水精姫と天の声
大演習場を埋め尽くしていたパニックと絶望は、新たな戦力として到着した王城騎士団の出現により一転して闘志へと変わった。
観客席から見下ろす位置に二人の人影が立っている。
「よもや観戦していたら魔王が出るとはな」
観客席の最前列で状況を静観していた王国騎士団長ビクトール・フォーロッド。
彼は自身の剛剣を抜き放つ。
隣に立つ長男にして第二騎士団長のクラレンスも同じく剣を抜き、眼下の戦場を鋭く見据えている。
「それにしてもあの少女。ためらわずに死地へと飛び込むとは」
クラレンスの視線の先には炎の道を駆け抜け単身で獣の群れに肉薄していくセリアの姿があった。
恐怖に足がすくむのが普通の人間だ。
だが彼女は自らの拳一つで道を切り開こうと果敢に前へ出ている。
「大した女だろう?」
ビクトールが自分のことのように自慢げに髭を撫でながら豪快に笑う。
「ええ、まあ」
「うちの嫁になる女だ。見過ごすわけにもいかん」
「決定ですか。……まあ異論はありませんがね」
クラレンスは父親の強引な決定に小さく息を漏らしながらも、腰の剣に手をかけた。
確かにあのガッツと戦闘能力はフォーロッド家の一員として申し分ない。
「総員突撃! 魔王を打ち倒せ!」
ビクトールの大音声が観客席から闘技場へと轟き渡る。
それを合図に待機していた王国騎士団の精鋭たちが、銀色の甲冑を鳴らしながら一斉にフィールドへと雪崩れ込んでいった。
場面は変わり、聖堂騎士団の隊列の先頭にて。
「ドワーフの女性が飛び込んできた時は何事かと思いましたが――」
教皇は目を閉じて、先ほど教会の扉を乱暴に叩き開けて飛び込んできた女性の顔を思い出す。
『お願いだよ! マリエルちゃんたちを助けてやっとくれ! あの子らはまだ子供なんだよ!』
涙ながらにすがりついてきたバーバラの必死な姿。
その願いを受け止めた教皇はゆっくりと目を開き、法衣の裾を翻した。
「救いを求める者を拒まず救うのが教会というもの。皆さん、我らの信仰に殉じましょう」
教皇の静かな、しかし力強い言葉に聖堂騎士団の面々が深く頷く。
彼らもまた信仰の剣と盾を構え、呪詛を祓う神聖魔術の詠唱と共に咆哮を上げて黒い獣たちへと挑んでいく。
そしてもう一方の入り口から、揃いのローブに身を包んだ集団が駆け込んできた。
「来てくれたか、宮廷魔術師団……! エドガー殿を向かわせて良かった!」
クリストフが上空から降り注ぐ援護の魔法陣を見て安堵の声を漏らす。
彼が先見の明を発揮し、事態の収拾を図るために、避難も兼ねて宮廷魔術師団へエドガーを走らせていたのだ。
「殿下! ご命令を!」
宮廷魔術師たちが一斉にクリストフの前に跪き、指示を仰ぐ。
「ああ」
クリストフは魔王の放つドス黒い呪詛を見据え、王族としての威厳を込めて号令を下す。
「総員! あの勇敢な少女を死なせるな!」
その号令の下、宮廷魔術師団が一糸乱れぬ連携で魔法を次々へと撃ちこんでいく。
炎、氷、風の刃が雨あられと降り注ぎ、騎士たちの剣が獣の呪詛を切り裂く。
聖堂騎士団の浄化の光が、周囲の空気を蝕む闇を祓っていく。
全員で力を合わせて獣を打ち倒していき、ゆっくりと、だが着実に数を減らしている。
王都の最高戦力が結集し、絶望的だった戦況が少しずつ押し返されていく。
マリエルはその光景に圧倒されていた。
自分を「混ざりもの」と蔑んだ神界とは違う。
マリエルは、ルカの腕の中に庇われながらその光景に圧倒されていた。
皆を助けるために集まってくれた人々の想い。
身分も立場も超えて強大な悪意に立ち向かう人間の力。
それが今、ここに集まっているのを感じる。
隣にいるルカがマリエルの肩を優しく抱き寄せ、静かに語り掛ける。
「マリエル」
「ルカ君」
「ダメで元々だ。やれることをやろう」
ルカの言葉にマリエルはハッとして視線を落とす。
彼女の手には、バーバラから託された修復済みの『天声の雫』がしっかりと握られていた。
「――うん」
