スープの美学
東京具留米学園生徒会室。その一番奥。立派な装飾が施された、生徒会長専用デスクに座る男。綺麗に整えられた金髪に、ハリウッドスターのような端正な顔立ちとモデルのような抜群のスタイル。生徒会長、藤咲斗麿は、柄にもなく悩んでいた。
最近、妹の様子がおかしいーーー。
今朝の朝食の席でも、
「お兄様、おはようございます。」
「おはよう」
いつも通りの挨拶。いつも通りの笑顔。いつもと変わらないやりとりをした二人だったが、斗麿は聖羅が時折、何かを思い出したように微笑んでいるのに気付いていた。最近はときどき、ぼーっと窓の外を眺めたりもしている。
「聖羅。」
「はい?」
「……いや、なんでもない。」
「?」
斗麿は妹の顔を見る。明らかに何かある。しかも、とても楽しそうだ。
その日の放課後。
「会長。」
生徒会室で書類を整理していた斗麿に、経営科三年の副会長が声をかける。
「どうかしましたか?」
「副会長…。実はな……。」
副会長の手が止まった。
「妹さんが……恋?」
「あぁ、間違いない。最近の聖羅の様子がおかしいんだ。よく笑うようになったし、時々ぼんやりしている。窓の外を何かを思い出しているように眺めたりもしている。」
「それは……。」
副会長はクイッと眼鏡を押し上げる。
「…恋ですね。」
「やはりそうか。」
斗麿は真剣な顔で頷いた。
「問題は相手だ。」
「お任せください。私が調査してきます。」
数日後、副会長は斗麿に調査報告書を提出した。
「お相手は一年C組、中華コースの清永航平くんです。」
「清永……?」
斗麿の眉が僅かに動く。
「成績は?」
「普通……というより、座学はあまり得意ではないようです。」
「素行は?」
「入学直後は欠席も多かったそうです。最近は登校していますが、授業中に頭から煙を出していたという証言も。」
「……煙?」
斗麿は黙った。
「さらに、同じ中華コースの斎浦玲司くんとは、何かと衝突しているようです。」
「斎浦か。」
斗麿もその名は知っていた。学業、運動、容姿。何を取っても優秀な生徒だ。恐らく来年の選挙では生徒会長に選ばれるだろうと、斗麿は予想していた。
「ただし。」
副会長が資料をめくる。
「調理実技については、かなり高い評価を受けています。」
「……料理の腕はある…ということか。」
「そのようですね。」
斗麿は腕を組んだ。
「……。」
妹が初めて好きになった相手。家柄などは問題ではない。聖羅を大切にしてくれる人間なら、それでいい。聖羅自身の見る目を疑っているわけでもない。
ただ――。
「……悪い男ではないだろうな。」
「恐らく…。ただ、どうやら神御島という離島の出身らしく、入学以前のデータがほとんど見つかりませんでした。」
そこで副会長は提案する。
「実際に会ってみてはいかがですか?」
「会う?」
「清永くんは現在、同級生の泰中瑠衣の実家である泰龍軒という店でアルバイトをしています。会長も清永くんも料理人…。彼の料理を食べてみてはいかがでしょう。」
斗麿は少し考える。
「……なるほど。よし、善は急げだ。明日の土曜、泰龍軒へ。」
副会長は内心で小さくガッツポーズをした。
(休日に会長と二人で食事……!)
もちろん表情には出さないよう努めた。
土曜日。斗麿と副会長は泰龍軒を訪れた。斗麿にとって初めての町中華。
「いらっしゃいませー!」
瑠衣が顔を上げる。
そして目を丸くした。
「……え?」
入口に立っていたのは、学校では誰もが知っている人物。
東京具留米学園生徒会長――藤咲斗麿。
その隣には、生徒会副会長の姿。
「藤咲先輩…?」
「こんにちは。失礼するよ。」
斗麿は表情を崩さず一礼した。
「突然すまない。こちらで食事をしたいのだが。」
「あ、はい!どうぞ!」
二人は席につく。斗麿はメニューを手に取った。
「……。」
しばらく真剣に眺める。副会長が尋ねる。
「何にしますか?」
「……。」
斗麿は料理名を一つ一つ確認していく。
フレンチのコースなら、スープは料理全体の流れを作る重要な一皿だ。
ならば――。
「……このスープ。」
斗麿が指差した。
「ワンタンスープですか?」
注文を取りに来ていた瑠衣が確認する。
「このスープは清永くんが?」
「え?あ、あの、はい。一応、最近は清永くんがスープも任されてます。」
斗麿はメニューから顔を上げた。
「では、それをお願いします。」
「かしこまりました。」
瑠衣は少し驚いた。
(生徒会長が、清永くんの料理を食べに…?)
