桃色のスフレ
昼休みも終わりに近づいた頃。理科室での授業を控えた一年C組の女子たちは、楽しそうに廊下を歩いていた。
「急がないと先生また怒るよ〜!」
「待って待って!」
瑠衣もその中で笑いながら歩いていた、その時。
「あっ。」
教室にノートを忘れたことに気付く。
「ごめん!先行ってて!」
「早くねー!」
友達に手を振り、瑠衣は一人で教室へ引き返した。廊下を回るより、中庭を抜けた方が早い。そう思って中庭へ足を踏み入れた、その時だった。
「……好きです!」
聞こえてきた真剣な声。
「えっ。」
思わず物陰へ身を隠す。中庭の木陰には、一人の男子生徒と、長い金髪を風になびかせる少女が立っていた。陽の光を受けて輝く髪。人形のように整った顔立ち。瑠衣は思わず息を呑む。
(きれい……。)
男子生徒は深く頭を下げる。
「僕と付き合ってくださいっ!!」
少女は申し訳なさそうに微笑んだ。
「お気持ちは嬉しいです。でも、ごめんなさい。」
その一言だけだった。男子生徒は寂しそうに笑い、その場を去っていく。
「はぁ……。」
少女は小さくため息をついた。そしてーーー。
「そろそろ出てきても大丈夫ですよ。」
「えっ!?」
瑠衣が飛び上がる。
「気付いてたんですか…?」
少女はくすっと笑う。
「ええ。最初から。」
瑠衣は慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!覗くつもりじゃなかったんです!」
「こちらこそ、お見苦しいところをお見せしました。」
二人は顔を見合わせ、思わず笑ってしまう。
「私は一年C組、中華コースの泰中瑠衣です。」
「一年F組、フレンチコースの藤咲聖羅と申します。」
綺麗な所作だった。まるで西洋のお嬢様。
「さっき……。」
瑠衣は少し考えてから尋ねた。
「あんまり嬉しそうじゃありませんでしたよね。」
「え?」
「告白されるのって、断るとしても少しくらい嬉しいものなのかなって。」
聖羅は少しだけ目を伏せる。
「私も最初はそう思っていました。」
少し寂しそうに笑う。
「でも皆さん、私の外見しか見てくださらないんです。」
「……。」
「綺麗だとか、かわいいだとか。もちろん悪い気はしませんよ?でも、本当はもっと見てほしいところがあるんだけどなって。」
少しだけ照れたように笑う。
「私がどんな料理を作るのかとか。どんなことが好きなのかとか。そういう私を知ってから好きになっていただけたら……もっと嬉しいのになって。」
瑠衣は自然と頷いていた。
「……素敵ですね。」
「え?」
「そんな風に思える聖羅さん、すごく素敵だと思います。」
瑠衣は思った。
(こんなにきれいなのに……。心まで、きれいな人……。)
聖羅は一瞬だけ目を丸くした。そして優しく笑う。
「ありがとうございます。」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
「申し訳ありません。少し話し込んでしまいましたね。」
「わ!やっば!行かなきゃ!」
慌てる瑠衣を見て、聖羅は笑った。
「またお話しましょう、瑠衣さん。」
「うん!」
二人は手を振り合い、それぞれ教室へ向かった。
翌日。フレンチコースによるテーブルマナー実習。この日は中華コースの生徒たちも、特別にフレンチのコース料理をいただくことになっていた。前菜、スープ、魚料理、肉料理…。航平は一皿食べるたびに感心していた。
「上品でうまいな。」
最後まで食べ終えると伸びをする。
「でも、やっぱ俺は中華かな。」
そう笑った、その時だった。
「最後はデザート。桃のスフレです。」
運ばれてきた湯気立つスフレ。ふわりと立ち上る桃の香り。一口食べて、航平の手が止まる。
「……うま。」
もう一口。もう一口。口いっぱいに広がる桃の香り。軽い口当たり。優しい甘さ。思わず立ち上がる。
「これ作った人、すげぇよ!誰が作ったんだ!?」
「ちょ、ちょっと航平!」
瑠衣が慌てて止める。
「絶対見てみたい!これを作った人!」
授業後。航平はそのまま一年F組へ飛び込んだ。
「すみません!」
その声に教室中が振り向く。
「今日の桃のスフレ作った人っていますか!?」
「ちょっと清永くん!そんな大きい声出さなくっても!」
瑠衣が興奮する航平を制止する。
なんだなんだといった様子で、女子生徒たちがザワつき、男子生徒たちは顔を見合わせる。その奥から、聖羅が歩いてきた。
「私のスフレが何か…?」
航平は目を輝かせる。
「あんたが!」
「聖羅さんだったんだ!」
航平も瑠衣も声をあげる。
「あのスフレ、本当にうまかった!感動したよ!ありがとな!」
そう礼を言う航平に、聖羅は言葉を失う。
「……。」
航平は続ける。
「桃の香りがちゃんと生きててさ。甘いだけじゃなくて、最後に紅茶みたいな香りも残って。本当、最高だった!」
聖羅の頬が赤く染まる。
(この人は……。)
胸がどくん、と鳴る。
放課後。一年C組の教室の入口がざわつく。
「あれ藤咲さんじゃない?」
「可愛い……。」
男子たちの視線が一斉に集まる。瑠衣が気付き、駆け寄る。
「聖羅さん!」
「あの……。」
聖羅は教室を見回した。
「清永さんは……?」
「ああ。」
瑠衣は笑う。
「今日はおじいちゃんに頼まれた買い出しがあるって言って、もう帰っちゃった。」
「そうですか……。」
少しだけ残念そうに微笑む。
「何か用だった?」
「えっと……。」
聖羅は顔を真っ赤にした。
「瑠衣さんとは昨日お会いしたばかりなのに、お恥ずかしいのですが……。」
瑠衣の耳元へ近づく。
「……私。」
小さな声で聖羅が続ける。
「清永さんのことを、好きになってしまいました。」
「えっ!?」
瑠衣の頭が真っ白になる。その瞬間。
「こんなところにいたのか、聖羅。」
教室中が静まり返る。一人の青年が立っていた。キッチリと整えられた金色の髪。誰もが振り返るほどの美貌。背が高く、スラリと細く長く伸びた手足。
東京具留米学園生徒会長。
藤咲斗麿。
「お兄様!」
聖羅が斗麿に駆け寄る。
「瑠衣さん。」
振り返り、優しく笑う。
「またゆっくりお話しましょう!」
「う、うん……。」
兄妹は二人並んで廊下を歩き始める。
「何か良いことでもあったのか?」
斗麿が尋ねる。聖羅は幸せそうに笑った。
「はい。…とっても素敵なことが。」
「……そうか。」
斗麿は無表情のままだったが、聖羅に対する温かい雰囲気だけは誰もが感じとることができた。
二人の背中を見送りながら、瑠衣は立ち尽くしていた。
(好き……?)
(清永くんのことが……?)
胸が、少しだけ苦しい。
(なんなんだろ……。この気持ち。)
初めて胸に芽生えた小さな痛みの正体を、瑠衣はまだ知らなかった。