マリエルは力強く頷き、バーバラから託された防護ケースを開けた。
中から修復されたばかりの『天声の雫』を取り出す。
マリエルは覚悟を決め『天声の雫』の中心にある青い宝玉に自身の魔力を流し込む。
彼女の魔力が通信機の術式を再起動させる。
青い宝玉が淡く光を放ち、周囲のリングが複雑な回転を始めた。
それと同時に、闘技場の中央でユーバフは忌々し気に周囲を見回した。
「愚かな人間どもめ……この俺を誰だと思っているんだ」
彼の全身から噴き出す呪詛のオーラが、さらに色濃く禍々しく膨れ上がる。
騎士団や魔術師団の連携攻撃を受けても彼の表情には微塵の焦りもない。
あるのは下等生物に対する見下しと、自身の力への盲信だけだ。
「このような児戯で俺たちを討ち取る? ゴミめ。だからお前たちはクズなのだ!」
ユーバフが両腕を天に掲げる。
彼の周囲の空間が呪詛によって黒く歪み、大気が悲鳴を上げるように軋む。
「クズはクズらしく塵となって死ね! それがお前たちの似合いの姿だ!!」
ユーバフは呪詛を最大限に放射し、全方位に向かって黒い衝撃波を放つ。
その呪詛の衝撃波を真っ先に受けたのは、ユーバフに肉薄しようとしていたセリアだった。
「セリアアアアアア!!」
マリエルが悲鳴のような声を上げる。
セリアは身体を呪詛に侵食されながらも果敢に獣と戦う。
強化された肉体であっても、呪詛の侵食を防ぐことはできない。
彼女の肌が黒く染まり、動きが目に見えて鈍っていく。
そこに、死角から巨大な獣の牙が襲い掛かる。
「危ないっ!」
飛び込んできたアランが、身を挺してセリアを庇った。
獣の牙がアランの肩口に深く食い込み、黒い魔力が彼の身体へと流れ込んでいく。
「アラン先輩……?」
「セリアちゃん、無事かい……?」
アランは苦しげに微笑み、そのままセリアに覆いかぶさるようにして倒れ伏す。
二人の身体は、みるみるうちに呪詛で黒く染まっていく。
「アラン……ッ!」
リーズリットが悲鳴を上げて二人の元へ駆け寄ろうとするが、彼女をフォローしていたアランが抜けたことで防護の陣形が崩れてしまう。
迫り来る獣の群れに対応しきれず、彼女もまた獣の牙を腕に受けてしまう。
「くそっ、キリがねえぞ!」
「押し返される……!」
ローランドの炎とクリストフの光魔法も無尽蔵に湧き出し、さらに強化された呪詛の波を前に、徐々に押され始めていた。
彼らの身体のあちこちにも、呪詛の波動による黒い染みが広がりつつある。
応援に来た騎士団、魔術師団、聖堂騎士団も、ユーバフの呪詛の後押しを受けて凶暴化した獣たちを相手に劣勢となり、次々と地に伏していく。
戦況は一瞬にして絶望的なものへと塗り替えられていった。
その時。
マリエルの手の中にある『天声の雫』の青い宝玉が強く明滅し、そこからノイズ混じりの冷ややかな声が聞こえてきた。
『――ん? なんだ、この番号は? 随分古い型式だな。発信地は……?』
見知らぬ神人の声。
神界の通信室に繋がったのだ。
マリエルは藁にもすがる思いで通信機に向かって叫んだ。
「神界ですか! マリエルです!」
マリエルはなりふり構わず、かつてのプライドを捨てて必死に懇願する。
「今、ユーバフとアミアンが魔王として下界を蹂躙しています! お願い! 友達を……皆を助けて!」
彼女は泣きそうになりながらただ必死に懇願する。
自分がどうなってもいい。
ただ、下界の皆を救ってほしい。
だが、マリエルの懇願は無情な声で切って捨てられた。
『そんな下界のゴタゴタは、こちらの知ったことじゃない。接続を切る』
「待って! お願いだから!」
『天声の雫』からはプツンという無機質な音が鳴り、接続を切られ無音となる。
マリエルは信じられない思いで光を失った通信機を見つめる。
神界にとって下界の惨状など路傍の石以下の価値しかない。
助けを求める人間の声など、彼らの耳には届かないのだ。
「お願い……繋がって!誰か……誰か助けて!!」
マリエルは発狂したように泣きながら、何度も通信機を叩き宝玉に話しかける。