瑠衣が厨房へ向かい、斗麿たちは静かに待った。
やがて――。
「お待たせしました。ワンタンスープです。」
湯気とともに、澄んだ香りが立ち上る。食欲をそそる芳醇な香り。濁りのない透明感のある美しいスープ。ふわふわと、スープの空に雲のように浮かぶワンタン。
「……。」
斗麿はレンゲを手に取り、スープをすくって口へ運ぶ。
「…………。」
副会長に見つめられながら、もう一口。
斗麿はスープを見つめた。
「これは……。」
レンゲを置く。
「コンソメ…。」
「え?」
副会長が首を傾げる。
「コンソメと同じ美学だ。不純物の一切を排除し、雑味を抑え、素材から旨味を引き出す。徹底した温度管理と惜しみのない時間の投資…。」
斗麿の目が、料理人の目に変わっていた。
「一見すると簡素だが、実際には誤魔化しが利かない、洗練された料理だ。透き通った見た目の美しさと、透明感と力強さが共存する味わい…ワンタンは、つるんとしたシルクのように滑らかな皮とジューシーな餡のコントラストが見事なデュエットを奏でている…。」
もう一口。
「……素晴らしい。」
斗麿はおもむろに立ち上がる。
「このスープを作ったシェフを――」
「……え?」
瑠衣が目を丸くする。
「シェフ……?」
副会長がすぐに助け舟を出した。
「会長は、清永くんとお話ししたいそうです。」
「あ、ああ!」
瑠衣は納得した。
「ちょっと待っててくださいね!」
瑠衣に促され、すぐに厨房から航平が顔を出し、斗麿の前までやってくる。
「俺に何か用だって?」
「君がこのスープを?」
「ああ。そうですけど…」
斗麿は航平を見る。しばらくの沈黙の後、静かに口を開いた。
「素晴らしい仕事だ。」
「……どうも。」
航平は少し困惑しながらも礼を言った。斗麿はそれ以上、何も言わなかった。
「……?」
そして――。
「清永くん。」
「はい?」
「君なら、安心だ。」
「…………は?」
航平の顔が固まる。瑠衣も固まる。副会長だけが、何かを理解したように微笑んでいた。
「今日はありがとう。では、失礼するよ。」
斗麿はそう言って店を出ていく。
「…………。」
残された航平は、しばらく入口を見つめていた。
「……なんなんだ、あの人?」
「……さあ。」
瑠衣は笑って答えた。だが、その胸の奥には、少しだけ複雑なものが残っていた。
(……聖羅さんのこと…だよね。)
きっと、斗麿は聖羅の想いを知っている。だから航平を品定めに来たのだろう。そう思うと、なぜか胸が少しだけざわついた。
店の外。斗麿と副会長は並んで歩いていた。
「会長。」
「なんだ?」
「彼のこと、気に入られたようですね。」
「彼は信用できる。」
フッと笑ってそう言った斗麿に、副会長は微笑む。
その頃――。
泰龍軒の厨房。
「ほう……。」
龍彦は二人が去っていった方向を見ていた。
「あれが生徒会長、ラ・グリシーヌの御曹司か。」
「じいさん、会長のこと知ってんの?」
「知らいでか。」
龍彦は笑う。
「しかし……。」
ワンタンスープの残った器を見る。
「さすがじゃな。」
「何が?」
龍彦はニヤリと笑った。
(フレンチの基本であり最高峰であるコンソメ。その本質を理解しているからこそ、このスープから航平の腕を見抜きおったか…)
「大したもんじゃ。」
龍彦は満足そうに笑った。
「お前にも、いい先輩ができたかもしれんな。」
「……なんかよく分かんねぇけど。」
航平は頭を掻く。
「変な人だよな。」
その言葉に、瑠衣は思わず笑ってしまった。




