」
店内が静まり返る。
「……は?」
玲司は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに口元を歪めた。
「君が?」
肩を震わせ、くすりと笑う。
「清永。まさか君に、お笑いの才能があったとは思わなかったよ。」
「清永……?」
龍彦が怪訝そうに航平を見る。
航平は鼻で笑った。
「これを冗談だと思うんなら、お前、人生楽しそうだな。」
その一言で、玲司の笑みが消える。
冷たかった目に、はっきりと怒りが宿った。
「……後悔するなよ。」
「それはこっちのセリフだ。」
二人は睨み合う。
店内に漂う麻婆豆腐の香りさながらに、空気は痺れたように張りつめていた。
「何を勝手なことをしてくれたんじゃ、この大たわけがぁぁぁ!!」
玲司たちが帰るや否や、龍彦の怒号が泰龍軒いっぱいに響き渡った。
「ちょ、おじいちゃん!そんなに怒鳴らないでよ!」
瑠衣が慌てて間に入る。
「瑠衣!何を言っとるか!おい小僧!誰が勝手に料理勝負なんぞ受けろと言った!」
「でも……!」
「でももへったくれもあるか!」
龍彦は今にも湯気が出そうな勢いで航平を睨みつける。
「お前、自分が誰に喧嘩を売ったか分かっとるのか!」
「斎浦玲司。」
航平はあっさり答えた。
「東京具留米学園調理科中華料理コース一年。実技も学科も首席。学校始まって以来の天才……だろ?」
「そうだよ!」
瑠衣も思わず声を上げる。
「世界で活躍する料理人を何人も育ててる学校で、一番なんだよ!? 普通の相手じゃないんだよ!?」
「そうらしいな。」
それだけ言うと、航平は二人から離れ、厨房へ歩いていく。
「おい!何をしとる!?」
龍彦が声を荒げる。
「厨房借りる」
「何を…!また勝手なことを!」
航平は返事も待たず、中へ入った。
中華鍋を持ち上げ、コンコン、と柄を軽く叩く。
「三十六センチか。」
コンロの火を眺める。
「火力は悪くない。」
炊飯ジャーの蓋を開ける。
「米は国産か。」
指先で一粒つまみ、潰す。
「水分が少し多めだな……。」
そして、冷蔵庫の中と調味料を確認する。
「ラードか。うん、これなら大丈夫だ」
そこまで見終えると、航平は満足そうに頷いた。
龍彦も瑠衣も、思わず顔を見合わせた。
さっきまで金欠で腹を鳴らしていた高校生とは思えない。
その目つきは、店に入った時とはまるで別人だった。
「おい、小僧……。」
龍彦が低い声で呼びかける。
航平は鍋を元の場所へ戻し、振り返った。
「じいさん。」
その目には、先ほどまでの軽薄さはない。
「安心してよ。絶対勝つ。でも、それには準備が必要だろ?」
静かな声だった。
だが、不思議と根拠のない強がりには聞こえなかった。
その自信はどこから来るのか。
龍彦も瑠衣も、ただ呆然と航平を見つめるしかなかった。
「明日の放課後、また来る。」
そう言い残し、航平は店を出ていった。
店内に静けさが戻る。
「ど、どうしよう、おじいちゃん!」
瑠衣は頭を抱えた。
「大変なことになっちゃったよ!」
「騒ぐな。」
龍彦は湯呑みを手に取り、一口すすった。
「あの勝負は、あいつらが勝手に始めたことじゃ。ワシは勝負を受けるなど、一言も言っとりゃーせん。もし負けても、権利書など渡さん。」
「え…?じゃ、じゃあ……。」
「……じゃが。」
龍彦は店の厨房へ目を向ける。
「あの小僧の鍋を見る目…」
「え?」
「料理人の目をしとった」
少しだけ口元が緩む。
「あの小僧、もしかしたら、おもしろいものを見せてくれるかもしれんぞ」
翌日の夜。泰龍軒の営業が終わった頃、航平は暖簾の下された入口から店内へ入った。
「本当に勝負するつもり?」
「するって言っただろ。」
「でも相手は斎浦くんだよ?」
「知ってる。」
「学校一の天才だよ?」
「知ってる。」
「世界で活躍する料理人を何人も出してる学校のトップだよ?」
「知ってる。」
航平は厨房へ向かう。
昨日まで、授業中は寝てばかり。やる気も、料理への興味もないように見えていた。でも今、目の前にいる少年の表情は真剣そのもので、瑠衣の知っている清永航平とはまるで別人だった。
「……勝負は炒飯じゃったな。」
龍彦が腕を組む。
「まずはお前の腕を見せてもらおうか。」
航平はニッと笑い調理を始める。使うのは泰龍軒で普段使っている材料だけ。特別な食材など何もない。
「これだけで作るの?」
瑠衣が不安そうに尋ねる。
「ああ。」
航平は答える。
「いつもの店の味を知りたい。」
「いつもの味?」
「そう。俺の炒飯で勝つんじゃない。じいさんの炒飯を俺が作る。泰龍軒の炒飯で美味斎に勝つんだ」
鍋に火が入る。ラードが溶け、ジュワッという音をたてる。熱々に熱された油に入れられた卵が踊りだし、気泡が半熟を知らせ始めたら、そこへご飯。
カンッ!
鍋を返す音が店内に響いた。
「……。」
鍋を振る航平の姿を見て、龍彦の表情が変わる。瑠衣は息を呑む。普段学校で見ている航平とは全く違う。無駄がない。迷いもない。まるで何年もこの厨房に立っていたかのようだった。それから具材。チャーシュー、ネギ。そして醤油。鍋肌に当てる。香ばしい香りが一気に広がる。
「できた。」
航平が皿を置き、龍彦と瑠衣がレンゲを取る。
一口。
二口。
しばらく黙る。
「……。」
「おじいちゃん、これ…」
瑠衣が驚いて龍彦の方に顔を向ける。
龍彦はゆっくり顔を上げた。
「……似ておる。」
龍彦の言葉に瑠衣が頷く。
「ワシの炒飯に。」
香り。味付け。米の一粒一粒の感覚。確かに龍彦の炒飯と同じ方向の味だった。「すごい……。」瑠衣が呟く。「本当におじいちゃんの味だよ。これなら勝てるよ!」
しかし。
「いや。」
航平は首を振った。
「まだ足りない。」
「え?」
「美味い。」
航平は炒飯を見る。
「でも、これじゃまだ確実に斎浦に勝てるとは言えない。」
龍彦は目を細めた。
「……ほう。」
「やってやる。俺が泰龍軒のスペシャル炒飯、完成させてみせる…!」