だが二度と神界からの応答はなかった。
その様子を見ていたユーバフとアミアンは、マリエルの絶望を心底愉しそうに見つめて醜く顔を歪めた。
「いい気味ねマリエル。誰もあんたなんか助けないわよ」
「じゃあな『混ざりもの』。お前が愛した下等生物どもと一緒に、地獄に行っていてくれ」
ユーバフが残忍な笑みを浮かべ指を鳴らす。
放心して座り込むマリエルに向けて、数体の黒い獣が一斉に飛び掛かる。
「マリエル!!」
ルカがマリエルの前に身を挺して立ち塞がり、両腕を広げて彼女を守る。
そして、獣たちは爆発したようにルカとマリエルを呪詛の泥で包み込んだ。
ドス黒い闇が二人を飲み込み、視界を奪う。
ユーバフとアミアンは、最大の目障りであったマリエルの消滅を確信し、勝ち誇ったように高笑いした。
「はははははは!! そうだこれが正しい結末だ!! 純血の俺たちに逆らう者は全て滅びればいい!! 次はフーラースお前だ!! 神界へ行き、奴を殺して……」
ユーバフが次なる復讐の標的を口にし、自らの勝利を確信した。
誰もが絶望し万策尽きたと思われた。
その時。
ルカとマリエルを包み込んでいた真っ黒な呪詛の塊の中から、一条の光が迸った。
「え?」
ユーバフの笑い声が止まる。
呪詛の闇の中から、マリエルの静かで澄み切った声が響き渡った。
「『光』『火』『合成』」
それは神界の高度な魔法理論。
それまでマリエルが扱えなかった、異なる属性を融合させ、新たな事象を創造する魔法。
「『再生と浄化の焔』」
迸る黄金の炎が、ルカとマリエルを包んでいた呪詛を内側から爆発的に全て吹き飛ばす。
炎は太陽のように闘技場全体を眩く照らし出し、莫大な熱量と神聖な光を放ちながら周囲へと広がっていく。
大気中に充満していた呪詛の靄も、人々を侵食して黒く染めていた呪いも、そしてユーバフたちが生み出した黒い獣たちも。
黄金の炎に触れた瞬間、悲鳴を上げる間もなく全てが浄化され、光の粒子となって消し飛んだ。
そしてその炎は、呪詛を吹き飛ばすだけではない。
「なんだ……? 傷が癒えている」
ビクトールが、自身の腕の傷が塞がっていくのを見て驚愕の声を漏らす。
「活力がみなぎっている……この炎はいったい……?」
クラレンスもまた、疲労が嘘のように消え去っていくのを感じていた。
セリアも、アランも、リーズリットも、ローランドも。
倒れ伏していた全ての者たちが黄金の炎に包まれて呪いが解け、傷が癒え、次々と不思議そうに起き上がり始めた。
彼らの視線は自然と、奇跡の源である闘技場の中心へと向けられる。
そこにいたのは。
「マリ、エル……?」
ルカの茫然とした声が響く。
光の中心に立つマリエル。
その姿は、かつての下界の少女のものではなかった。
マリエルの頭の上には朝焼けのような暖かなオレンジと薄紅が混ざり合った『光輪』が浮かび。
背中には同じく朝焼け色の美しい『光翼』が大きく展開され、眩い光の粒子を振り撒いていたのだ。
「これは……」
ママリエルにはわかる。
誰に教えられるまでもなく、魂の底から理解できた。
これは、かつて理不尽に剥奪された自分の光輪と光翼だ。
それが自身の想いと下界での経験を経て、より強靭な形となって自分の下へと帰って来たのだと。
「これは……どうして」
マリエル自身も背中に感じる確かな力と温もりに、驚きと戸惑いを隠せない。
「――間に合ったようですね」
その時、聞き覚えのある穏やかな声が、頭上から降ってきた。
ユーバフとアミアン、そしてマリエルが弾かれたように上空を見る。
そこには、一人の老齢の神人が空中に佇んでいた。
長く伸びた白い髭と、威厳と優しさを併せ持つ深い瞳。
マリエルの口から、驚きと安堵の入り混じった声が漏れる。
「フーラース神人長……!」
神界の理解者であり、恩師。
長く伸びた白い髭と威厳と優しさを併せ持つ深い瞳。
純白の天輪と光翼を輝かせた老齢の神人フーラースが闘技場の上空に静かに佇んでいた――。
フルパワーマリエル。




