第37話 ぽん太くんの書き初め
新しい年を迎えた春川家では、家族みんなで書き初めをすることになりました。
墨をする静かな時間の中で心を落ち着かせ、一文字一文字に思いを込めて書く書き初め。
ぽん太くんは、大切な言葉と向き合いながら、新しい一年の目標を見つけていきます。
一月二日。
朝ごはんを食べ終えると、リビングの床に新聞紙が広げられた。
その上には、大きな下敷きと半紙、筆、すずり、墨が並べられていた。
「今日は書き初めをしましょう」
ヘレンがにこやかに言った。
「ぽん太と千春は、学校の宿題でもあるんでしょう?」
「うん」
千春がうなずいた。
「何を書こうか、もう決めてあるよ」
「ぼくは、まだ決めてない」
ぽん太は真っ白な半紙を見つめた。
幸之助が笑った。
「それなら、墨をすりながらゆっくり考えればいい」
すずりに少しだけ水を入れると、ぽん太と千春はそれぞれ墨を持った。
「こうするの?」
ぽん太が聞いた。
「力を入れすぎず、ゆっくりすればいいんだ」
幸之助が手の動きを見せた。
ぽん太は教えられたとおり、静かに墨をすり始めた。
シャッ……。
シャッ……。
隣では、千春もゆっくりと墨をすっていた。
部屋の中には、墨をする静かな音だけが聞こえていた。
「なんだか不思議」
ぽん太が小さな声で言った。
「何が?」
祐子が聞いた。
「さっきまで早く遊びたいと思ってたのに、今は静かな気持ちになってきた」
ヘレンが優しくほほえんだ。
「墨をすっていると、自然に心が落ち着いてくるのよ」
「おばあちゃんも、書道をやってたの?」
「もちろんよ」
ヘレンはハル子とリョウ子を見た。
「二人にも、礼儀作法と一緒に書道を教えたのよ」
ハル子が静かにうなずいた。
「筆の運び方や姿勢について、厳しくご指導いただきました」
リョウ子も笑顔になった。
「何度も書き直したことを覚えています」
「二人とも書けるの?」
ぽん太は目を輝かせた。
「はい」
「それじゃあ、みんなで書こうよ!」
ぽん太の言葉に、家族も笑顔でうなずいた。
シャッ……。
シャッ……。
しばらくすると、幸之助がやさしくうなずいた。
「よし、これで書けるぞ」
最初に筆を取ったのは幸之助だった。
静かに筆を運び、大きく一文字を書いた。
「夢」
「どうして『夢』なの?」
ぽん太が聞いた。
「大人になっても、夢を持ち続けたいからだよ」
「おじいちゃんにも夢があるの?」
「もちろん」
幸之助は笑った。
「まだ知りたいことも、やってみたいこともたくさんあるんだ」
「すごい!」
次にヘレンが書いた。
「笑顔」
「みんなが笑顔でいてくれたら、それが一番うれしいからよ」
惣太郎は、
「挑戦」
「今年も新しいことに挑戦したいんだ」
祐子は、
「健康」
「家族みんなが元気に過ごせる一年にしたいから」
千春は、
「努力」
「四月から六年生になるから、勉強も運動も頑張りたいの」
今度はハル子が筆を取った。
背筋を伸ばし、迷いなく筆を動かした。
「調和」
「ちょうわ?」
ぽん太は首をかしげた。
「お互いの違いを認め、力を合わせることです」
「家族や友達が助け合うことも、調和の一つです」
「へえ!」
続いて、リョウ子が筆を持った。
やさしく丁寧に筆を運んだ。
「真心」
「まごころって、なあに?」
「相手のことを大切に思う、素直な気持ちです」
「お料理を作る時も、お掃除をする時も、真心を込めるようにしています」
「リョウ子さんらしいね!」
リョウ子はうれしそうにほほえんだ。
家族の半紙が、床に一枚ずつ並べられていった。
夢。
笑顔。
挑戦。
健康。
努力。
調和。
真心。
ぽん太だけが、まだ真っ白な半紙を見つめていた。
「何を書こうかなあ」
元気。
友達。
勇気。
いろいろな言葉が思い浮かぶ。
けれど、どれにするか決められなかった。
その時、ソラがしっぽを振りながら近づいてきた。
「ワン!」
「ソラも書き初めする?」
ぽん太は思わず笑った。
みんなも笑った。
「よし、決めた!」
ぽん太は筆に墨を含ませた。
ゆっくりと筆を動かしていく。
ところが、途中でソラがもう一度鳴いた。
「ワン!」
ぽん太がそちらを見た拍子に、筆先が横へ滑った。
「あっ!」
墨が大きくにじんでしまった。
「失敗しちゃった……」
ぽん太は肩を落とした。
ヘレンがそばへ来て、半紙を見た。
「大丈夫よ」
「でも、にじんじゃった」
「書き初めは、一枚しか書いてはいけないわけではないの」
「失敗したら、落ち着いてもう一度書けばいいのよ」
幸之助もうなずいた。
「最初から上手にできる人はいないさ」
「失敗したからこそ、次はどうすればいいか分かるんだ」
ぽん太は、すずりを見た。
もう一度、墨をゆっくりすった。
シャッ……。
シャッ……。
さっきまでの悔しい気持ちが、少しずつ静かになっていった。
ぽん太は新しい半紙を広げた。
深く息を吸った。
「今度は、ゆっくり書く」
一文字ずつ、心を込めて筆を運んだ。
「ありがとう」
最後の一画まで書き終えると、ぽん太はそっと筆を置いた。
「できた!」
千春が半紙をのぞき込んだ。
「上手に書けたね」
「どうして『ありがとう』にしたの?」
ぽん太は床に並んだ家族の文字を見回した。
「みんなが、ぼくのことを大切にしてくれてるから」
「おじいちゃんも、おばあちゃんも」
「お父さんも、お母さんも」
「お姉ちゃんも」
「ハル子さんも、リョウ子さんも」
「夏輝も、健太も、さくらも、優太も」
「それから、ソラも」
ソラが小さく鳴いた。
「ワン!」
ぽん太は笑った。
「みんなに『ありがとう』って言える一年にしたいんだ」
ヘレンは目を細めた。
「とてもすてきな目標ね」
祐子も優しくほほえんだ。
「お母さんも、その言葉が大好きよ」
惣太郎がぽん太の頭を軽くなでた。
「ぽん太らしい書き初めだな」
ハル子が静かに言った。
「気持ちを整えて書いたからこそ、思いの伝わる文字になりましたね」
リョウ子もほほえんだ。
「今年も春川家に、たくさんの『ありがとう』があふれる一年になりますように」
ぽん太は自分の書いた半紙を見つめた。
少し曲がった文字もあった。
けれど、一文字一文字に、ぽん太の気持ちが込められていた。
墨をする静かな時間の中で、心を落ち着かせ、失敗しても諦めずにやり直すことの大切さを知った、ぽん太くんでした。
書き初めは、新しい一年への願いや目標を文字に託す、日本ならではの伝統です。
墨をする静かな時間にも、心を落ち着かせ、自分と向き合うひとときがあります。
失敗しても諦めずにもう一度挑戦し、自分の気持ちを素直に表したぽん太くん。
「ありがとう」という言葉には、これまで出会った人たちへの感謝と、これからも大切にしていきたい思いが込められています。




